359.ムナーリのメソッドで作って学ぶ本2021年08月21日 19:59

イタリアのブルーノ・ムナーリ協会が監修した、ムナーリの教育メソッドで作ったり描いたりしながら学ぼう、という子どものための図書シリーズがイタリアで刊行開始だそうです。
第一巻は8月28日発売だそうですが、日本で手に入れるにはちょっと工夫がいりそうです。

356.子どものための造形を考えた日本人2021年05月16日 21:10

ムナーリと直接関わらないトピックなのですが、日本にもムナーリと同時代に、こどものための造形教育について深く考えた教育者がいます。
その一人、藤田復生(1910-1999)の著書『幼児の造形 紙』(1970、フレーベル館)には、ムナーリのアプローチとの共通点が感じられます。

乳児期の造形活動
 幼児の生活の中で、紙に対する経験は, かなり早く, 満1歳の乳児の頃より, 無心に破る行為が始まり, 2歳を過ぎる頃から, はさみを与えると, 紙を切ることを始めます。 (もっとも, 家庭によって, はさみを与える時期の,早い遅いはありますが)
 また, 同じ頃に, 紙と描くものを手にすれば, 描画が始まり, 紙で物を包もうとする行為が見られ,たたむ・まるめる・くるむなどの行為が見られます。  この時代は,まだ,紙でものを作る意志や意欲は見られませんが,破ること,切ること,たたむことに興味を示します。破ることも,切ることも, 一種の破壊行動で,心身の発達からみても,単一動作です。
 すなわち,破るにしても,縦に力いっばい引きさくことだけで,指先の調整は見られません。はさみも同様で単一動作の切り方で,切ることだけにとどまります。

3歳児期の造形活動  満3歳を過ぎると,指の調整ができ,連続動作に移り,連続した直線切りに移ります。はさみの使用は,家庭の生活で,兄弟のいる,いないによっても,経験の量の多少によっても,発達の個人差によっても,能力の差はありますが,幼稚園の3歳の集団でみると,その差の幅は5カ月ぐらいです。  したがって,はさみの経験を, 3歳からはじめて持ったとしても,約半年の間には,完全な連続切りが可能になるといえます。(これは,個人差がありますが)
曲線切りは,かなりむずかしく,さらに,半年ほど遅れます。形を切り抜く意図がみられるのも,描画に形の形成がみられてからといえます。
 破ることは,比較的早く始まりますが,ちぎることより,切ることの方が先行します。これは,指先の器用性の発達にしたがって,可能になるからです。
 折ることについては, 3歳6カ月になると,三角折り四角折りは,大半の幼児が可能で,かなりの正確度をもって,折ることができます。いうまでもなく,三角折りの頂点を合わせることが,視覚と手の共応作用でできてくるからです。四角折りも,一辺合わせ一角合わせの原則によって視点を一カ所にしぼることが大切です。
 そして,三角・四角という言葉の概念の理解ができるということや,半分という概念が形成されたことになります。
 このような造形作業は, 指導者の子どもへの話しかけ (説明) やほんの少しばかりの注意によって, 理解の度合いが違ってくるので, 教師は注意しなければいけません。
 たとえば, 正方形の紙のときと, 長方形の場合は, 辺の長短という, 2 つの要素がありますので, <2つに折る> <半分に折る>という言葉が, 2通りになりますので, 教師が見せながら, 説明することは当然ですし, 短い, 長いの言葉を理解できる段階にあるか, ないかということが, 重大な結果を示すことになります。
また, 3歳児では, <2つに折る> という言葉よりも, <半分に折る>という言葉を用いることが大切です。2つということは,子どもにとって,別々なものを意味することが多いからです。
 3歳6カ月頃では,長い,短いの概念がはっきりしていませんので, 一般には.理解されにくいものと考えなければなりません。
<まるめる>ことも, 3歳では,円錐の場合,紙の張りがあるので,糊づけができません。しかし,円筒ならば,細く巻いて,糊づけをして止めることができます。
 したがって, 3歳では,紙の造形は,あまり技術的なものを避け,ごく基本的な折りたたみを考え,平面的な作業を基本と考えなければなりません。
 ただ,その中に.多少の立体的なものを加えていかなければ,意欲を失いますから, できる範囲で, 子どもに形を作らせ, 教師が接着を助けてや るようにします。
 たとえば, 図のようなかごを作らせるときは. 半円形の紙を円錐にしぼることはできますから, それを持たせたまま, 教師がセロテープで止めるとか,ホチキスで止めるとかして,細長く切った紙で手をつけることをさせるようにして,教師と子どもの合作にすることです。
 風車を作る場合も,対角線折りや,直線切りのはさみも入れられます。はさみを入れる前に,十分でなくとも,好みの色で,色づけができますから, あとの組立は, 教師がしなければなりません。 ですから, まだ, 3歳では,くふうするまでにはなりませんので,意欲を高めることが大切なのです。  3歳児が使うのによい紙質は,色紙程度の薄紙から,薄手中厚の紙が切りやすく,折りやすいのです。
 障子紙も, 4つたたみまでは,切れるはさみなら,重ねて直線切りができますので,水彩絵具で,のびのびとかいた障子紙で,のれんなどが作れます。
 このように,教師が,紙の質と, 3歳児にできる技法を考え出すことが大切です。

ムナーリと比較すると、上に紹介した藤田のアプローチは「子どもに表現技術を会得させる」部分が意識されている、という点でモンテッソーリに近いのかもしれませんが、藤田は造形技術の獲得の先に子どもの自由な応用表現の可能性について述べていて、いわばイタリアから遠く離れた日本で、モンテッソーリとムナーリを繋ぐようなアプローチを考え実践していた、とも思えます。

351.「ムナーリ・メソッド」-142020年12月10日 22:09

p12(13)
“Nei primi anni di vita, l’individuo si forma e resterà tale per tutta la vita. Dipende dagli educatori se questa persona sarà poi una persona creativa o un semplice ripetitore di codici.
「人生の最初の数年間で個人が形成され、それは生涯にわたって維持される。人が将来、創造的な人になるか単純なコードを繰り返す人になるかは、教育者によるだろう。
Dipende da questi primissimi anni, dall’esperienza e dalla memorizzazione di dati, se l’individuo sarà libero o condizionato. Gli adulti dovrebbero rendersi conto di questa grandissima responsabilità dalla quale dipende il futuro della società umana”. ( Bruno Munari )
それは、これらの生まれたばかりの時期の経験、記憶によって、個人が自由になるのか条件に縛られるのかを決める。大人は人間の社会の未来がかかっている、この大きな責任を自覚しなければならない」( ブルーノ・ムナーリ )

BIBLIOGRAFIA
Munari A.(1986), Munari interroga Munari, Domus, n.677
アルベルト・ムナーリ、「ムナーリによるムナーリへの質問」、『ドムス』677号、1986

Munari A.(1994), Appunti metodologici per i laboratori “Giocare con l’arte”. Quaderni Gruppo Immagine, 2, 1-12
アルベルト・ムナーリ、「”アートであそぼう”ワークショップの方法論的注意事項」、『Quaderni Gruppo Immagine』、2, 1-12、1994

Munari A.( 2007 ),Con mio padre nel suo studio, in Piccardo A., Nello studio con Munari, Corraini, Mantova

(この項おわり)

350.「ムナーリ・メソッド」-132020年11月22日 11:22

p11(12)
Quali sono le fasi che concretamente caratterizzano un’ esperienza di laboratorio Metodo Munari?
Il laboratorio inizia ben prima del suo svolgersi, con un’accurata fase di ricerca, di sperimentazione e di prove che deve essere curata dall’operatore o dal gruppo di progetto.
 ムナーリ・メソッドのワークショップ体験を具体的に特徴づけるフェーズとはなにか?
 ワークショップでは運営者やプロジェクトチームがケアすべき研究、実験、試行の正確なフェーズが、実施前から始められる。
La ricerca può riguardare vari aspetti che si considerano fondanti per quello specifico laboratorio. Per esempio: una tecnica nelle sue declinazioni, piuttosto che un materiale nelle sue variabili, oppure le possibilità espresse da un’ azione, o ancora la sperimentazione a partire dalle ricerche di un determinato artista. Il laboratorio non può essere solo immaginato: va accuratamente progettato e sperimentato prima di proporlo all’utenza finale.
そこでは特定のワークショップのためのベースとなる様々な側面をカバーしていく。例えば、素材よりも、可能性のある技術、あるいは行動によって表現される可能性、あるいは特定のアーティストの研究から始まる実験など。ワークショップは想像するだけでは不十分で、最終的な参加者に対し提案する前に慎重に設計し、実験しなければならない。
Questo non significa che ciò permetta di tenere sotto controllo tutte la variabili. Cosa che non si desidera neppure, perché nell’ambito di ogni azione con il pubblico sono veramente molteplici gli elementi innovativi, le scelte personali, le idee che i partecipanti mettono in campo.
これは、すべての可能性を制御下におくことができるという意味ではない。一般の人々との行動には、本当に思いがけない、多くの革新的な要素、個人的選択、参加者からのアイデアがある。
Tanto che si può dire che ogni laboratorio è un apprendimento continuo per tutti, anche e soprattutto per l’operatore. Dopo si passa all’allestimento dello spazio: del tavolo, delle pareti e di eventuali spazi accessori per la presentazione e l’osservazione di ciò che verrà sperimentato.
すべてのワークショップは、誰にとっても、また何よりもオペレーターにとって、継続的な学習であると言えるのだ。そして次に、テーブルや壁、材料道具のスペースなどの空間のセッティングに移る。
Ovviamente tali allestimenti variano a secondo della tipologia di esperienza che si vuole proporre: un’ attività tattile per piccolissimi avrà esigenze ben differenti da un laboratorio sulla natura per ragazzi delle medie, piuttosto che un’esperienza di proiezioni dirette per adulti o di un laboratorio del libro per genitori e bambini insieme.
これらの道具準備は、提案する経験の種類によって異なる。幼児向けの触覚活動では、大人が直接投影的な体験をするが、親子一緒に本のワークショップをするのと中学生向けの自然ワークショップとではニーズが大きく異なる。
A quel punto, tutto è pronto per il laboratorio e per l’accoglienza dei partecipanti; talvolta prendendosi ancora il tempo per predisporre una piccola “sorpresa” che generi curiosità ed introduca alla tematica oggetto del laboratorio. Per esempio un allestimento tattile, posizionato in prossimità dell’ingresso, può immediatamente incuriosire.
こうして、ある時点でワークショップと参加者の受け入れ準備はすべて整っていくが、時にはあえて時間をかけて小さな「サプライズ」を用意しワークショップのテーマを紹介する。例えば、入り口付近に触覚的な仕掛けを設定をすることで、すぐに参加者の好奇心を刺激することができる。
Il laboratorio viene avviato da quella che definiamo “azione-gioco”: di fatto un gesto, un’ azione che viene fatta dall’operatore per dare il via alla sperimentazione, invitando tutti a provare. 
E’ importante in questa fase privilegiare l’azione rispetto alle parole.
ワークショップは私たちが「アクションゲーム」と呼ぶものから始まる:それはオペレーターが実験を開始するためのアクションであり、ジェスチャーによって参加者を誘って実験を始める。この段階では言葉よりも行動を優先することが重要となる。
Dopo di che ci si prende tutto il tempo per un’accurata sperimentazione, durante la quale l’operatore sarà presente per ogni supporto tecnico, per offrire rimandi che creano relazione tra le varie esperienze, anche con riflessioni, misurate dall’attenzione verso il “quanto basta”, ma senza intervenire sul progetto personale di ciascuno.
その後私たちは、のこりの時間を正確な実験のために費やし、その間オペレーターはそれぞれの個人的なプロジェクトに介入することなく、「何が十分か」に注意を払いながら測られる結果にもとづいて、それぞれの技術的なサポートのために介在し、様々な経験同士の関係を作るきっかけを提供する。
Al termine dell’azione vi sarà una fase di restituzione collettiva, che fa emergere e fissa gli apprendimenti. Questa avviene, solitamente, attraverso un’ osservazione dettagliata di quanto sperimentato ed il commento di chi ha partecipato.
実践の最後には、学びを引き出し修正する集団的な振り返りの段階がある。通常ここで、体験や参加した人のコメントの詳細な観察が行われる。
E’ attenzione dell’operatore, curare sempre la documentazione dell’esperienza, che sarà attenta non solo agli esiti, ma soprattutto al processo che si è generato.
結果だけでなく何よりも生成されるプロセスに常に気を配ることが、経験のドキュメンテーションを担うオペレーターの仕事である。
Un’esperienza di laboratorio di questo tipo che, come si può notare, è piuttosto articolata, può avere una durata anche di due ore e mezza, durante le quali i bambini sono assolutamente centrati sulla loro ricerca e non domandano mai “ è finito ?”; anzi il problema è, ora come allora, quello di smettere.
このワークショップでの経験は非常に明らかで、二時間半も続き、その間子どもたちは研究に集中して、決して「これで終わり?」とは聞いてこない。問題はむしろいつでも、それを止めるタイミングなのだ。

349.「ムナーリ・メソッド」-122020年10月31日 18:36

L’APPLICAZIONE DEL METODO MUNARI
ムナーリ・メソッドの応用
Questa metodologia trova il suo luogo d’espressione naturale nell’ambito delle esperienze
che appartengono all’area della comunicazione visiva e a quella dell’educazione al pensiero progettuale creativo. Il laboratorio viene riconosciuto come luogo utile per la costruzione della conoscenza.
 この方法論は、創造的なデザイン思考におけるビジュアル・コミュニケーションと教育の領域に属する経験の中で自然な表現の場を見出すことができる。ワークショップは知識の構築に役立つ場として認識される。
Stante le tematiche che tratta può essere inserito negli spazi didattici museali, sia permanentemente che in occasioni di allestimenti particolari, ma trova nella scuola un ulteriore e privilegiato luogo di diffusione, anche per la possibilità di estendere tale modello agli apprendimenti convenzionali ed alle routine scolastiche.
扱うテーマを考えると、このワークショップは博物館の教育空間でパーマネントあるいは特別な機会に実施することができ、またこのモデルを従来の学習や学校の日常活動に展開する可能性があるので、学校の中で特別な普及の場を見つけられるだろう。
Il suo orientamento sociale, oltre che culturale, lo porta a ben declinarsi in svariati ambiti
che vanno dalla biblioteca al centro culturale, dalla fattoria didattica alle manifestazioni ed
agli eventi, fino a prevedere esperienze per gli adulti e gli anziani. I laboratori possono essere proposti professionalmente, oltre che dalla Associazione Bruno Munari, dagli operatori in possesso del diploma Master conferito da ABM stessa, dopo il completamento di un articolato periodo di studio, sia teorico che pratico, ed il costante monitoraggio dei progetti.
その社会的、文化的な展開は、図書館から文化センター、教育ファームから発表会、イベント、大人や高齢者のための体験の提供まで、様々な分野で充実していく。このワークショップはブルーノ・ムナーリ協会に加えて、理論と実践の両方の明確な研究期間を完了し、プロジェクトの継続的なモニタリングを行った後に、ABMが承認するマスターディプロマを持つオペレーターによって専門的に提案できる。
Possono essere studiati e proposti, oltre ai temi “storici” che ideò Bruno Munari, anche nuovi laboratori, che rispondono alle esigenze che emergono e che possono declinarsi in differenti contesti.
ブルーノ・ムナーリが構想した「歴史的」テーマに加えて、新たなワークショップが研究され提案されることもあり、それらはニーズに対応したものであり、異なる文脈の中で発展させることができるだろう。
Questi ultimi, dopo una estesa e documentata fase di studio e di successiva sperimentazione, devono essere presentati ed approvati da ABM, che valuta se rispondono a tutte le esigenze, per poter essere considerati laboratori Metodo Munari a tutti gli effetti.
なお後者は、ムナーリ・メソッドのワークショップとみなされるために、文書化された広い研究と実践を経て、ABMがすべての要件を満たしているかどうかを評価しABMの承認を得る必要がある。
Questo orientamento testimonia il desiderio di sviluppare, a partire dagli insegnamenti che ci vennero da Bruno, uno studio costante dei fenomeni, delle regole, degli elementi che lui stesso fece intravedere, in una dimensione di apertura e continua attenzione a ciò che si sviluppa e si esplicita intorno a noi.
この方向性は、ブルーノから私たちに与えられた教えから始まり、現象、ルール、彼自身が提示した要素を常に研究し、明示的なものへの開放と継続的な注意をもって発展させたいという願いによるものである。

347.「ムナーリ・メソッド」-112020年10月18日 21:32

p10(11)
Nel laboratorio possiamo parlare anche di un altro principio di base cioè la presenza di vincoli, che qui vengono considerati come una risorsa. Per esempio quando allestiamo il tavolo della sperimentazione ne prevediamo possibilità e limiti a seconda di come lo “apparecchiamo” e di come facciamo partire l’azione di sperimentazione.
 ワークショップのもう一つの基本原理、すなわちここでは資源として考えられている、制約の存在についても論じることが出来る。例えば実験のためのテーブルを準備する際、どのように「設置」するか、どのように実験の行動を始めるかによって、その可能性や限界が見えてくる。
Quali informazioni tecniche, quale azione, quale scelta dei materiali, quali formati, quali strumenti a disposizione, quali cartelloni visivi ? La nostra scelta delinea lo sfondo del laboratorio. Questo non significa inibire o limitare la creatività dei partecipanti, bensì sollecitarla, offrendo loro uno spazio ed una possibilità di sperimentazione opportunamente pensata.
どのような技術の情報、どのようなアクション、どのような材料の選択、どのようなフォーマット、どのようなツールが利用可能か、どのような視覚的表現が効果的か?私たちの選択はワークショップの背景について概説している。これは参加者の創造性を阻害したり制限したりすることではなく、参加者に適切に考え抜かれた実験の空間と可能性を提供しつつ創造性を促すことなのだ。
Ritengo che questo sia un passaggio metodologico particolarmente importante che dovrebbe togliere, nella percezione che si può avere dei nostri laboratori, qualsiasi retaggio di un luogo dove “ si può fare quello che si vuole”, in nome di una falsa percezione della libertà del soggetto.
これは特に重要な方法論的ステップであり、私たちのワークショップに対する認識の中では、対象者の自由という誤った認識の名の下に「なんでもやりたいことをやってもいい」という考えを取り除くべきと考えている。

346.「ムナーリ・メソッド」-102020年10月05日 05:35

p09(10)
La necessità di educare questo tipo di attenzione e la sua pratica viene espressa in un altro principio di base del Metodo, sintetizzato con l’espressione ritrovare l’intelligenza del gesto.
この種の集中と実践の学びの必要性は、表現と合成してしぐさ(手わざ)の知性を見つける方法のもう一つの基本原則から明らかになる。
Il gesto di cui parliamo è quello sapiente dell’artigiano, affinatosi lentamente e puntigliosamente in anni di prova per diventare infine maestria. La maestria del maestro d’arte, per esempio, che esprime uno dei valori più radicati nella nostra cultura e dal quale, a mio avviso, dovremmo ripartire.
私たちが論じているしぐさ(手わざ)とは職人の熟練したもので、何年もの試行錯誤の中でゆっくりと丹念に磨かれようやく達人の域に達する。芸術の達人の極意とは例えば、私たちの文化に最も深く根付いた価値観の一つを表現しており、私たちはそこから再出発すべきだろう。
L’allontanamento massiccio da una pratica del fare, che prevede tempi lunghi d’ apprendimento ed una costante ricerca per andare verso la sicurezza della fabbrica, unitamente ad una percezione più massiva dei bisogni che ha portato verso una instancabile produzione di massa, ha impoverito un patrimonio di competenza e “saper fare” che ci rendeva unici.
長期的に工業的な安全性追求をめざした実践からの大々的な脱却、最近の大量生産を求めるより大きなニーズの認識が、私たちの重視する、実践によって学ぶこと、技術(の価値)をおとしめている。
Non per niente si “andava a bottega” per imparare un mestiere; tanto che era un onore essere “presi come garzoni” dagli artigiani e dai maestri considerati migliori, nell’ambito della loro arte. Forse anche sul piano formativo dovremmo ripensare a questi aspetti che generavano eccellenze.
「工房に弟子入りする」こと、最高の技術を持つ職人や巨匠の弟子となることは名誉なことだったのだ。おそらく、卓越性を生んだこの側面を教育のレベルにおいても再考する必要があるだろう。
Anche il bambino ha necessità di affinare man mano i suoi gesti per poter apprendere veramente. Dal suo fare, rifare, ed “aggiustamento” degli apprendimenti, dipenderà la costruzione della sua conoscenza. Così i gesti di un bambino sanno rivelare molto a chi li sa osservare, a chi ha consapevolezza del rapporto tra il fare ed il pensare.
また、子どもは学習に合わせてしぐさ(手わざ)を磨く必要がある。彼の知識の構築は、自分が行い、やり直し、そして学ぶことの「調整」にかかっている。子どものしぐさ(手わざ)は、それを観察する方法を知る人、「実践すること」と「考えること」の関係を知っている人なら、多くのことを明らかにすることができる。
Illustrando i principi di base che caratterizzano il Metodo non possiamo trascurare la ricerca delle variabili. Si rendono evidenti, ad esempio, quando si esplorano le possibilità segniche
di uno strumento grafico, oppure quando si realizza un catalogo dove raccogliere tutte le immagini e scoprire di quanti colori è il cielo, piuttosto che domandarci quante gradazioni di rosso ci sono o, ancora, scoprire le innumerevoli e differenti forme nelle foglie.
メソッドを特徴づける基本原則を説明することで可能性の検討を無視することはできない。
例えばグラフィックサインの可能性を探るとき、あるいは赤の濃淡が何色あるのか、たくさんの画像を集めて空の色を見つけるカタログを作成するとき、あるいは葉っぱの中の無数の異なる形を発見するときにも、それらが明らかになる。
Rapportarsi alle variabili significa uscire dal “senso unico”, dribblare lo stereotipo, abituarsi, fin da piccoli, a considerare tutte le possibilità per costruirsi una mente più aperta, in grado di cogliere gli infiniti aspetti di un fenomeno.
現象の無限の側面を把握すること、よりオープンな心を構築するため、すべての可能性を検討するために、子どもの頃からステレオタイプな "一方通行の道 "から抜け出すことを意味している。
Il concetto di varietà è insito nella natura stessa, quindi si può dire che è naturale per l’uomo avere un’attenzione di questo tipo. In natura non ci sono tronchi tutti uguali, non c’è un solo tipo di mela, di cielo, di prato, di faccia. La natura è variegata e in continuo cambiamento. 多様性という概念は自然そのものに内在しているので、人間がそのような配慮をするのは当然のことと言える。自然界には全く同じ木はなく、全く同じりんご、空、草原、顔は存在しない。自然は変化に富み常に変化し続けている。
Contemplare questo significa non continuare a ricercare quello che già si conosce, bensì
aprire lo sguardo verso il possibile; educando la propria curiosità, insieme alla voglia di “non accontentarsi” del già detto e del già visto, per addentrarsi in un territorio più sfumato in cui si arriva ad un punto nel quale si percepiscono anche i limiti e si comprende che una cosa non è più quella cosa, ma diventa altro.
可能性を考えることとは、すでに知っていることを探すのではなく、可能性に目を開き、好奇心を教育することを意味している。すでに言われていること、見られていることに「満足しない」という精神と共に、限界を認識し、一つのことがそのままではなく、別の何かになることを理解するポイントに到達する領域に入るために。
Costruendo le tonalità del verde a partire dal giallo primario, se si continua ad aggiungere il ciano, si arriverà ad un punto in cui non sarà più permesso chiamare verde ciò che stiamo realizzando, ma dovremo necessariamente passare ai toni del blu per descrivere il nuovo colore. Il limite è presente nei nostri laboratori, come lo è la regola.
プライマリーイエロー(黄色)からグリーン(碧)の濃淡を構築していく過程で、シアン(青色)を加え続けていくともはや作っている色を緑と呼べないところまでたどり着く。新しい色を表現するためにはそこで必然的に青の濃淡に切り替える必要があるだろう。ワークショップには、ルールのように限界が存在する。
Non ci sarebbero esperienze e non ci sarebbe gioco alcuno senza regole. Un mondo privo di regole non ci mette alla prova, non ci segna dei confini, non ci presenta nulla che valga la pensa di essere superato. Perché la creatività si possa esprimere è necessario operare in un contesto regolato.
経験もルールなければ、あそびにならない。ルールのない世界は挑戦がはじまらない、そこには境界線はなく、克服する価値がある何かを私たちに提示しない。創造性を表現するためには何らかの規制された文脈の中で活動する必要がある。

345.「ムナーリ・メソッド」-092020年09月26日 18:50

p08(9)
Naturalmente questo implica una precisa formazione dell’adulto operatore professionista di laboratorio.
これは必然的に大人のプロフェッショナルなワークショップオペレーターを正しく訓練する必要性を意味している。
Una formazione che prevede, oltre a precise ed approfondite conoscenze teoriche, anche un’adeguata pratica nel saper osservare i bambini per poter offrire loro i giusti rimandi; richiede dimestichezza nel saper orientare e riorientare il proprio intervento, aggiungendo o togliendo “quando basta”, affinché si sviluppi coerentemente la ricerca di ciascuno.
正確で深い理論的知識に加え、子どもたちに適切な参考情報を提供するために子どもたちを観察する方法を知るための十分な訓練が必要である。それぞれの研究が首尾一貫して発展するよう「十分な時間」を加減して、自分自身の関わりを方向付けるメソッドの熟知に精通している必要があるだろう。
L’operatore deve essere in grado di aiutare l’altro a “vedere”, e a volte anche a nominare quello che scaturisce dall’azione, creando relazioni dinamiche tra le scoperte di ciascuno e il gruppo. Una professionalità, quindi, che si fonda su una vera passione, su un talento naturale, che va educata permanentemente.
実践者は、相手が「見る」ことを助け、時には行動の中から生まれるものに名前をつけ、その発見と集団との間にダイナミックな関係性を生み出さなければならない。 つまりプロフェッショナリズムは真の情熱に基づいて常に学び続ける天性の才能に基づく。
In una dimensione esperienziale di questo tipo appare chiaro un altro principio di base e cioè che non vi sia una sola risposta giusta, bensì la ricerca costante di quel “in quale altro modo
si può fare” con il quale Bruno interagiva spesso con i bambini.
この種の経験的な次元では、もう一つの基本的な原則が明らかになっている:正解は一つではなく、ブルーノがしばしば子供たちとやりとりした「他にどうすればいいのか」という絶え間ない探求である。
Ma tutto questo non è volto a creare ansia, perché ci si muove in una dimensione nella quale le persone non vengono giudicate o costrette ad un risultato, anche se esiste una valutazione della qualità e dell’efficacia della ricerca svolta.
そこには実施された研究の質や効果の評価はあっても、人そのものが評価されたり、結果を押し付けられたりすることはない次元に進んでいるのであって、不安を生み出すためのものではないのだ。
Potremmo meglio dire che emerge una sorta di autovalutazione che esprime ciascuno osservando se l’oggetto realizzato “funziona”e se è coerente o meno ai requisiti che si erano considerati. “Il bello è conseguenza del giusto” ci ricorda una regola giapponese, spesso citata da Bruno che ci rammenta sempre come l’oggetto progettato deve essere coerente con il materiale utilizzato e le sue qualità.
実現されたものが「機能するかどうか」「自分が考えていた要件と一致しているかどうか」を観察することで、それぞれが自己評価のようなものが生まれてくると言った方がいいかもしれない。「美しさは正しさの結果である」という、ブルーノがよく引用していた日本のことわざが思い出される。
Questo aspetto della costante ricerca a partire dai materiali, consapevoli che offrono loro stessi, e per primi, una risposta alla qualità dell’azione è ben descritta da Alberto Munari.
材料から始まる研究の側面が行動の質への効果をもたらすことは、アルベルト・ムナーリによって説明されている。
“Da quando ero un bambino piccolo, fino a quando lasciai la casa di Milano per andare a studiare a Ginevra, e poi in molte altre occasioni ancora, innumerevoli sono state le ore che ho passato accanto a mio padre nel suo studio, a guardarlo lavorare.
"子どもの頃からミラノの実家を出てジュネーブに留学するまで、その後も幾度となく父の書斎でその仕事ぶりを見ながら過ごした時間は数え切れない。
Sono sempre stato affascinato dalla decisa precisione dei suoi gesti, quando tracciavano la prima linea di una futura composizione sul foglio ancora bianco, quando tagliava un pezzetto di carta perfettamente in squadra, con quelle sue lunghe forbici che ancora conservo, o quando incollava subito al posto giusto, senza doverlo riposizionare, un ritaglio colorato su una composizione già elaborata ( ...).
私はいつも彼の迷いのないしぐさの精度に魅了された、まだ白い、紙の上に生まれつつある構成の最初の線を描くとき、私がいまも持っている彼の長いはさみで、正確に四角く紙をカットするとき、または彼はそれを迷うことなく適切な場所にすぐに接着するとき、すでにできあがった構成上の色の切り抜きに(...)。
E quando le sue agili dita piegavano un fil di ferro, annodavano un filo di nylon o strappavano una stoffa o un cartoncino, non vi era mai traccia di violenza nei suoi gesti, che invece d’imporre con la forza la loro volontà cercavano piuttosto di negoziare il loro progetto d’azione con i vincoli e le resistenze che quei materiali esprimevano.
そして、彼の機敏な指が針金を曲げたり、ナイロンの糸を結びつけたり、布や厚紙を破ったりするとき、彼のしぐさには乱暴さは微塵もなく、それらに彼の意志を押し付けるのではなく、それらの素材が表現する制約や抵抗とその動きの計画を交渉しようとしていた。
Non era un semplice agire, ma una sorta di rispettoso dialogo silente, durante il quale l’intelligenza del gesto interrogava la storia dell’oggetto sul quale stava operando, quasi per ripercorrere il lungo cammino durante il quale l’oggetto aveva acquisito quelle caratteristiche peculiari che ora esprimeva e con le quali bisognava trovare un accordo” ( Munari A.,2007, p.5 )
それは単純な行動ではなく、ある種の尊敬に満ちた無言の対話であり、その間、しぐさの知性は、それが働いていた対象の歴史に疑問を投げかけ、まるでその対象が今表現し、それが合意すべき特有の特性を獲得する長い道のりを辿るかのようだった」 ( Munari A,2007, p.5 )。

343.「ムナーリ・メソッド」-072020年09月10日 05:51

ELEMENTI COSTITUTIVI IL METODO BRUNO MUNARI
ブルーノ・ムナーリ・メソッドの構成要素
Negli ultimi anni di vita di Bruno si sentiva l’esigenza, da parte dei collaboratori più vicini, di avere delle indicazioni su come continuare il lavoro, in particolare quello con i bambini, che Munari sentiva come molto caro.
ブルーノの人生の最晩年にはその最も近い協力者が活動を続ける方法、特にムナーリがとても大切にしていた子どもたちとの活動をどうやって続けるかについて、いくつかの指標を見出す必要があった。
Da qui nacque l’ Associazione Bruno Munari - che nel 2011 ha festeggiato il suo decennale- con l’obiettivo di proteggere e diffondere l’opera dell’artista ed avviare un serio lavoro di riflessione metodologica ed epistemologica su un patrimonio immenso che non si voleva rimanesse come una sorta di reliquiario, ma, interpretando veramente lo spirito dell’artista, si preferiva fosse stimolo per nuovi progetti e nuove ricerche.
こうしてブルーノ・ムナーリ協会(Bruno Munari Association)が誕生し、2011年に10周年を迎えた。その目的はかのアーティストの作品を保護し広めること、そして遺物となるべきではない膨大な遺産について、方法論的、認識論的な考察を行う真剣な仕事を始めることだった。 そして真の意味でこの作家の精神を解釈し、新しいプロジェクトや新しい研究のきっかけになることを目指した。
Questa scelta evitò quello che poteva diventare una sorta di “munarismo” che non avrebbe reso onore al genio, all’impegno, alla capacità innovativa di Bruno Munari. Le indicazioni che ci vengono da lui sono semplici, immediate, replicabili.
この作業では、ブルーノ・ムナーリの天才性、コミットメント、革新的な能力を称えないよう一種の「ムナーリズム」になりかねないものを避けた。彼の教示はシンプルで即効的であり、再現性がある。
Non sono mai casuali, bensì sintesi di un lavoro immenso e spesso invisibile, di prove e di riprove, di continue verifiche ed approfondimenti. Dunque una sterile riproposizione, non capace di comprendere lo sfondo che aveva generato le proposte, non in grado di operare sui processi della conoscenza, contestualizzando l’azione; rischiava di far diventare Munari e la sua idea di laboratorio una sorta di mero “oggetto replicabile”.
それは決して無作為ではなく、むしろ巨大で目に見えない仕事、実験、継続的な確認や調査の総合である。無意味なな再提案では、アイディアが生み出された背景を理解できず、知のプロセス上で機能できず、行動を文脈化することができない。それはムナーリと彼のワークショップのアイデアを単なる「複製可能なオブジェクト」にしてしまうリスクがあった。
Questo desiderio determinò uno studio che portò a fissare alcune precise indicazioni, sulla base dei suggerimenti trasmessi da Bruno, che furono presentate nel corso del primo Master in Metodologia Bruno Munari ( gennaio 2004) e che ora ci permettono, in un quadro di rifondazione del Metodo, di meglio chiarire quali sono le condizioni che sostengono e favoriscono lo svilupparsi di una modalità di pensiero più creativo.
この目標はブルーノ・ムナーリ・メソッドの最初のマスターコース(2004年1月)で、ブルーノのアイディアに基づいて提示されたいくつかの確かな指標の確立につながる研究を定め、メソッドの再構築の枠組みの中でより創造的な思考方法の開発をサポートし、奨励する条件が何であるかをより明確にしてくれるものである。

342.「ムナーリ・メソッド」-062020年08月30日 15:57

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In quell’occasione nel calendario dei laboratori furono inseriti anche appuntamenti per genitori e bambini insieme. La presenza dei laboratori all’interno delle mostre dell’artista proseguono anche dopo la sua scomparsa, a cura della Associazione Bruno Munari, in particolare in occasione delle grandi mostre che Milano e Roma gli dedicarono per il centenario della nascita (Bruno Munari, Milano, Rotonda della Besana, ottobre 2007- febbraio 2008 e Bruno Munari, Museo dell’Ara Pacis, Roma, ottobre 2008-febbraio 2009 ).
 その折のワークショップでは、親子が一緒に参加する枠も含まれていた。かの芸術家の展覧会におけるワークショップは彼の死後も続いており、特にミラノとローマが彼の生誕100周年を記念して開催した大規模展の際は、ブルーノ・ムナーリ協会によって(ワークショップが)キュレーションされた(ブルーノ・ムナーリ展、ミラノ、ロトンダ・デッラ・べザーナ、2007年10月~2008年2月、ブルーノ・ムナーリ展、ローマ、アラ・パキス美術館、2008年10月~2009年2月)。
In tali fortunate circostanze ( le esposizioni ebbero un enorme successo) la presenza dei laboratori, frequentati dalle scolaresche durante la settimane e dalle famiglie al sabato ed alla domenica, costituirono un ulteriore evento nell’evento, a rendere chiaro non solo l’interesse, ma direi il bisogno riconosciuto verso questa offerta formativa.
(展覧会は大成功を収め)このような幸運な状況の中で、数週間にわたり学校のグループや、週末には家族が参加するワークショップの存在が展覧会の中でさらなるイベントを構成し、その関心の高さだけでなく教育的な提案に対する認識の必要性を明確にした。
In particolare nella città di Roma questo fermento fu colto dal Comune che volle sviluppare, dopo la mostra, una serie di iniziative a beneficio delle scuole romane al fine di verificare l’utilità di questo approccio metodologico in ambito scolastico per migliorare le prestazioni degli allievi.
特にローマ市はこの展覧会の成功の後、ローマの学校の生徒の能力向上のための学校環境においてこのメソッドのアプローチの有用性を検証するため、自治体として一連の導入を開発したいと考えた。
L’efficacia del Metodo, all’interno della scuola, fu verificata anche attraverso il progetto “Activ Art”- “Artistic workshops to develop the creativity of European pupil”( 2009 -2011). Progetto cofinanziato nell’ambito dei partenariati Comenius Regio dell’Unione Europea, che si poneva l’obiettivo di diffondere una prassi d’ apprendimento non formale, attraverso il Metodo didattico riferito all’artista.
学校の中でのメソッドの効果検証に加え、「アクティヴ・アート」プロジェクト(2009年~2011年)では、「ヨーロッパの生徒の創造性を伸ばすための芸術的なワークショップ」が実施された。欧州連合(EU)のコメニウス・レジオ・パートナーシップの枠組みの中では、かのアーティストに関連したメソッドを用いて、非公式な学習実践を普及させることを目的としたプロジェクトの共同助成を受けた。
Munari dedicò gli ultimi 20 anni di vita al progetto educativo dei bambini, sperando, a mio avviso, che lo superasse e continuasse a vivere anche senza di lui. Poiché questo sta succedendo ho motivo di affermare che Bruno Munari abbia lasciato i presupposti perché questo potesse avvenire.
ムナーリは彼を乗り越え彼がいなくても(メソッドが)生きていけることを願って、最晩年の20年を子どもたちの教育事業に捧げたのだろう。そしてこれらの活動が継続している以上、ブルーノ・ムナーリはそのための前提条件を残していったと言えるだろう。
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