411.ムナーリの人新世(20世紀の化石)2024年04月14日 19:49

ミラノの「スパツィオ・ムナーリ」ではムナーリの新しい企画展がはじまったそうです(MUNARIAのミケーラさんが教えてくれました)。

ムナーリが1950-60年代に発表したアート作品「二十世紀の化石(Fossili del 2000)」を中心にした展示で、展覧会の題名「BRUNO MUNARI ANTROPOCENE」とは「ムナーリの人新世」という意味になります。
ウィキによれば「人新世とは、人類が地球の地質や生態系に与えた影響に注目して提案されている地質時代における現代を含む区分である。人新世の特徴は、地球温暖化などの気候変動、大量絶滅による生物多様性の喪失、人工物質の増大、化石燃料の燃焼や核実験による堆積物の変化などがあり、人類の活動が原因とされる。」と説明されています。

作品は電子部品などの部品がアクリルブロックの中に封入されたもので、現代社会が生み出す「ゴミ」が未来の化石になるだろう…というムナーリの皮肉が込められているようです。

展覧会場の解説パネルの一部内容を、ざっくりと紹介してみます。

Non ci si pensa mai, tanto siamo ossessionati dal presente, ma già ora, qui, noi siamo materia in fieri per gli archeologi del futuro. Siamo un primate africano di grossa taglia comparso sul pianeta Terra solo duecento millenni fa, Sono passate soltanto 8000 generazioni, 8000 passaggi di madre in figlio, da quando i primi pionieri della specie "Homo sapiens" cominciarono a migrare nel mondo, Eppure, abbiamo già lasciato tracce che rimarranno per milioni di anni, Siamo i fossili di domani.
今ここでさえ、私たちは未来の考古学者にとって重要な存在なのだ。 私たち、つまりわずか200万年前に地球上に出現したアフリカの大型霊長類「ホモ・サピエンス」という種の最初のパイオニアが世界中を移動し始めてからわずか8000世代、8000の親子の交代しか経ていないが、私たちはすでに何百万年も残る痕跡を残している、私たちは未来の化石なのだ。
Negli strati geologici dell'Antropocene, gli studiosi di un futuro remoto dissotterreranno una poltiglia indifferenziata di plastiche e transistor, micro-chip, valvole radio, bulloni e lattine, ceramiche e bronzi, acciai, vetri, asfalti e cementi, gas serra, isotopi radioattivi, cattedrali e grandi muraglie, montagne di ossa di polli, ovini, suini e bovini, Oggi poi, mentre l'orologio dell'apocalisse sfiora pericolosamente la sua Ora X, stiamo alacremente lavorando alla nostra auto-candidatura come soggetti di un'archeologia post-umana. 遠い未来の学者たちが、人新世の地層からプラスチックやトランジスタ、マイクロチップ、無線バルブ、ボルトやブリキ缶、セラミックやブロンズ、鋼鉄、ガラス、アスファルトやセメント、温室効果ガス、放射性同位元素など、未分化のドロドロしたものを発掘するだろう、 黙示録の時計が危険なX時刻に近づいている今日、私たちはポスト・ヒューマン考古学の対象として自分たちの候補者探しに奔走しているようだ。 Ma non sarà facile finire in un Museo alieno. Ammirando questi geniali e visionari reperti artistici combinatori di Bruno Munari, vien da pensare a quanta fortuna ci vuole per diventare campioni per archeologi. Non basta il metacrilato, La tecnologia invecchia presto e il futuro di questi oggetti immaginati nel 1959, ovvero l'anno 2000, per noi è già un passato vintage.
しかし宇宙人たちの博物館にたどり着くのは容易なことではない。ブルーノ・ムナーリの独創的で先見の明のある芸術的な組み合わせの人工物を眺めていると、考古学者のチャンピオンになるにはどれほどの幸運が必要なのだろう?と思わせられる。メタクリル酸塩だけでは不十分で、技術はすぐに古くなり、1959年に想像されたこれらのオブジェの未来だった2000年は私たちにとってはすでに骨董品の過去だ。

Sul lungo periodo, solo una combinazione altamente improbabile di fattori di conservazione e sedimentazione permetterà a un artefatto umano o a un nostro ossicino di essere studiato dai paleontologi del futuro lontano.
長い目で見れば、遠い未来の古生物学者が人間の遺物や小さな骨を研究できるようになるのは、保存と堆積の要因の極めてありえない組み合わせだけだ。
Sarà davvero un privilegio, perché poi quelle menti postume si interrogheranno costruttivamente su ciò che circonda quel fossile, sul suo enigmatico significato, sulla sua origine incerta e l'uso ignoto, Soprattutto, proporranno ricostruzioni teoriche su ciò che non lascia tracce: le parole e i pensieri di popoli sconosciuti. Proprio come succede quando ciascuno di noi, liberamente, riempie di senso una scrittura illeggibile o un collage di Munari, rendendoli opera collettiva.
それは実に特権的なことだろう。なぜなら遺された未来の人々は、その化石を取り巻くものやその謎めいた意味、不確かな起源、未知の用途について建設的な疑問を投げかけ、とりわけ痕跡を残さないもの:未知の民族の言葉(※ムナーリの別の作品タイトル)や思考について理論的な再構築を提案するからだ。私たち一人一人が読みにくい手書き文字やムナーリのコラージュに自由に意味を込めてコレクティブな作品にするのと同じように。 Noi infatti abbiamo immaginazione e fantasia, quelle che mancano ai virus e agli asteroidi, Facciamo esistere quel che prima non c'era e possiamo sceglierci un futuro diverso. Il meglio che possiamo fare dunque, in mezzo a tutta questa evanescente incertezza e alla finitudine che ci accomuna, è salvarci mantenendo vivo il Museo immaginario di Munari stesso, archeologia gioiosa della creatività di "Homo sapiens"!
私たちは、ウイルスや小惑星がもっていない想像力とファンタジーをもっていて、 以前には存在しなかったものを存在させ自分たちのために異なる未来を選択することができる。この儚い不確実性と私たちを結びつける有限性の中で、私たちにできる最善のことはムナーリ自身のイマジナリーミュージアムを存続させ、「ホモ・サピエンス」の創造性を楽しく考古学することによって私たち自身を救うことなのだ!
Telmo Pievani, 2024
(テルモ・ピエヴァーニ:イタリアの若手哲学者)

407.ムナーリと葛飾北斎2024年03月21日 20:15

omaggio a Hokusai
2024年3月に北米のオークションハウスで葛飾北斎の「富嶽三十六景」一式(全46図)が355万9千ドル(約5億3700万円)で落札されたという話題がニュースから流れてきました。
ミラノの「スパツィオ・ムナーリ」では2024年2月にムナーリの複写機を使った作品「ゼログラフィア」が展示されていたのですが、その中にも北斎の作品に対するオマージュがあったことを思い出しました。ギャラリーの壁で複写機によって大胆にゆがめられた北斎の「波」の横には、ムナーリの言葉が記されていました。

Ho invitato l'amico e collega
Katsuita Hokusai a giocare con me
dando spinte elettrostatiche alla sua famosissima onda
per accompagnare con movimenti e suoni questa straordinaria produzione del mare che presento in questo libretto.
Hokusai non era soltanto un pittore aveva curiosità leonardesche si interessava di architetture di machine strane di costumi si divertiva a fare strabilianti caricature (io l'ho conosciuto quando lui era già andato a curiosare nell'altro mondo).
Grazie caro amico, grazie del tuo insegnamento allegro.

Bruno Munari, Il mare come artigiano,
Corraini Edizioni, 1995

私は友人であり同僚でもある
葛飾北斎を遊びに誘った(パネルでは綴りが「カツイタ」になっていましたが…)
かの有名な波に電磁の一押しを加えながら
この小さな本で紹介する彼の海の驚異的な演出に、動きと音を添えるために。
北斎は画家であるだけでなく、レオナルド(ダ・ヴィンチ)のように建築や奇妙な機械や衣装に興味をもち、驚くべき風刺画を描いて楽しんだ(私が彼を知ったのは、彼がすでにあの世を探索しに行ったあとだ)。
ありがとう我が友、君の陽気な教えに感謝している。

396.パルマの僧院で2024年02月22日 21:05

パルマ大学視覚伝達研究センター(CSAC)
一つ前のトピックで紹介したイタリア・パルマの展覧会を、イタリアで会った方々のご厚意で見ることができました。
厳密にはムナーリ個人の展覧会ではなく、パルマ大学視覚伝達研究センター(CSAC)のアーカイブ・コレクションを元にした20世紀のアートとファッション、デザインなど領域をまたいだ企画展でした。その中にムナーリの作品も複数展示されていた、ということです。
ムナーリは自身のデザインワークに関する資料の多くをCSACに寄贈していたようです。
会場はパルマの市街からかなり離れた郊外にぽつんとたたずむ古い大きな教会跡で、説明によるとスタンダールの小説『パルムの僧院』とも関係があるとか。

395.ムナーリの展覧会(2024パルマ)2024年01月27日 23:30

先日はイタリアのムナーリ展情報を見つけた!とぬか喜び(2023年の展覧会でした)をしてしまいましたが、あらためて調べてみると2024年1月20日からパルマ大学のコミュニケーション研究センター(CSAC)で、「(不)可能なビジョン。(Visioni (im)possibili.)」と題した展覧会が開催されるようです。
パルマ大学のコミュニケーション研究センターはムナーリのビジュアルコミュニケーションに関する豊富なコレクションを所蔵して、カタログも出版されていたはずです。
近いうちにイタリアまで調査出張を予定しているので、できれば足を運んでみたいと思っています…。
“Visioni (im)possibili. Comunicazione, utopia, progetto nelle collezioni CSAC

394. ムナーリの展覧会(2023)2024年01月02日 22:02

Mostra Munari a Vimercate, 2024
イタリアではムナーリの展覧会が開催されるという記事が紹介されていました。
ヴィメルカーテという、ミラノからあまり遠くない町のMUSTという美術館だそうです。
…記事を見つけたのが新年だったので2024かと勘違いしていましたが残念、2023年1月から4月とのこと、すでに終了していました…
Mostra Munari a Vimercate, 2023
https://www.museomust.it/munari/

388.「芸術の軽やかさ」(展覧会)2023年10月13日 05:26

La leggerezza dell'arte
ヴェローナという、北イタリアのミラノとヴェネチアの中間あたりにある街でムナーリの展覧会がはじまったそうです(ヴェローナはシェイクスピアの「ロメオとジュリエット」の舞台にもなっている、古代ローマ起源の美しい街です)。
「芸術の軽やかさ(La leggerezza dell'arte)」というタイトルがついているので、ムナーリのアートワークを中心にしたものでしょう。同じ時期にヴェローナの見本市会場ではアートフェア(アート作品の見本市)があるようです。
展覧会会場のギャラリーが「Eataly Art House Verona」とあるので、日本でも展開しているイタリア食材のブランディング「Eataly」と関係があるのかもしれません。
2023年10月13日から2024年3月末までの展示だそうです。

387.ミラノの「スパツィオ・ムナーリ」2023年10月09日 22:43

ミラノの「スパツィオ・ムナーリ」
しばらく前、ミラノに新たなムナーリに関するスペースができる、というニュースがSNSから流れてきましたが、プレリリースの通りにミラノにあるコライーニ社のテンポラリー・ブックショップ(以前からミラノ・サローネなどイベントの期間にオープンしていたお店)の空間が、「スパツィオ・ムナーリ(ムナーリの空間)」と名付けられてリニューアルしたようです。
イタリアのアートニュースの記事によると、オープン記念の展覧会「小さな家族的なものたち」という、ムナーリのお孫さんたちのコレクションを中心とした展示がおこなわれているとのこと。
アートニュースの記事に添えられた「スパツィオ・ムナーリ」の写真を見ると、本棚には少なくとも三冊の日本で出版されているムナーリの作品集が並べられています…

384.パオラ・アントネッリ、ムナーリとテクノロジーを語る2023年06月27日 10:12

東京都で最初に区立美術館として生まれた板橋区立美術館では、例年イタリア・ボローニャの国際絵本見本市(正確には児童書見本市、ということのようです)の入選作品原画展を開催しています。
今年もつい先日から会期が始まり、8月半ばまで世界各国の絵本作家の原画が楽しめるようです。
https://www.city.itabashi.tokyo.jp/artmuseum/4000016/4001737/4001741.html

ムナーリのご縁で内覧会を拝見するチャンスがあり、あわせて頂いた2023年の図録を眺めていたところ、巻末にMoMA(ニューヨーク近代美術館)のパオラ・アントネッリのインタビューがありました。アントネッリはミラノ工科大学を経てアメリカでアートとデザインのキュレーターとして活躍している人物です。
「バオラ・アントネッリ(Paola Antonelli)ミラノエ科大学て学んだ建築家てあり、デザイン界の”ラ・バッショナリア(受難者、または情熱の花) ”。タイム誌による「世界で最も先見の明がある25人」に選出され、スミソニアン協会のナショナル・デザイン・アワードではデザイン・マインド賞を受賞。USアートディレクターズクラブに殿堂入りしたほか、AIGA (アメリカ・グラフィック・アーツ協会) 賞、 ロンドンデザイン賞、 ドイツデザイン賞など受賞歴多数。 1994年からニューヨーク近代美術館 (以下、 MOMA) のメンバーに加わり、 建築・デザイン部門のシニアキュレーターを務める。」

アントネッリは(数年前のミラノでの講演で)「ブルーノ・ムナーリなら、この現代世界でどんなことをしていただろう?」という問いに触れ、今回のインタビューで「ムナーリは、紙の本とオンラインプラットフォームを融合させるための能力を身につけていたに違いありません。あらゆるデジタルの可能性を発揮できるように、と。それから、おそらくAlも活用しようとするでしよう。」と付け加えていました。
アントネッリのムナーリ像は、ムナーリの停滞することのない創造性を言い表している、と思います。

383.コカ・フリジェリオ、ムナーリを語る2023年06月03日 18:57

『ムナーリについて(Su Munari)』という、様々な分野でムナーリと関わった人たちの証言をまとめた本の中に、先日物故したフリジェリオによるムナーリの思い出も紹介されていました。

「レッスンは続く…」
コカ・フリジェリオ
ブルーノ・ムナーリとの出会いは1970年代の初頭だった。私たちは1949年にさかのぼる読めない本の話をしたが、それは遊びがとても鮮やかでそこにはない対話の一部になっており、その視覚的あるいは触覚的なストーリーテリングが重要なものだ。
1945年の最初のモンダドーリ社の遊べる絵本にもイメージの発見に以下の文が添えられている。「トック・トック、誰かが来たよ、扉を開けて」と語りかけるように、小さな扉の向こうに驚きが隠されている。ムナーリは5歳の息子を楽しませるために絵を描いて読み聞かせたのがこの物語(絵本)の始まりだといった。
1997年トリエステのミラマーレ・スクールで開催された大規模な展覧会の際には透明なページの習作を見た小学生たちがこう言った:「ああ、わかったよ、なんて素敵なんだろう、私たちにもできるかも」。
その連続的(シーケンシャル)なイメージとしての「読めない本」というコンセプトは、1978年ミラノのスフォルツェスコ城で行われた初期の実験ワークショップから既に存在していた。その頃ムナーリはほとんど毎日グラフィックの素材選びに立ち会い、だいたい月に1、2回「おもしろい偽物」のバリエーションについてアイデアをまとめた冊子を作って置いていった。
1970年代後半から1980年代前半にかけて彼は語られる絵-本というコンセプトを展開した:この時には「イメージから物語へ」と題したワークショップが数多く開催された。それらは風景や城、雲などを型抜きしたページで、裏表紙にはポケットになったページがあり、本のページの中で動かせるキャラクターをしまっておくことができる本だった。
写真やコピーから作られた「読めない本」シリーズは、初めは初期のカラー複製技術の宣伝のために行われた「複写機との旅行」というワークショップに遡る。
そこから「挨拶とキスを」のような写真を切り貼りして再構成した楽しい小さな本が生まれたことは間違いない。それは現実から飛び出す練習なのだ。そのルールとは:逆さから読んだ文字、鏡のように繰り返されるモンタージュ、水平や垂直のストライプの挿入、いつも、無限のバリエーションがある。実際ムナーリが後から書き加えた添え書きは実質的に余計なものであり、イメージの驚きに加えられた楽しみだった。透明なシートが重なり合って展開する象徴的な絵本『たくさんのひとびと(Tanta gente)』(ダネーゼ社刊)のように彼の絵本はそのどれもが常に思考の展開を示唆していた。
わずかな要素が十通り、あるいは百通りの読み方の出来る物語を語るのだ、ご存じだろうか?緑の草むらがあり、そして小さなアリがいて、それから階段と、木がある...あるいは小さな橋があり、傘がある…というように。すべてのイメージは物語のつながりを持つことができる。透明なページはそこにある限り付け足したり減らしたりして、足りなくなったら他のものを補い、自分で作ることが出来る。
このように、以来ブルーノの偉大なメッセージは続いている。
私もまた、近くから遠くを見ることを、しるし(筆致)から始まる視覚的シーケンスを構築することを、(絵の具の)染みに縁取りすることで何かが生まれることを、最初に人物を次に物語を、視覚情報を多元化するために絵画の次元に理論的に入り込み技法を分離し一つずつ説明することなどを学んだ。すべての芸術家の本についてそのように語ることは出来ないだろうが、しかしブルーノ・ムナーリの本は並外れてシンプルな言葉と、デザイナーでありコミュニケーションの専門家としての自覚、そして人間関係への純粋な関心によって語り継がれるだろう。ある日、旅の彫刻(ムナーリの作品)を見ながら、私にはとどのつまりこのシンメトリーな作品が3次元の仮面か本のページのように見える、と彼に言った。
他の人なら(その感想に)気分を害したかもしれないが彼は微笑みながら私に言った:「あなたの頭脳は、この構造のビジョンを3次元の本のページに変換するという形状の類推のプロセスを作動させたね。では、あとは自分でもやってみるだけだ。」このレッスンは続いている…

LA LEZIONE CONTINUA…
Coca Frigerio
Ho conosciuto Bruno Munari nei primi anni '70. Parlammo dei libri illeggibili risalenti al 1949, in cui il gioco è evidentissimo e fa parte del dialogo che non c'è, ma è il racconto visivo o tattile il valore dell'oggetto che conta. Anche nei primi libri-gioco Mondadori del 1945 una sola frase accompagna la scoperta di un'immagine. La sorpresa è nascosta dietro una porticina come in Toc Toc, chi c'è, apri la porta. Munari diceva che erano state queste le prime storie che lui aveva raccontato disegnandole a suo figlio, per divertirlo, quando aveva cinque anni. Nel 1997, in occasione di una sua grande mostra realizzata alle Scuderie del Miramare di Trieste, alcuni ragazzi, delle scuole elementari, dopo avere osservato da vicino i suoi studi per le pagine trasparenti, dicevano: "Ah, ho capito, che bello, posso farlo anch'io". Il concetto del libro illeggibile come immagine in sequenza era già in atto fin dal primo laboratorio sperimentale tenuto al Castello Sforzesco di Milano nel 1978. Allora Munari era presente quasi giornalmente alla selezione del materiale grafico e in genere una o due volte al mese si costruivano libretti delle idee sulle varianti 'finteressanti", da accantonare. Dalla fine degli anni '70 ai primi anni '80 sviluppai il concetto del libro-immagine da raccontare: molti laboratori tenuti in quegli anni si intitolavano "Dall'immagine al racconto". Erano libri con pagine fustellate, ritagliate, sagomate con paesaggi, castelli, nuvole, con una pagina a tasca in retrocopertina per nascondere i personaggi da animare nelle pagine del libro. La serie di Libri illeggibili tratti da fotografie o fotocopie si può far derivare dai laboratori che si chiamavano Viaggi con la macchina fotocopiatrice, fatti all'inizio per reclamizzare le prime riproduzioni a colori. Certo da lì sono nati in seguito quei deliziosi librini tratti da montaggi di foto ritagliate e ricomposte come Saluti e baci. Esercizi di evasione. Le regole erano: la lettura dell'immagine capovolta, il montaggio ripetuto specularmente, l'inserto a strisce orizzontali o verticali, le varianti infinite, come sempre. Infatti le piccole scritte aggiunte poi da Munari sono praticamente superflue, un divertimento in più sulla sorpresa dell'immagine. Ogni suo libro-immagine suggerisce sempre uno sviluppo di pensiero, come Tanta gente, un libro simbolico svolto in fogli trasparenti sovrapponibili, edito da Danese. Pochi elementi che narrano una storia leggibile in decine e forse in centinaia di modi diversi, vi ricordate? ecco un ciuffo d'erba verde, poi una formichina, poi una scaletta, poi un albero... oppure, ecco un ponticello, poi un ombrello... Ogni immagine può avere un nesso da raccontare. Le pagine trasparenti si mettono o si tolgono, fin che ce n'è, e se mancano se ne faranno altre, inventate. Così da allora il grande messaggio di Bruno continua. Anch'io ho imparato a guardare da vicino e da lontano, a costruire sequenze visive partendo dai segni, a inquadrare le macchie che diventano qualcosa, un personaggio prima e una storia poi, a entrare idealmente nelle dimensioni di un quadro per separare le tecniche e descriverle una alla volta al fine di moltiplicare le informazioni visive. Forse non tutti i libri d'artista si possono raccontare, ma i libri di Bruno Munari sì, per la sua straordinaria semplicità di linguaggio, per la sua consapevolezza di designer e di tecnico della comunicazione, oltre che per il vero interesse che metteva nei rapporti umani. Guardando le Sculture da viaggio mi sono permessa un giorno di dirgli che, tutto sommato, quelle simmetriche sembravano maschere o pagine di un libro in terza dimensione. Forse un'altra persona si sarebbe offesa, lui invece si è limitato a sorridere e mi ha detto: "Vedi, il tuo cervello ha operato un processo di analogia della forma trasformando la visione di questa struttura in una pagina di libro tridimensionale. Ora non ti resta che provare a farlo". La lezione continua...
(Beppe Finessi, "Su Munari," Abitare Segesta Cataloghi, 1999)

382.訃報2023年06月02日 05:47

イタリアのブルーノ・ムナーリ協会(ABM)のSNSで、ムナーリの初期ワークショップ協力者の一人だったコカ・フリジェリオさんが亡くなったと報じられていました。

この方はムナーリのブレラ美術館での最初のワークショップ(1977)以来ムナーリの教育活動に協力しただけでなく、その後はレッジョ・エミリアで教師たちに劇あそび(人形劇?)の指導などもされていたようです。
ムナーリが監修した表現教育に関する本の著者として、また独自の絵本やアートワーク活動などでも活躍していました。
ご冥福をお祈りします。
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このブログについて

イタリアの芸術家+デザイナー+教育者、ブルーノ・ムナーリのことなどあれこれ。
こちらにもいろいろ紹介しています(重複有)https://fdl-italform.webnode.jp/

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