131. ムナーリと瀧口修造の出会い2006年01月10日 09:57

瀧口修造のデカルコマニー (décalcomanie)

日本にはじめてムナーリを紹介した瀧口修造と、ムナーリとの出会いは1958年にさかのぼるそうです。このとき、現代美術の世界的に重要なイベントであるベネチア・ビエンナーレに日本代表兼審査員として参加した瀧口はアンドレ・ブルトンやブルーノ・ムナーリと親交を深めました。戦前から活動していた洋画家(シュルレアリスト)の福沢一郎、当時新進の評論家だった東野芳明らも同行の旅だったようです。瀧口はイタリアを皮切りに4ヶ月半を費やしてヨーロッパ各地を旅行し、ミラノではムナーリからエンツォ・マリ(当時出たてのデザイナーだった)について(おそらくダネーゼの話も出たことでしょう)聞いたと本人の日誌に記されていました。

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こちらにもいろいろ紹介しています(重複有)https://fdl-italform.webnode.jp/

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