445.ブルーノ・ムナーリ・メソッドⓇのいま ― 2025年06月05日 16:14

ムナーリの子息アルベルト・ムナーリ教授の没後、イタリアのブルーノ・ムナーリ協会(ABM)代表を務めているスペラーティさんが「スタジオ…ブルーノ・ムナーリ」というウェブサイトを開設しています。
(「スタジオ・」ではなく「スタジオ…」となっているのには、何か意味があるのかもしれません)
「スタジオ…ブルーノ・ムナーリ」
スペラーティさんは数年前にも日本のTV番組を通じてムナーリ・メソッドⓇのワークショップを日本で実施されていました。
ムナーリ本人のワークショップに長年協力し、ムナーリ没後に協会を設立した方々は、前のトピックにご紹介したレステッリさん、スペラーティさんの他にも何人かご健在ですが、現在はそれぞれが独自に活動を展開されており、ムナーリ協会としての活動は事実上スペラーティさん個人の活動になっているようです。
いささか複雑な事情があるようですが、結果的に協会が立ち上げた「ムナーリ・メソッドⓇ」の研修や認定もスペラーティさんが一手に引き受けているようで、イタリアにおけるムナーリの教育の継承が今後どのようになっていくのか不透明な印象もあります…
(「スタジオ・」ではなく「スタジオ…」となっているのには、何か意味があるのかもしれません)
「スタジオ…ブルーノ・ムナーリ」
スペラーティさんは数年前にも日本のTV番組を通じてムナーリ・メソッドⓇのワークショップを日本で実施されていました。
ムナーリ本人のワークショップに長年協力し、ムナーリ没後に協会を設立した方々は、前のトピックにご紹介したレステッリさん、スペラーティさんの他にも何人かご健在ですが、現在はそれぞれが独自に活動を展開されており、ムナーリ協会としての活動は事実上スペラーティさん個人の活動になっているようです。
いささか複雑な事情があるようですが、結果的に協会が立ち上げた「ムナーリ・メソッドⓇ」の研修や認定もスペラーティさんが一手に引き受けているようで、イタリアにおけるムナーリの教育の継承が今後どのようになっていくのか不透明な印象もあります…
444.ムナーリ・メソッド・ワークショップのアーカイブ設立 ― 2025年05月11日 20:25

ムナーリのワークショップを1980年代から没後の今日まで受け継いできたベバ・レステッリさんのワークショップ活動のアーカイブが、2025年5月、ミラノ郊外の町アッビアーテグラッソにあるペル・レッジェレ財団に、正式に寄贈されました。
Donazione alla Fondazione Per Leggere del laboratorio di Beba Restelli condotto secondo il metodo Bruno Munari® ブルーノ・ムナーリ・メソッド®によるベバ・レステッリのワークショップがペル・レッジェレ財団に寄付される
Con indescrivibile emozione ho da poco sottoscritto a Milano dinnanzi al notaio Lorenzo Colizzi l’atto di donazione a Fondazione Per Leggere del Laboratorio di Beba Restelli, condotto secondo il Metodo Bruno Munari®
Grazie a questa donazione di inestimabile valore culturale, nei prossimi mesi trasferiremo presso la nostra sede di Palazzo Cittadini Stampa a Castelletto di Abbiategrasso questo luogo di ricerca, di creatività, di conoscenza, di sperimentazione, di scoperta e di autoapprendimento attraverso il gioco
私は今、ミラノの公証人ロレンツォ・コリッツィの前で、ブルーノ・ムナーリ・メソッド®によるベバ・レステッリのワークショップをPer Leggere財団への寄贈する証書に署名した。
計り知れない文化的価値を持つこの寄贈のおかげで、私たちは今後数ヶ月のうちに、この研究、創造性、知識、実験、発見、遊びを通しての自己学習の場を、カステッレット・ディ・アッビアーテグラッソのパラッツォ・チッタディーニ・スタンパの私たち財団施設に移管される。
Sarà il luogo privilegiato del “fare per capire”, dove si fa “ginnastica mentale” e si costruisce il sapere. Sarà anche un luogo di incontro educativo, formazione e collaborazione. Uno spazio dove sviluppare la capacità di osservare con gli occhi e con le mani per imparare a guardare la realtà con tutti i sensi.
そこは「理解するために行動する」特権的な場所であり、「頭の体操」が行われ、知識が構築される場所である。また、教育的な出会い、トレーニング、コラボレーションの場でもある。五感を使って現実を見つめることを学ぶために、自分の目と手で観察する能力を養うことができる空間である。
Saremo custodi attivi per realizzare i desideri di Beba Restelli, che qui trascrivo integralmente:
私たちは、ベバ・レステッリの遺志を実現するために、積極的な保護者となるだろう。
レステッリさんとはこの数年直接お目にかかってムナーリの教育について詳しく教えて頂いているのですが、このアーカイブについても準備のお話は聞いており、このたび正式にアーカイブが移管されて今後一般に何らかのかたちで公開されたり、新たなワークショップの拠点となる見込みとのことです。
ムナーリを直接知る世代の方々から、次世代の創造的な教育を目指す人たちへのバトンが受け渡されつつあると、期待していきたいものです。
Donazione alla Fondazione Per Leggere del laboratorio di Beba Restelli condotto secondo il metodo Bruno Munari® ブルーノ・ムナーリ・メソッド®によるベバ・レステッリのワークショップがペル・レッジェレ財団に寄付される
Con indescrivibile emozione ho da poco sottoscritto a Milano dinnanzi al notaio Lorenzo Colizzi l’atto di donazione a Fondazione Per Leggere del Laboratorio di Beba Restelli, condotto secondo il Metodo Bruno Munari®
Grazie a questa donazione di inestimabile valore culturale, nei prossimi mesi trasferiremo presso la nostra sede di Palazzo Cittadini Stampa a Castelletto di Abbiategrasso questo luogo di ricerca, di creatività, di conoscenza, di sperimentazione, di scoperta e di autoapprendimento attraverso il gioco
私は今、ミラノの公証人ロレンツォ・コリッツィの前で、ブルーノ・ムナーリ・メソッド®によるベバ・レステッリのワークショップをPer Leggere財団への寄贈する証書に署名した。
計り知れない文化的価値を持つこの寄贈のおかげで、私たちは今後数ヶ月のうちに、この研究、創造性、知識、実験、発見、遊びを通しての自己学習の場を、カステッレット・ディ・アッビアーテグラッソのパラッツォ・チッタディーニ・スタンパの私たち財団施設に移管される。
Sarà il luogo privilegiato del “fare per capire”, dove si fa “ginnastica mentale” e si costruisce il sapere. Sarà anche un luogo di incontro educativo, formazione e collaborazione. Uno spazio dove sviluppare la capacità di osservare con gli occhi e con le mani per imparare a guardare la realtà con tutti i sensi.
そこは「理解するために行動する」特権的な場所であり、「頭の体操」が行われ、知識が構築される場所である。また、教育的な出会い、トレーニング、コラボレーションの場でもある。五感を使って現実を見つめることを学ぶために、自分の目と手で観察する能力を養うことができる空間である。
Saremo custodi attivi per realizzare i desideri di Beba Restelli, che qui trascrivo integralmente:
私たちは、ベバ・レステッリの遺志を実現するために、積極的な保護者となるだろう。
レステッリさんとはこの数年直接お目にかかってムナーリの教育について詳しく教えて頂いているのですが、このアーカイブについても準備のお話は聞いており、このたび正式にアーカイブが移管されて今後一般に何らかのかたちで公開されたり、新たなワークショップの拠点となる見込みとのことです。
ムナーリを直接知る世代の方々から、次世代の創造的な教育を目指す人たちへのバトンが受け渡されつつあると、期待していきたいものです。
442.ムナーリとパウル・クレーの関係(タンキスの考察) ― 2025年04月12日 21:40

1987年に出版され2024年改訂版が出た、アルド・タンキスの編によるムナーリの作品集『BRUNO MUNARI』の中には、ムナーリとパウル・クレー(1879-1940)の共通点を論じている部分があります。
興味深いことに、二人の偉大な芸術家の共通点に東洋哲学への共感がある、という指摘がありました。
Aldo Tanchis, 2024(1987), "BRUNO MUNARI", Corraini Edizioni, Eng.ver., pp.102-104
So the two artists suggested that their students should avoid preconceived ideas and the rigid imitation of models; however it is important to practise the imitation of systems of construction and not the finished form, in order to learn to recognise 'what is flowing underneath, the prehistory of the visible.6 Hence there are different aspects to reality, which we are often incapable of seeing.
そうして二人の芸術家(クレーとムナーリ)は、教え子たちに先入観やモデルの正確な模倣を避けるように勧めたのだ; しかし「その下に流れているもの、目に見えるものの前にある歴史」を認識することを学ぶには、完成した形ではなく構築のシステムを模倣する練習をすることが重要になる。それゆえ、現実にはしばしば私たちには見ることのできない、さまざまな側面がある。
Therefore rigid metal schemes should not be allowed to get in the way of the stimulus that leads to creation; Munari suggested to his pupils that they should not think before they act, not let any ideas come before tackling a composition.
つまり硬直し金属的な計画が、創造につながる刺激の邪魔をしてはならないのだ; ムナーリは彼の弟子たちに、行動の前に考えすぎてはいけない、実際の構成に取り組む前にはどんなアイデアも思い浮かべるべきではない、と提案した。
A remark by the Zen philosopher Shen Hui is highly appropriate: 'If working with the mind is equivalent to disciplining one's own mind, how can this be called liberation?'. It is a way that sets up a dynamic equilibrium between rational and irrational (as we have already seen in many of Munari's works), an attempt to remain within the flow of life even while carrying out an artistic operation.
禅の哲学者である荷沢神会(※中国・唐代の禅僧)の言葉:「もし心を働かせることが自身の心を律することと等しいなら、どうしてこれを解放と呼べるだろうか」(※原典未確認)は、非常に適切なものだ。それは(ムナーリの作品の多くに見られるように)理性と非理性の間に動的な均衡を設定する方法であり、芸術的な作業を行いながら、人生の流れの中にとどまろうとする試みでもある。
In the hidden structures of nature, Munari and Klee are seeking the relationship between the artistic product, the artificial one and nature. For Klee the purpose of this investigation is to 'capture the image in the pure state', by looking for its archetype; for Munari it is the discovery of the ultimate structure of organic things, and its laws, in order to reveal its formal coherence and transpose it into the world of art and design. 自然の隠された構造について、ムナーリとクレーは芸術的な作品と人工的なもの、そして自然との関係を模索している。クレーにとってこの研究の目的はその原型を探すことにより「イメージを純粋な状態で捉える」ことにあった; ムナーリにとっての目的は、有機的なものの究極的な構造とその法則を発見することにあり、その形式的な一貫性を明らかにし、それを芸術とデザインの世界に移植することだった。
For both, in any case, 'the dialogue with nature remains the conditio sine qua non; the artist is man, he himself is nature, fragment of nature in the domain of nature’,7 as Klee has written. It is up to art to impose order on eternal movement, through a process that leads from quantity to quality, from chaos to order. An 'allegory of creation' Klee calls it; a 'parallel nature' notes Munari - by way of participation in nature, not opposition to it. The two artists also concur in pointing out that one may teach technique, the laws of creation and their exceptions, but not originality or art.
いずれにせよ、両者にとって、「自然との対話は”不可欠な条件”である; 芸術家は人間であり、彼自身は自然であり、自然の領域における自然の断片である」とクレーは書いている。量から質へ、混沌から秩序へと導くプロセスを通じて、永遠の運動に秩序を課すのは芸術の役割なのだ。クレーはそれを「創造の寓意」と呼び、ムナーリは「パラレルな自然」と指摘した。また二人の芸術家は、技術や創造の法則やその例外を教えることはできても、独創性や芸術を教えることはできない、という意見でも一致している。
興味深いことに、二人の偉大な芸術家の共通点に東洋哲学への共感がある、という指摘がありました。
Aldo Tanchis, 2024(1987), "BRUNO MUNARI", Corraini Edizioni, Eng.ver., pp.102-104
So the two artists suggested that their students should avoid preconceived ideas and the rigid imitation of models; however it is important to practise the imitation of systems of construction and not the finished form, in order to learn to recognise 'what is flowing underneath, the prehistory of the visible.6 Hence there are different aspects to reality, which we are often incapable of seeing.
そうして二人の芸術家(クレーとムナーリ)は、教え子たちに先入観やモデルの正確な模倣を避けるように勧めたのだ; しかし「その下に流れているもの、目に見えるものの前にある歴史」を認識することを学ぶには、完成した形ではなく構築のシステムを模倣する練習をすることが重要になる。それゆえ、現実にはしばしば私たちには見ることのできない、さまざまな側面がある。
Therefore rigid metal schemes should not be allowed to get in the way of the stimulus that leads to creation; Munari suggested to his pupils that they should not think before they act, not let any ideas come before tackling a composition.
つまり硬直し金属的な計画が、創造につながる刺激の邪魔をしてはならないのだ; ムナーリは彼の弟子たちに、行動の前に考えすぎてはいけない、実際の構成に取り組む前にはどんなアイデアも思い浮かべるべきではない、と提案した。
A remark by the Zen philosopher Shen Hui is highly appropriate: 'If working with the mind is equivalent to disciplining one's own mind, how can this be called liberation?'. It is a way that sets up a dynamic equilibrium between rational and irrational (as we have already seen in many of Munari's works), an attempt to remain within the flow of life even while carrying out an artistic operation.
禅の哲学者である荷沢神会(※中国・唐代の禅僧)の言葉:「もし心を働かせることが自身の心を律することと等しいなら、どうしてこれを解放と呼べるだろうか」(※原典未確認)は、非常に適切なものだ。それは(ムナーリの作品の多くに見られるように)理性と非理性の間に動的な均衡を設定する方法であり、芸術的な作業を行いながら、人生の流れの中にとどまろうとする試みでもある。
In the hidden structures of nature, Munari and Klee are seeking the relationship between the artistic product, the artificial one and nature. For Klee the purpose of this investigation is to 'capture the image in the pure state', by looking for its archetype; for Munari it is the discovery of the ultimate structure of organic things, and its laws, in order to reveal its formal coherence and transpose it into the world of art and design. 自然の隠された構造について、ムナーリとクレーは芸術的な作品と人工的なもの、そして自然との関係を模索している。クレーにとってこの研究の目的はその原型を探すことにより「イメージを純粋な状態で捉える」ことにあった; ムナーリにとっての目的は、有機的なものの究極的な構造とその法則を発見することにあり、その形式的な一貫性を明らかにし、それを芸術とデザインの世界に移植することだった。
For both, in any case, 'the dialogue with nature remains the conditio sine qua non; the artist is man, he himself is nature, fragment of nature in the domain of nature’,7 as Klee has written. It is up to art to impose order on eternal movement, through a process that leads from quantity to quality, from chaos to order. An 'allegory of creation' Klee calls it; a 'parallel nature' notes Munari - by way of participation in nature, not opposition to it. The two artists also concur in pointing out that one may teach technique, the laws of creation and their exceptions, but not originality or art.
いずれにせよ、両者にとって、「自然との対話は”不可欠な条件”である; 芸術家は人間であり、彼自身は自然であり、自然の領域における自然の断片である」とクレーは書いている。量から質へ、混沌から秩序へと導くプロセスを通じて、永遠の運動に秩序を課すのは芸術の役割なのだ。クレーはそれを「創造の寓意」と呼び、ムナーリは「パラレルな自然」と指摘した。また二人の芸術家は、技術や創造の法則やその例外を教えることはできても、独創性や芸術を教えることはできない、という意見でも一致している。
441.ドロフレス、ムナーリを語る ― 2025年03月26日 20:01

2018年に出版されたムナーリの作品集(展覧会図録)『総合的な芸術家ブルーノ・ムナーリ(Artista totale Bruno Munari)』(Corraini Edizioni)の中には、「具体芸術運動(MAC)」の同志であった芸術家ジッロ・ドロフレス(1910-2018)の聞き書きが紹介されていました。聞き書きの中からドロフレスのムナーリ評を抜粋して紹介します。
GILLO DORFLES È difficile precisare e identificare quale sia la figura di Munari, proprio per la sua versatilità. Direi che uno dei grandi pregi di Munari è di essere stato indubbiamente un artista eccezionale, però oltre all'artista è stato un personaggio che si divertiva, che creava delle trovate spiritose. Quindi, tutto l'aspetto giocoso di Munari mi pare che sia fondamentale e molto spesso non viene ricordato. Ho conosciuto Munari fin dall'inizio, l'ho seguito sempre, ma ho sempre considerato che accanto alla sua figura di creatore ufficiale di arte contemporanea ci fosse questa particolare personalità giocosa.
ジッロ・ドロフレス:ムナーリの人物像を特定してし定義するのは難しいことです。ムナーリの偉大な資質のひとつは、彼が間違いなく並外れた芸術家だということですが、彼は芸術家であることに加えて、遊び心にあふれ、いたずらじみた仕掛けを作る人物でした。ムナーリの遊び心という側面は、根本的でありながら(一般に)あまり記憶されていない気がします。私は最初期からムナーリを知っておりいつも彼(の動き)に気を配っていましたが、公に知られた現代美術のクリエイターとしての人物像と共に遊び心にあふれた個性がある、といつも考えていました。
GD Il termine di "macchina inutile" è tipico del suo atteggiamento, direi che - per quanto so - Munari rappresenta uno dei primi casi di un artista che già in partenza vede il lato comico, grottesco e ironico rispetto a quella che è un'opera seria. ドロフレス:「役に立たない機械」という言葉はいわば彼のスタイルの典型で、私の知る限り、ムナーリはシリアスな作品にコミカルでグロテスクでアイロニーをもった面を見出した最初の芸術家の一人といえます。
GD Dipende dal suo particolare carattere, il suo è un fenomeno abbastanza singolare, nella maggior parte dei casi gli uomini di scienza sono insopportabilmente noiosi. Lo scherzo per solito non esiste per gli scienziati, anche in questo senso la posizione di Munari è molto particolare. Accanto a un'opera seria e addirittura di tipo scientifico, c'è la presa in giro di quella stessa opera.
ドロフレス:それは彼の特別な性格によるもので、 彼はかなり独特な現象です。たいていの場合、科学者たちは耐えられないほど退屈な存在です。一般に科学者たち(の世界)にジョークは存在しませんから、その意味でもムナーリの存在は非常に特殊なのです。彼のまじめで科学的でさえある仕事の隣には、同じ仕事に対する”からかい(の精神)”があるのです。
ドロフレスは、ムナーリの研究者アルド・タンキスと同じくムナーリとクレーの共通点に触れながら、ムナーリのあらゆる活動の本質部分には「子どものような遊び心」と「アイロニー」が隠れている、と指摘しています。
GILLO DORFLES È difficile precisare e identificare quale sia la figura di Munari, proprio per la sua versatilità. Direi che uno dei grandi pregi di Munari è di essere stato indubbiamente un artista eccezionale, però oltre all'artista è stato un personaggio che si divertiva, che creava delle trovate spiritose. Quindi, tutto l'aspetto giocoso di Munari mi pare che sia fondamentale e molto spesso non viene ricordato. Ho conosciuto Munari fin dall'inizio, l'ho seguito sempre, ma ho sempre considerato che accanto alla sua figura di creatore ufficiale di arte contemporanea ci fosse questa particolare personalità giocosa.
ジッロ・ドロフレス:ムナーリの人物像を特定してし定義するのは難しいことです。ムナーリの偉大な資質のひとつは、彼が間違いなく並外れた芸術家だということですが、彼は芸術家であることに加えて、遊び心にあふれ、いたずらじみた仕掛けを作る人物でした。ムナーリの遊び心という側面は、根本的でありながら(一般に)あまり記憶されていない気がします。私は最初期からムナーリを知っておりいつも彼(の動き)に気を配っていましたが、公に知られた現代美術のクリエイターとしての人物像と共に遊び心にあふれた個性がある、といつも考えていました。
GD Il termine di "macchina inutile" è tipico del suo atteggiamento, direi che - per quanto so - Munari rappresenta uno dei primi casi di un artista che già in partenza vede il lato comico, grottesco e ironico rispetto a quella che è un'opera seria. ドロフレス:「役に立たない機械」という言葉はいわば彼のスタイルの典型で、私の知る限り、ムナーリはシリアスな作品にコミカルでグロテスクでアイロニーをもった面を見出した最初の芸術家の一人といえます。
GD Dipende dal suo particolare carattere, il suo è un fenomeno abbastanza singolare, nella maggior parte dei casi gli uomini di scienza sono insopportabilmente noiosi. Lo scherzo per solito non esiste per gli scienziati, anche in questo senso la posizione di Munari è molto particolare. Accanto a un'opera seria e addirittura di tipo scientifico, c'è la presa in giro di quella stessa opera.
ドロフレス:それは彼の特別な性格によるもので、 彼はかなり独特な現象です。たいていの場合、科学者たちは耐えられないほど退屈な存在です。一般に科学者たち(の世界)にジョークは存在しませんから、その意味でもムナーリの存在は非常に特殊なのです。彼のまじめで科学的でさえある仕事の隣には、同じ仕事に対する”からかい(の精神)”があるのです。
ドロフレスは、ムナーリの研究者アルド・タンキスと同じくムナーリとクレーの共通点に触れながら、ムナーリのあらゆる活動の本質部分には「子どものような遊び心」と「アイロニー」が隠れている、と指摘しています。
440.ボローニャのムナーリ絵本展2025 ― 2025年03月22日 10:13
2025年3月20日から、ボローニャの現代美術館でムナーリのしかけ絵本シリーズ「1945」にちなんだ展覧会が開催されているそうです。
折しもボローニャでは、日本でもよく知られている国際児童書フェアが開催されているとか。
MAMboボローニャ現代美術館 展覧会「トック・トック、ブルーノ・ムナーリの1945シリーズ:本の中へ!」
(※イタリア語/英語表示:ページの読み込みに時間がかかるようです)
美術館HPの説明を見て気づきましたが、ムナーリが初めて自ら手がけた絵本「1945シリーズ」の誕生から数えて2025年は80周年なのでした。 以下に展覧会概要案内を訳してご紹介します。
Dal 30 marzo al 22 aprile 2025, in occasione di Bologna Children's Book Fair e BOOM! Crescere nei libri 2025, la mostra Toc toc. Bruno Munari 1945: dentro i libri!, organizzata da Corraini Edizioni in collaborazione con il Dipartimento educativo MAMbo verrà ospitata presso lo stesso Dipartimento.
2025年3月30日から4月22日まで、ボローニャ国際児童図書展および「BOOM!本の中で成長しよう(Crescere nei libri) 2025」の開催に伴い、展覧会「トック・トック、ブルーノ・ムナーリの1945シリーズ:本の中へ!」がコライーニ社とMAMbo教育部の協力のもと、同教育部で開催されます。
L'esposizione, partendo dall’idea di libro-oggetto, di gioco e di interazione - concetti che sempre hanno guidato Munari nelle sue sperimentazioni sui libri per bambini - propone un percorso di esplorazione in cui la/il visitatrice/visitatore può entrare fisicamente nelle storie. Da Toc-toc a Mai contenti la riproduzione in grandi dimensioni dei libri o di parti di essi permette a grandi e bambine/i di sollevare botole, aprire porte e finestre dietro cui si nascondono animali e personaggi di ogni tipo, e da qui immaginare nuove storie.
ムナーリが子どもの本で試みた「本とオブジェ」「遊び」「インタラクション」というコンセプトから出発した、この展覧会では来場者が物語の中に物理的に入り込むことができる、探検のルートが提案されています。(会場には)『トック・トック』から『やになった』まで、絵本や絵本の一部が大規模に再現されているので、大人たちも子どもたちも仕掛け扉、動物やさまざまな登場人物が隠れている扉や窓を開けて、そこから新しい物語を想像することができることでしょう。
Bruno Munari si è dedicato alla storica serie dei Libri del ‘45 dopo la nascita del figlio Alberto. Fustelle, fori e disegni grandi ed eleganti invitano a un gioco di scoperte e ricerche, lasciando tutti appesi alle magie della carta e facendo di questa serie ancora oggi uno straordinario esempio di progettazione e design del libro.
Nove libri tutti identici per formato che raccontano storie diverse ma dove la narrazione e la creazione cartotecnica procedono di pari passo: un classico intramontabile che nel 2025 festeggia gli 80 anni dalla prima edizione senza perdere la sua potenza innovativa.
ブルーノ・ムナーリは息子アルベルトの誕生をきっかけに歴史的な「1945」絵本シリーズの製作に着手しました。型抜きや穴を活用し大きくエレガントなそのデザインは発見と研究の遊びを誘い、誰もが彼の紙の魔法に魅了され、このシリーズはブックデザインにおける驚くべき事例となりました。
9冊の本はすべて同じ判型で異なる物語を語っていますが、いずれも物語とペーパークラフトの創作が組み合わされています:2025年、この不朽の名作は革新的な力を失うことなく初版から80周年を迎えます。
開館時間
火曜日・水曜日: h 14.00 - 19.00
木曜日: h 14.00 - 20.00
金曜日・土曜日・日曜日・祝日: h 10.00 - 19.00
3月31日(月): h 14.00 - 18.00
折しもボローニャでは、日本でもよく知られている国際児童書フェアが開催されているとか。
MAMboボローニャ現代美術館 展覧会「トック・トック、ブルーノ・ムナーリの1945シリーズ:本の中へ!」
(※イタリア語/英語表示:ページの読み込みに時間がかかるようです)
美術館HPの説明を見て気づきましたが、ムナーリが初めて自ら手がけた絵本「1945シリーズ」の誕生から数えて2025年は80周年なのでした。 以下に展覧会概要案内を訳してご紹介します。
Dal 30 marzo al 22 aprile 2025, in occasione di Bologna Children's Book Fair e BOOM! Crescere nei libri 2025, la mostra Toc toc. Bruno Munari 1945: dentro i libri!, organizzata da Corraini Edizioni in collaborazione con il Dipartimento educativo MAMbo verrà ospitata presso lo stesso Dipartimento.
2025年3月30日から4月22日まで、ボローニャ国際児童図書展および「BOOM!本の中で成長しよう(Crescere nei libri) 2025」の開催に伴い、展覧会「トック・トック、ブルーノ・ムナーリの1945シリーズ:本の中へ!」がコライーニ社とMAMbo教育部の協力のもと、同教育部で開催されます。
L'esposizione, partendo dall’idea di libro-oggetto, di gioco e di interazione - concetti che sempre hanno guidato Munari nelle sue sperimentazioni sui libri per bambini - propone un percorso di esplorazione in cui la/il visitatrice/visitatore può entrare fisicamente nelle storie. Da Toc-toc a Mai contenti la riproduzione in grandi dimensioni dei libri o di parti di essi permette a grandi e bambine/i di sollevare botole, aprire porte e finestre dietro cui si nascondono animali e personaggi di ogni tipo, e da qui immaginare nuove storie.
ムナーリが子どもの本で試みた「本とオブジェ」「遊び」「インタラクション」というコンセプトから出発した、この展覧会では来場者が物語の中に物理的に入り込むことができる、探検のルートが提案されています。(会場には)『トック・トック』から『やになった』まで、絵本や絵本の一部が大規模に再現されているので、大人たちも子どもたちも仕掛け扉、動物やさまざまな登場人物が隠れている扉や窓を開けて、そこから新しい物語を想像することができることでしょう。
Bruno Munari si è dedicato alla storica serie dei Libri del ‘45 dopo la nascita del figlio Alberto. Fustelle, fori e disegni grandi ed eleganti invitano a un gioco di scoperte e ricerche, lasciando tutti appesi alle magie della carta e facendo di questa serie ancora oggi uno straordinario esempio di progettazione e design del libro.
Nove libri tutti identici per formato che raccontano storie diverse ma dove la narrazione e la creazione cartotecnica procedono di pari passo: un classico intramontabile che nel 2025 festeggia gli 80 anni dalla prima edizione senza perdere la sua potenza innovativa.
ブルーノ・ムナーリは息子アルベルトの誕生をきっかけに歴史的な「1945」絵本シリーズの製作に着手しました。型抜きや穴を活用し大きくエレガントなそのデザインは発見と研究の遊びを誘い、誰もが彼の紙の魔法に魅了され、このシリーズはブックデザインにおける驚くべき事例となりました。
9冊の本はすべて同じ判型で異なる物語を語っていますが、いずれも物語とペーパークラフトの創作が組み合わされています:2025年、この不朽の名作は革新的な力を失うことなく初版から80周年を迎えます。
開館時間
火曜日・水曜日: h 14.00 - 19.00
木曜日: h 14.00 - 20.00
金曜日・土曜日・日曜日・祝日: h 10.00 - 19.00
3月31日(月): h 14.00 - 18.00
439.ムナーリによる絵本シリーズ(Munari TTB展) ― 2025年03月21日 08:33

2025年3月20日からミラノの書店エル・ドードーではじまった展覧会「Munari TTB(Tanti Bambini)」のオープニングに参加されたイタリア在住のお友だちがオープニングの様子を知らせてくれました。
送っていただいた写真の中に、前回ご紹介した展覧会案内にあった「QRコードから、ムナーリが企画監修した絵本シリーズについて知ることができる」というQRコードを発見したので、さっそくのぞいてみました。
Mostra Tanti Bambini
いつまで閲覧可能なのか分かりませんが、この絵本シリーズにいつ、誰が作品を発表したのか、年表のかたちで観ることができます。
送っていただいた写真の中に、前回ご紹介した展覧会案内にあった「QRコードから、ムナーリが企画監修した絵本シリーズについて知ることができる」というQRコードを発見したので、さっそくのぞいてみました。
Mostra Tanti Bambini
いつまで閲覧可能なのか分かりませんが、この絵本シリーズにいつ、誰が作品を発表したのか、年表のかたちで観ることができます。
437.旅に出るSpazio Munari ― 2025年03月09日 18:29
ミラノの中心からやや外れた、ポルタ・ジェノヴァ駅近くにあった「スパツィオ・ムナーリ」が閉店したそうです。
SNSによると「スパツィオ・ムナーリ」は今後ナポリ、ローマ、ボローニャなどに(テンポラリーに)出店するが、ミラノの実店舗は2025年2月末でクローズとのこと。
そもそもこのお店は15年前にマントヴァに本社がある出版社(とギャラリー)のコッライーニがミラノに進出して開いた三つのお店のうちの一つで、最後まで残ったお店(開店当初からときどき店を開けている、という感じでした)が、「スパツィオ・ムナーリ」と名前を変えてムナーリに関連したギャラリーショップとなったようでした。
「スパツィオ・ムナーリ」のウェブショップは継続するようなので、今後の動向を見守りたいと思います…。
SNSによると「スパツィオ・ムナーリ」は今後ナポリ、ローマ、ボローニャなどに(テンポラリーに)出店するが、ミラノの実店舗は2025年2月末でクローズとのこと。
そもそもこのお店は15年前にマントヴァに本社がある出版社(とギャラリー)のコッライーニがミラノに進出して開いた三つのお店のうちの一つで、最後まで残ったお店(開店当初からときどき店を開けている、という感じでした)が、「スパツィオ・ムナーリ」と名前を変えてムナーリに関連したギャラリーショップとなったようでした。
「スパツィオ・ムナーリ」のウェブショップは継続するようなので、今後の動向を見守りたいと思います…。
436.レッジョ・エミリアの幼児教育とムナーリ ― 2025年02月25日 07:58

2025年2月にレッジョ・エミリアの幼児教育施設(国際センター)を再訪しました。
2019年にはじめてレッジョ・エミリアを訪問した際、彼の地の独特な幼児教育:子どもたちの創造性と可能性をリスペクトし、自発的な探究をサポートしようと考えるレッジョ・エミリアの幼児教育とムナーリの教育の明白な共通点について、センターを案内してくれた方(元はベテランの教師だった方でした)に質問した記憶があります。
レッジョ・エミリアの幼児教育は、その運営法人が世界に向けて多くの発信を行っていますが、彼らの教育理念(と実践)が影響を受けてきた先人たちについてあまり言及しない傾向があります。
これはレッジョ・エミリアの幼児教育改革を牽引した人物が、広く近現代の教育学から学びつつ、上手にそれぞれのエッセンスを組み合わせてアレンジしてきたことと関係がありそうです。
2019年に私が投げかけた「レッジョ・エミリアの幼児教育とムナーリの関係は?」という問いに対して、「ムナーリはレッジョ・エミリアを訪れたことはなかった」という答えが返ってきて少々拍子抜けしたのですが、今回センターのスタッフからレクチャーを受けた際には「私たちはムナーリからも学んでいる」という主旨の説明を聞くことができました。
イタリア人はしばしば町と町の対抗心というか、余所の町の歴史や人物を他国より遠いもののように考えるきらいがありますが、そういった関係にも変化が訪れているのかもしれません。
ちなみにムナーリの故郷ミラノとレッジョ・エミリアは、ほんの150kmほどの距離です。
2019年にはじめてレッジョ・エミリアを訪問した際、彼の地の独特な幼児教育:子どもたちの創造性と可能性をリスペクトし、自発的な探究をサポートしようと考えるレッジョ・エミリアの幼児教育とムナーリの教育の明白な共通点について、センターを案内してくれた方(元はベテランの教師だった方でした)に質問した記憶があります。
レッジョ・エミリアの幼児教育は、その運営法人が世界に向けて多くの発信を行っていますが、彼らの教育理念(と実践)が影響を受けてきた先人たちについてあまり言及しない傾向があります。
これはレッジョ・エミリアの幼児教育改革を牽引した人物が、広く近現代の教育学から学びつつ、上手にそれぞれのエッセンスを組み合わせてアレンジしてきたことと関係がありそうです。
2019年に私が投げかけた「レッジョ・エミリアの幼児教育とムナーリの関係は?」という問いに対して、「ムナーリはレッジョ・エミリアを訪れたことはなかった」という答えが返ってきて少々拍子抜けしたのですが、今回センターのスタッフからレクチャーを受けた際には「私たちはムナーリからも学んでいる」という主旨の説明を聞くことができました。
イタリア人はしばしば町と町の対抗心というか、余所の町の歴史や人物を他国より遠いもののように考えるきらいがありますが、そういった関係にも変化が訪れているのかもしれません。
ちなみにムナーリの故郷ミラノとレッジョ・エミリアは、ほんの150kmほどの距離です。
434.ムナーリへのオマージュ:岩崎清氏、ムナーリを語る ― 2025年02月03日 12:36
スイスの出版社(ギャラリー?)から出版された、「Omaggio a Bruno Munari(ムナーリへのオマージュ)」という小さな本を手に入れました(日本の洋書を扱うウェブブックショップでは比較的豊富に取り扱いがあるようです)。
Omaggio a Bruno Munari
2008, Some Paragraphs, Chiasso, Svizzera
ムナーリの作品とムナーリに関する論考がいくつか、イタリア語と英語で書かれています。
特筆すべき点は、二つの短い論考の著者が、元青山「子どもの城」造形事業部長で1985年ムナーリによる日本でのワークショップを実現された岩崎清さんということでしょう。
岩崎さんは「こどもの城」開館記念事業としてムナーリの展覧会とムナーリ自身の指導によるワークショップを実現され、ムナーリとも親しく交わり、その後「こどもの城」関係者とともに日本でムナーリのワークショップを指導されていました。
詳しい事情は存じ上げないのですが、残念なことに岩崎さんとムナーリの息子さん(故人)のアルベルト教授の行き違いから現在ではムナーリのワークショップは、事実上日本で開催される機会が制限されているようです。
岩崎さんの「ムナーリについて」のテキスト(イタリア語訳)の一部をもう一度日本語に訳してご紹介します:
Arte
Kiyoshi Iwasaki
芸術
岩崎 清
p.50
Munari ci spiega, in un modo facilmente comprensibile, che l'arte non è una cosa per sua essenza difficile da esperire e comprendere, ma piuttosto qualcosa a cui ognuno può avvicinarsi se capisce i principi e le idee che stanno alla base del processo "aperto" dell'arte.
ムナーリは、芸術とは本質的に体験や理解が難しいものではなく、芸術の 「開かれた 」プロセスの背後にある原理や考え方を理解すれば、誰もが近づき得るものだと平易に説明している。
p.59
Sono rari gli artisti come lui che allo stesso tempo sono stati impegnati in una grande varietà di attività artistiche originali e non hanno pregiudizi o idee preconcette riguardo ad altri movimenti artistici.
Ignorando i confini tra le diverse forme di espressione, Munari crea un mondo unico caratterizzato dal suo naturale humor.
彼のような同時に多様な芸術活動を展開した芸術家は数少ない。
彼は独創的で他の芸術運動に対する偏見や先入観を持たなかった。 異なる表現形式の境界線を無視して、ムナーリは天与のユーモアを特徴とする独自の世界を創り出した。
p.62
Invitare lo spettatore a diventare un creatore d'arte è l'unico metodo di Munari. Egli è il custode che mostra i suoi bellissimi fiori a chiunque faccia visita al giardino segreto dell'arte. Il merito di Munari è che, in questo modo, permette a tutti di conoscere le origini e i materiali delle arti plastiche e, nello stesso tempo, prova a farne comprendere il fascino.
見る人を芸術の創造者にいざなうこと、それがムナーリの唯一のメソッドである。彼は芸術の秘密の花園を訪れた人に、美しい花を見せる管理人なのだ。ムナーリの長所は、このように誰もが造形芸術の起源や素材について学べるようにしつつ同時にその魅力を理解できるようにする点にある。
Omaggio a Bruno Munari
2008, Some Paragraphs, Chiasso, Svizzera
ムナーリの作品とムナーリに関する論考がいくつか、イタリア語と英語で書かれています。
特筆すべき点は、二つの短い論考の著者が、元青山「子どもの城」造形事業部長で1985年ムナーリによる日本でのワークショップを実現された岩崎清さんということでしょう。
岩崎さんは「こどもの城」開館記念事業としてムナーリの展覧会とムナーリ自身の指導によるワークショップを実現され、ムナーリとも親しく交わり、その後「こどもの城」関係者とともに日本でムナーリのワークショップを指導されていました。
詳しい事情は存じ上げないのですが、残念なことに岩崎さんとムナーリの息子さん(故人)のアルベルト教授の行き違いから現在ではムナーリのワークショップは、事実上日本で開催される機会が制限されているようです。
岩崎さんの「ムナーリについて」のテキスト(イタリア語訳)の一部をもう一度日本語に訳してご紹介します:
Arte
Kiyoshi Iwasaki
芸術
岩崎 清
p.50
Munari ci spiega, in un modo facilmente comprensibile, che l'arte non è una cosa per sua essenza difficile da esperire e comprendere, ma piuttosto qualcosa a cui ognuno può avvicinarsi se capisce i principi e le idee che stanno alla base del processo "aperto" dell'arte.
ムナーリは、芸術とは本質的に体験や理解が難しいものではなく、芸術の 「開かれた 」プロセスの背後にある原理や考え方を理解すれば、誰もが近づき得るものだと平易に説明している。
p.59
Sono rari gli artisti come lui che allo stesso tempo sono stati impegnati in una grande varietà di attività artistiche originali e non hanno pregiudizi o idee preconcette riguardo ad altri movimenti artistici.
Ignorando i confini tra le diverse forme di espressione, Munari crea un mondo unico caratterizzato dal suo naturale humor.
彼のような同時に多様な芸術活動を展開した芸術家は数少ない。
彼は独創的で他の芸術運動に対する偏見や先入観を持たなかった。 異なる表現形式の境界線を無視して、ムナーリは天与のユーモアを特徴とする独自の世界を創り出した。
p.62
Invitare lo spettatore a diventare un creatore d'arte è l'unico metodo di Munari. Egli è il custode che mostra i suoi bellissimi fiori a chiunque faccia visita al giardino segreto dell'arte. Il merito di Munari è che, in questo modo, permette a tutti di conoscere le origini e i materiali delle arti plastiche e, nello stesso tempo, prova a farne comprendere il fascino.
見る人を芸術の創造者にいざなうこと、それがムナーリの唯一のメソッドである。彼は芸術の秘密の花園を訪れた人に、美しい花を見せる管理人なのだ。ムナーリの長所は、このように誰もが造形芸術の起源や素材について学べるようにしつつ同時にその魅力を理解できるようにする点にある。
433.ムナーリと禅(英文) ― 2025年02月02日 13:31

ムナーリが東洋文化や東洋哲学に大きな感銘を受けていたことは、本人の残した文章や作品の中に明らかにされています。
前項で紹介したタンキスは論考の中でムナーリとパウル・クレーがいずれも禅の思想の影響を受けた芸術家であったと論じながら、唐代の禅僧の言葉を引用していましたし、アンドレア・ブランジも序文の中でムナーリに東洋哲学の精神をみていたようです。
イタリアではムナーリと東洋哲学の関係がどのように捉えられているかが気になり始めているのですが、そんな中、日本の生活用品などを扱うウェブストアにイタリア人によると思われる英文の「ムナーリと禅」(ムナーリと日本文化)を考察しているテキストを発見しました。
Nanban
ウェブショップの屋号?が「Nanban」というのが日本人からはいささか微妙ですが、取扱商品はどれもハイクオリティなもののようです。
上述のテキストではムナーリと日本の関わりについて、また柳宗理などとの交流についても詳しく触れられていて、かなり詳しくムナーリと日本の関係を知っている人によるものかと思いますが、「Azalea Seratoni」なる筆者についてはいまのところ何も分かっていません…
前項で紹介したタンキスは論考の中でムナーリとパウル・クレーがいずれも禅の思想の影響を受けた芸術家であったと論じながら、唐代の禅僧の言葉を引用していましたし、アンドレア・ブランジも序文の中でムナーリに東洋哲学の精神をみていたようです。
イタリアではムナーリと東洋哲学の関係がどのように捉えられているかが気になり始めているのですが、そんな中、日本の生活用品などを扱うウェブストアにイタリア人によると思われる英文の「ムナーリと禅」(ムナーリと日本文化)を考察しているテキストを発見しました。
Nanban
ウェブショップの屋号?が「Nanban」というのが日本人からはいささか微妙ですが、取扱商品はどれもハイクオリティなもののようです。
上述のテキストではムナーリと日本の関わりについて、また柳宗理などとの交流についても詳しく触れられていて、かなり詳しくムナーリと日本の関係を知っている人によるものかと思いますが、「Azalea Seratoni」なる筆者についてはいまのところ何も分かっていません…
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