384.パオラ・アントネッリ、ムナーリとテクノロジーを語る2023年06月27日 10:12

東京都で最初に区立美術館として生まれた板橋区立美術館では、例年イタリア・ボローニャの国際絵本見本市(正確には児童書見本市、ということのようです)の入選作品原画展を開催しています。
今年もつい先日から会期が始まり、8月半ばまで世界各国の絵本作家の原画が楽しめるようです。
https://www.city.itabashi.tokyo.jp/artmuseum/4000016/4001737/4001741.html

ムナーリのご縁で内覧会を拝見するチャンスがあり、あわせて頂いた2023年の図録を眺めていたところ、巻末にMoMA(ニューヨーク近代美術館)のパオラ・アントネッリのインタビューがありました。アントネッリはミラノ工科大学を経てアメリカでアートとデザインのキュレーターとして活躍している人物です。
「バオラ・アントネッリ(Paola Antonelli)ミラノエ科大学て学んだ建築家てあり、デザイン界の”ラ・バッショナリア(受難者、または情熱の花) ”。タイム誌による「世界で最も先見の明がある25人」に選出され、スミソニアン協会のナショナル・デザイン・アワードではデザイン・マインド賞を受賞。USアートディレクターズクラブに殿堂入りしたほか、AIGA (アメリカ・グラフィック・アーツ協会) 賞、 ロンドンデザイン賞、 ドイツデザイン賞など受賞歴多数。 1994年からニューヨーク近代美術館 (以下、 MOMA) のメンバーに加わり、 建築・デザイン部門のシニアキュレーターを務める。」

アントネッリは(数年前のミラノでの講演で)「ブルーノ・ムナーリなら、この現代世界でどんなことをしていただろう?」という問いに触れ、今回のインタビューで「ムナーリは、紙の本とオンラインプラットフォームを融合させるための能力を身につけていたに違いありません。あらゆるデジタルの可能性を発揮できるように、と。それから、おそらくAlも活用しようとするでしよう。」と付け加えていました。
アントネッリのムナーリ像は、ムナーリの停滞することのない創造性を言い表している、と思います。

383.コカ・フリジェリオ、ムナーリを語る2023年06月03日 18:57

『ムナーリについて(Su Munari)』という、様々な分野でムナーリと関わった人たちの証言をまとめた本の中に、先日物故したフリジェリオによるムナーリの思い出も紹介されていました。

「レッスンは続く…」
コカ・フリジェリオ
ブルーノ・ムナーリとの出会いは1970年代の初頭だった。私たちは1949年にさかのぼる読めない本の話をしたが、それは遊びがとても鮮やかでそこにはない対話の一部になっており、その視覚的あるいは触覚的なストーリーテリングが重要なものだ。
1945年の最初のモンダドーリ社の遊べる絵本にもイメージの発見に以下の文が添えられている。「トック・トック、誰かが来たよ、扉を開けて」と語りかけるように、小さな扉の向こうに驚きが隠されている。ムナーリは5歳の息子を楽しませるために絵を描いて読み聞かせたのがこの物語(絵本)の始まりだといった。
1997年トリエステのミラマーレ・スクールで開催された大規模な展覧会の際には透明なページの習作を見た小学生たちがこう言った:「ああ、わかったよ、なんて素敵なんだろう、私たちにもできるかも」。
その連続的(シーケンシャル)なイメージとしての「読めない本」というコンセプトは、1978年ミラノのスフォルツェスコ城で行われた初期の実験ワークショップから既に存在していた。その頃ムナーリはほとんど毎日グラフィックの素材選びに立ち会い、だいたい月に1、2回「おもしろい偽物」のバリエーションについてアイデアをまとめた冊子を作って置いていった。
1970年代後半から1980年代前半にかけて彼は語られる絵-本というコンセプトを展開した:この時には「イメージから物語へ」と題したワークショップが数多く開催された。それらは風景や城、雲などを型抜きしたページで、裏表紙にはポケットになったページがあり、本のページの中で動かせるキャラクターをしまっておくことができる本だった。
写真やコピーから作られた「読めない本」シリーズは、初めは初期のカラー複製技術の宣伝のために行われた「複写機との旅行」というワークショップに遡る。
そこから「挨拶とキスを」のような写真を切り貼りして再構成した楽しい小さな本が生まれたことは間違いない。それは現実から飛び出す練習なのだ。そのルールとは:逆さから読んだ文字、鏡のように繰り返されるモンタージュ、水平や垂直のストライプの挿入、いつも、無限のバリエーションがある。実際ムナーリが後から書き加えた添え書きは実質的に余計なものであり、イメージの驚きに加えられた楽しみだった。透明なシートが重なり合って展開する象徴的な絵本『たくさんのひとびと(Tanta gente)』(ダネーゼ社刊)のように彼の絵本はそのどれもが常に思考の展開を示唆していた。
わずかな要素が十通り、あるいは百通りの読み方の出来る物語を語るのだ、ご存じだろうか?緑の草むらがあり、そして小さなアリがいて、それから階段と、木がある...あるいは小さな橋があり、傘がある…というように。すべてのイメージは物語のつながりを持つことができる。透明なページはそこにある限り付け足したり減らしたりして、足りなくなったら他のものを補い、自分で作ることが出来る。
このように、以来ブルーノの偉大なメッセージは続いている。
私もまた、近くから遠くを見ることを、しるし(筆致)から始まる視覚的シーケンスを構築することを、(絵の具の)染みに縁取りすることで何かが生まれることを、最初に人物を次に物語を、視覚情報を多元化するために絵画の次元に理論的に入り込み技法を分離し一つずつ説明することなどを学んだ。すべての芸術家の本についてそのように語ることは出来ないだろうが、しかしブルーノ・ムナーリの本は並外れてシンプルな言葉と、デザイナーでありコミュニケーションの専門家としての自覚、そして人間関係への純粋な関心によって語り継がれるだろう。ある日、旅の彫刻(ムナーリの作品)を見ながら、私にはとどのつまりこのシンメトリーな作品が3次元の仮面か本のページのように見える、と彼に言った。
他の人なら(その感想に)気分を害したかもしれないが彼は微笑みながら私に言った:「あなたの頭脳は、この構造のビジョンを3次元の本のページに変換するという形状の類推のプロセスを作動させたね。では、あとは自分でもやってみるだけだ。」このレッスンは続いている…

LA LEZIONE CONTINUA…
Coca Frigerio
Ho conosciuto Bruno Munari nei primi anni '70. Parlammo dei libri illeggibili risalenti al 1949, in cui il gioco è evidentissimo e fa parte del dialogo che non c'è, ma è il racconto visivo o tattile il valore dell'oggetto che conta. Anche nei primi libri-gioco Mondadori del 1945 una sola frase accompagna la scoperta di un'immagine. La sorpresa è nascosta dietro una porticina come in Toc Toc, chi c'è, apri la porta. Munari diceva che erano state queste le prime storie che lui aveva raccontato disegnandole a suo figlio, per divertirlo, quando aveva cinque anni. Nel 1997, in occasione di una sua grande mostra realizzata alle Scuderie del Miramare di Trieste, alcuni ragazzi, delle scuole elementari, dopo avere osservato da vicino i suoi studi per le pagine trasparenti, dicevano: "Ah, ho capito, che bello, posso farlo anch'io". Il concetto del libro illeggibile come immagine in sequenza era già in atto fin dal primo laboratorio sperimentale tenuto al Castello Sforzesco di Milano nel 1978. Allora Munari era presente quasi giornalmente alla selezione del materiale grafico e in genere una o due volte al mese si costruivano libretti delle idee sulle varianti 'finteressanti", da accantonare. Dalla fine degli anni '70 ai primi anni '80 sviluppai il concetto del libro-immagine da raccontare: molti laboratori tenuti in quegli anni si intitolavano "Dall'immagine al racconto". Erano libri con pagine fustellate, ritagliate, sagomate con paesaggi, castelli, nuvole, con una pagina a tasca in retrocopertina per nascondere i personaggi da animare nelle pagine del libro. La serie di Libri illeggibili tratti da fotografie o fotocopie si può far derivare dai laboratori che si chiamavano Viaggi con la macchina fotocopiatrice, fatti all'inizio per reclamizzare le prime riproduzioni a colori. Certo da lì sono nati in seguito quei deliziosi librini tratti da montaggi di foto ritagliate e ricomposte come Saluti e baci. Esercizi di evasione. Le regole erano: la lettura dell'immagine capovolta, il montaggio ripetuto specularmente, l'inserto a strisce orizzontali o verticali, le varianti infinite, come sempre. Infatti le piccole scritte aggiunte poi da Munari sono praticamente superflue, un divertimento in più sulla sorpresa dell'immagine. Ogni suo libro-immagine suggerisce sempre uno sviluppo di pensiero, come Tanta gente, un libro simbolico svolto in fogli trasparenti sovrapponibili, edito da Danese. Pochi elementi che narrano una storia leggibile in decine e forse in centinaia di modi diversi, vi ricordate? ecco un ciuffo d'erba verde, poi una formichina, poi una scaletta, poi un albero... oppure, ecco un ponticello, poi un ombrello... Ogni immagine può avere un nesso da raccontare. Le pagine trasparenti si mettono o si tolgono, fin che ce n'è, e se mancano se ne faranno altre, inventate. Così da allora il grande messaggio di Bruno continua. Anch'io ho imparato a guardare da vicino e da lontano, a costruire sequenze visive partendo dai segni, a inquadrare le macchie che diventano qualcosa, un personaggio prima e una storia poi, a entrare idealmente nelle dimensioni di un quadro per separare le tecniche e descriverle una alla volta al fine di moltiplicare le informazioni visive. Forse non tutti i libri d'artista si possono raccontare, ma i libri di Bruno Munari sì, per la sua straordinaria semplicità di linguaggio, per la sua consapevolezza di designer e di tecnico della comunicazione, oltre che per il vero interesse che metteva nei rapporti umani. Guardando le Sculture da viaggio mi sono permessa un giorno di dirgli che, tutto sommato, quelle simmetriche sembravano maschere o pagine di un libro in terza dimensione. Forse un'altra persona si sarebbe offesa, lui invece si è limitato a sorridere e mi ha detto: "Vedi, il tuo cervello ha operato un processo di analogia della forma trasformando la visione di questa struttura in una pagina di libro tridimensionale. Ora non ti resta che provare a farlo". La lezione continua...
(Beppe Finessi, "Su Munari," Abitare Segesta Cataloghi, 1999)

382.訃報2023年06月02日 05:47

イタリアのブルーノ・ムナーリ協会(ABM)のSNSで、ムナーリの初期ワークショップ協力者の一人だったコカ・フリジェリオさんが亡くなったと報じられていました。

この方はムナーリのブレラ美術館での最初のワークショップ(1977)以来ムナーリの教育活動に協力しただけでなく、その後はレッジョ・エミリアで教師たちに劇あそび(人形劇?)の指導などもされていたようです。
ムナーリが監修した表現教育に関する本の著者として、また独自の絵本やアートワーク活動などでも活躍していました。
ご冥福をお祈りします。

381.『イタリア語辞典別冊付録』60周年2023年05月14日 21:01

「イタリア人は両手を縛られるとしゃべれない」という笑い話?があって、要するにハンドサインや身ぶり手ぶりなしには、おしゃべりができない人たちなのだ、ということなのですが、確かにイタリア人の会話にはいろいろなハンドサインがつきものです。
この癖はかなり古くから認知されていたようですが、ムナーリは1963年に『イタリア語辞典別冊付録』と題してポピュラーなハンドサインを集めた本を作っています。
2023年は同書の出版60周年ということで、コッライーニ書店が記念のイベントをミラノで開催したという記事がイタリアの美術ジャーナルに紹介されていました。
ムナーリはこの本だけでは飽き足らず、1991年にハンドサインをフォークで表現した『ムナーリのフォーク』という本まで出しています…。

379.ムナーリの「本を着る服」2023年04月14日 06:07

「本を着る服」
ここ数年はコロナ・パンデミックの影響で開催時期が不規則だったミラノ・サローネ(国際家具見本市)が、以前と同じ4月に開催されるようです(2023年は4月18日から23日)。
かつてはデザインの仕事で毎年詣でていたのですが、振り返るともう10年以上のご無沙汰になってしまいました。
残念ながら今年も渡伊はかないませんが、ムナーリの著書を数多く出版しているコッライーニ社が、家具メーカーでないにも関わらず見本市にブックショップのブースを出展するそうです。
厳密にはサローネと同時期に隔年開催されるユーロルーチェ(国際照明器具見本市)のエリアでの出展、とのことですが、面白い試みだと思います。
何よりも展示の目玉が、ムナーリのデザインした「本を着る服(ベスト)」というのが興味深いところで、おそらくムナーリのスケッチを実際に着られる物として作ってみた、ということなのでしょう。

Quando nel 1992, in occasione della Fiera di Belgioioso, Maurizio Corraini ha chiesto a Bruno Munari di progettare un espositore che potesse far vedere i libri, Munari ha fatto un gilet. Quest'anno Corraini compie cinquant'anni e ci piaceva tra le varie cose cogliere l'occasione di rimettere in produzione questo progetto a cui teniamo molto e che adesso ricostruiamo grazie all'aiuto di Lenzing e in collaborazione con Blue of a Kind.
1992年のベルジョイオーゾの見本市の際マウリツィオ・コッライーニ(※コッライーニ社の創業者、ムナーリの友人)はブルーノ・ムナーリに本を見せるディスプレイのデザインを依頼し、ムナーリはこのベストを作りました。今年、コッライーニは設立50周年を迎えますが、私たちはこの機会に私たちが特に大切にしているこのプロジェクトを、レンツィング(Lenzing)の協力とブルー・オブ・ア・カインド(Blue of a Kind)とのコラボレーションにより、リプロダクションしたいと考えています。

https://www.cieloterradesign.com/editorial/milan-design-week/2023/pietro-corraini-al-b-b1c9e0
アクセス:2023.04.13.
もしかしたら、商品として販売されるのかもしれません。。。

375.芸術とデザインから教育へ2023年02月25日 22:42

「Grafica & Disegno」20号(1996)
ムナーリの特集記事が組まれたイタリアのデザイン雑誌「Grafica & Disegno」20号(1996)の資料を発見しました。
ムナーリの没年は1998年ですから、最晩年の記事と言って良いでしょう。
ムナーリの芸術家・デザイナー・教育者としてのムナーリの姿を編集長自身が分かりやすく解説していて、ムナーリが時代と社会の変化の中で、なぜ子どもの教育へ力を注ぐようになったのかを示唆する内容になっていましたので、その一部分をご紹介します。

Nel 1947 Milano é ancora ingombra di macerie. Anche delle arti del regime. Ma mentre la critica si attarda sul “chiarismo lombardo” o comincia a destreggiasi sulle tematiche del “realismo sociale” due artisti “concretisti” svizzeri, Max Huber e Max Bill, danno vita a una grande mostra d’arte con opere di Klee, Kandinsky’, Arp mettendole accanto a italiani come Veronesi, Rho, Sottsass jr e lo Stesso Munari. In pratica aprono la strada al concretismo italiano. L'anno dopo Saldati, Munari, Dorfres e Monet fondano il Movimento Atte Concreta. E’ il MAC, che tenta di portare avanti il concetto di “sintesi delle arti” e di riconciliare Industrial design, architettura e arti visive. In questo movimento Munari ha un ruolo di primo piano e ne sarà presidente nel 1953. L'esperienza si concluderà nel 1958 dopo alterne Vicende. Ma fin dall'inizio nel Movimento aleggia una domanda: come pretendete che il pubblico si interessi di movimenti pittorici o plastici quando è abituato a vedere tutto concretamente risolto al cinema, nella pubblicità, nei grandi Spazi reclamistici delle fiere internazionali… l' arte dunque morta o ha cambiato aspetto senza che molti Se ne accorgono?
La risposta del MAC non era la fine dell'arte, bensi’ un cambio di indirizzo. “… è qui che va cercata. Al vecchio non risponde più”.
1947年(第二次大戦後)のミラノは、まだ瓦礫で散らかっていました。(ファシズム)政権の芸術もまた同じでした。しかし批評家たちは「ロンバルディア・キアリスモ」(※1930年代ミラノで生まれた絵画芸術運動)にこだわり、また「社会的リアリズム」のテーマに向かう中で、マックス・フーバーとマックス・ビルという2人のスイス人の「具体主義」芸術家が、クレー、カンディンスキー、アルプの作品を集めた大きな美術展を企画し、そこにベロネージ、ロー、ソットサスJr、そして同じくムナーリといったイタリアの芸術家たちの作品を並べました。実際、彼らはイタリアの具体主義の道を開いたのです。翌年、サルダーティ、ムナーリ、ドルフレス、モネの4人は、「具体芸術運動」(※MAC)を設立しました。これは「芸術の総合」という概念を継承して工業デザイン、建築、視覚芸術を調和させようとするもので、MACと呼ばれました。ムナーリはこの運動で主導的な役割を担い、1953年にはその会長に就任しています。この活動は紆余曲折の後、1958年に終了しました。しかしこの運動には、始めからある疑問が漂っていました:映画や広告や国際見本市の巨大な広告の世界ですべてが具体的に解決されるのを見慣れている大衆が、どうして絵画や造形運動に関心を持つと期待できるのか…したがって、芸術は死んだか、人々が気づかないうちに姿を変えてしまったのか…? MACの出した答えは、アートの終焉ではなく方向性の転換でした。「…こっちが(新たに)探されるべき場所なのだ。古いものはもう応えてくれない」。
Il suo invito ai colleghi è chiaro in un articolo dal titolo "L'Arte è un mestiere". "Uscite dallo studio - scrive nel 1950 - e guardate le strade, quanti colori stonati, quante vetrine potrebbero essere più belle, quante insegne di cattivo gusto, quante forme plastiche sbagliate… Perchè non intervenire? Perchè non contribuire a migliorare l'aspetto estetico del mondo nel quale viviamo assieme al pubblico che non ci capisce e non sa che farsene della nostra arte? "Pensate quanto ci sarebbe da fare, quanti oggetti, quante cose aspettano intervento dell'artista…”
彼が仲間に呼びかけたことは、「芸術としてのデザイン」と題された文章の中に明確に表されています。「工房から出て - 1950年に書かれたものです - 、街を見よう、どれだけ調和のない色があるか、どれだけもっと美しくできるショーウィンドウがあるか、どれだけ趣味の悪い看板が存在するか、どれだけ間違ったプラスチックの形があるか…なぜそこに介入しないのか? 私たちを理解せず、私たちのアートをどう扱っていいかわからない一般の人たちと一緒に、私たちの住む世界の美観を向上させることに貢献しようではないか?」 「どれだけやるべきことがあるか、どれだけアーティストによる介入を待っているものがあるか、考えようではないか…」。

この記事では深く触れられていませんが、ムナーリが1950〜60年代にアートとデザインを通じて世の中の消費主義の暴走に歯止めをかけようとする試みはあまり成功しなかったようです。
その幻滅が、ムナーリを子どもへの希望とその創造性を育む教育へと向かわせた、とアルド・タンキスはムナーリの作品集の中で分析しています。

374.アンコーナの美術館の映画2023年02月21日 17:23

これまでムナーリの本を日本に紹介してこられた編集者の方から「手でふれてみる世界」という映画について教えていただき、東京・田端のミニシアターで鑑賞してきました。
直接的にはムナーリは関係していない内容の映画ですが、映画で紹介されているアンコーナのオメロ国立触覚美術館とは、2020年にムナーリとモンテッソーリの合同企画展が開催されたミュージアムです。
ムナーリは「触覚のワークショップ」以外にも「目の見えない少女のための手紙」という触って「読む」オブジェを作っていますし、映画の中にもムナーリの展覧会の様子がちらっと紹介されています。
目の見えないご夫婦が作り上げたというこのミュージアムでは、すべての展示作品(主にイタリアの古今の彫刻作品のリプロダクションのようです)を触って鑑賞することができるそうです。
美術館は視覚に障害のある人たちに対して門戸を閉ざしている、という指摘は、確かにそうかもしれません。イタリアではオメロ美術館とローマのパラティーノ美術館だけが作品のほとんどに触れることができるそうですが、それ以外の美術館でも触って作品を鑑賞する試みは広がっているようです。
映画の最後にはペーザロの広場にあるベンチと一体化した彫刻作品に触れながら、オメロ美術館館長のグラッシーニさんと彫刻家のヴァンジさんが「アートは人々の(生活する空間の)中にあるのが良いのです。特に子どもたちは、生活の中で美に触れるべきです」という会話を交わしていました。
美を感じること、生の喜びを感じることは、障害のある人にとってもそうでない人にとっても大切なことだと感じる素敵な映画でした。
https://le-mani.com/ (2022年製作/60分/日本)

この映画を監督した岡野さんは静岡にあるヴァンジ彫刻庭園美術館の副館長さんだそうです。ヴァンジ美術館は過去にムナーリの展覧会が開催されたところでもありますが、現在は閉館中で今後の存続が検討されているとのこと。美術館の再開を期待します。

368.具体芸術運動(M.A.C.)2022年12月22日 07:04

M.A.C.
ムナーリは1947年、具体芸術運動(MAC: Movimento Arte Concreta)という芸術運動の結成に参加しています。
この運動には日本でも知られている芸術家ルーチョ・フォンタナやデザイナーのエットーレ・ソットサスなども参加していたようです。
MACの活動を伝える冊子が発行されていたようで、その(Giorgio Maffeiによる)研究書も存在するのですが、ムナーリが第8号の冊子の中でジョン・デューイの著作について評論を発表していることが分かっています。
残念なことに現在国内でこの資料を閲覧する方法が見つかりません。
欧米では古書市場にこの手のコレクションが流通しているのですが、MACの冊子合本のレートが驚くことに5000〜6000英ポンド、80万円超えになることに打ちのめされています…
個人的な備忘のためにリンクをここに記録します;
https://www.abebooks.co.uk/Raccolta-serie-bollettino-arte-concreta-8-15/30950826968/bd

365.「旅の彫刻」の本2022年10月16日 21:11

ムナーリの多くの本を現在も出版しているコッライーニ社から、面白い本が出ていました。
ムナーリの「旅の彫刻」という折り紙細工のような彫刻作品をアメリカのデザイナーDavid A. Carterが「飛び出す絵本」に仕立て直したものです。
国内で取り扱っているネットショップ「フィネサ・ブックス」から購入できたのですが、現在は品切れとのこと。

https://www.fineza-col.com/product/1582

コッライーニ社のウェブページから注文することもできそうです(英語でクレジット決済が可能です)。

https://corraini.com/en/le-sculture-da-viaggio-di-munari.html

364.ムナーリの言葉(『芸術の定義』より)2022年10月10日 05:54

芸術と技法

バッハとオルガン
イエス
バッハとマンドリン
ノー
どの芸術にもそれぞれ(適した)技法がある
どの技法にもそれぞれ(適した)芸術がある
どの時代にも(適した)技法がある

新しい技法
新しい芸術のかたち

芸術は技法ではない
技法は芸術ではない

Arte e tecnica
Organo e bach
si'
mandolino bach
no
ogni arte ha la sua tecnica
ogni tecnica ha la sua arte
ogni epoca ha le sue tecniche

nuove tecniche
nuove forme d'arte

l'arte non e' la tecnica
la tecnica non e' l'arte

ART AND TECHNIQUE

Organ and bach
yes
mandlin and bach
no
each art has its own technique
each technique has its own art
each era has its own techniques

New techniques
new art forms

Art isn’t technique
technique isn’t art
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このブログについて

イタリアの芸術家+デザイナー+教育者、ブルーノ・ムナーリのことなどあれこれ。
こちらにもいろいろ紹介しています(重複有)https://fdl-italform.webnode.jp/

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