445.ブルーノ・ムナーリ・メソッドⓇのいま ― 2025年06月05日 16:14

ムナーリの子息アルベルト・ムナーリ教授の没後、イタリアのブルーノ・ムナーリ協会(ABM)代表を務めているスペラーティさんが「スタジオ…ブルーノ・ムナーリ」というウェブサイトを開設しています。
(「スタジオ・」ではなく「スタジオ…」となっているのには、何か意味があるのかもしれません)
「スタジオ…ブルーノ・ムナーリ」
スペラーティさんは数年前にも日本のTV番組を通じてムナーリ・メソッドⓇのワークショップを日本で実施されていました。
ムナーリ本人のワークショップに長年協力し、ムナーリ没後に協会を設立した方々は、前のトピックにご紹介したレステッリさん、スペラーティさんの他にも何人かご健在ですが、現在はそれぞれが独自に活動を展開されており、ムナーリ協会としての活動は事実上スペラーティさん個人の活動になっているようです。
いささか複雑な事情があるようですが、結果的に協会が立ち上げた「ムナーリ・メソッドⓇ」の研修や認定もスペラーティさんが一手に引き受けているようで、イタリアにおけるムナーリの教育の継承が今後どのようになっていくのか不透明な印象もあります…
(「スタジオ・」ではなく「スタジオ…」となっているのには、何か意味があるのかもしれません)
「スタジオ…ブルーノ・ムナーリ」
スペラーティさんは数年前にも日本のTV番組を通じてムナーリ・メソッドⓇのワークショップを日本で実施されていました。
ムナーリ本人のワークショップに長年協力し、ムナーリ没後に協会を設立した方々は、前のトピックにご紹介したレステッリさん、スペラーティさんの他にも何人かご健在ですが、現在はそれぞれが独自に活動を展開されており、ムナーリ協会としての活動は事実上スペラーティさん個人の活動になっているようです。
いささか複雑な事情があるようですが、結果的に協会が立ち上げた「ムナーリ・メソッドⓇ」の研修や認定もスペラーティさんが一手に引き受けているようで、イタリアにおけるムナーリの教育の継承が今後どのようになっていくのか不透明な印象もあります…
444.ムナーリ・メソッド・ワークショップのアーカイブ設立 ― 2025年05月11日 20:25

ムナーリのワークショップを1980年代から没後の今日まで受け継いできたベバ・レステッリさんのワークショップ活動のアーカイブが、2025年5月、ミラノ郊外の町アッビアーテグラッソにあるペル・レッジェレ財団に、正式に寄贈されました。
Donazione alla Fondazione Per Leggere del laboratorio di Beba Restelli condotto secondo il metodo Bruno Munari® ブルーノ・ムナーリ・メソッド®によるベバ・レステッリのワークショップがペル・レッジェレ財団に寄付される
Con indescrivibile emozione ho da poco sottoscritto a Milano dinnanzi al notaio Lorenzo Colizzi l’atto di donazione a Fondazione Per Leggere del Laboratorio di Beba Restelli, condotto secondo il Metodo Bruno Munari®
Grazie a questa donazione di inestimabile valore culturale, nei prossimi mesi trasferiremo presso la nostra sede di Palazzo Cittadini Stampa a Castelletto di Abbiategrasso questo luogo di ricerca, di creatività, di conoscenza, di sperimentazione, di scoperta e di autoapprendimento attraverso il gioco
私は今、ミラノの公証人ロレンツォ・コリッツィの前で、ブルーノ・ムナーリ・メソッド®によるベバ・レステッリのワークショップをPer Leggere財団への寄贈する証書に署名した。
計り知れない文化的価値を持つこの寄贈のおかげで、私たちは今後数ヶ月のうちに、この研究、創造性、知識、実験、発見、遊びを通しての自己学習の場を、カステッレット・ディ・アッビアーテグラッソのパラッツォ・チッタディーニ・スタンパの私たち財団施設に移管される。
Sarà il luogo privilegiato del “fare per capire”, dove si fa “ginnastica mentale” e si costruisce il sapere. Sarà anche un luogo di incontro educativo, formazione e collaborazione. Uno spazio dove sviluppare la capacità di osservare con gli occhi e con le mani per imparare a guardare la realtà con tutti i sensi.
そこは「理解するために行動する」特権的な場所であり、「頭の体操」が行われ、知識が構築される場所である。また、教育的な出会い、トレーニング、コラボレーションの場でもある。五感を使って現実を見つめることを学ぶために、自分の目と手で観察する能力を養うことができる空間である。
Saremo custodi attivi per realizzare i desideri di Beba Restelli, che qui trascrivo integralmente:
私たちは、ベバ・レステッリの遺志を実現するために、積極的な保護者となるだろう。
レステッリさんとはこの数年直接お目にかかってムナーリの教育について詳しく教えて頂いているのですが、このアーカイブについても準備のお話は聞いており、このたび正式にアーカイブが移管されて今後一般に何らかのかたちで公開されたり、新たなワークショップの拠点となる見込みとのことです。
ムナーリを直接知る世代の方々から、次世代の創造的な教育を目指す人たちへのバトンが受け渡されつつあると、期待していきたいものです。
Donazione alla Fondazione Per Leggere del laboratorio di Beba Restelli condotto secondo il metodo Bruno Munari® ブルーノ・ムナーリ・メソッド®によるベバ・レステッリのワークショップがペル・レッジェレ財団に寄付される
Con indescrivibile emozione ho da poco sottoscritto a Milano dinnanzi al notaio Lorenzo Colizzi l’atto di donazione a Fondazione Per Leggere del Laboratorio di Beba Restelli, condotto secondo il Metodo Bruno Munari®
Grazie a questa donazione di inestimabile valore culturale, nei prossimi mesi trasferiremo presso la nostra sede di Palazzo Cittadini Stampa a Castelletto di Abbiategrasso questo luogo di ricerca, di creatività, di conoscenza, di sperimentazione, di scoperta e di autoapprendimento attraverso il gioco
私は今、ミラノの公証人ロレンツォ・コリッツィの前で、ブルーノ・ムナーリ・メソッド®によるベバ・レステッリのワークショップをPer Leggere財団への寄贈する証書に署名した。
計り知れない文化的価値を持つこの寄贈のおかげで、私たちは今後数ヶ月のうちに、この研究、創造性、知識、実験、発見、遊びを通しての自己学習の場を、カステッレット・ディ・アッビアーテグラッソのパラッツォ・チッタディーニ・スタンパの私たち財団施設に移管される。
Sarà il luogo privilegiato del “fare per capire”, dove si fa “ginnastica mentale” e si costruisce il sapere. Sarà anche un luogo di incontro educativo, formazione e collaborazione. Uno spazio dove sviluppare la capacità di osservare con gli occhi e con le mani per imparare a guardare la realtà con tutti i sensi.
そこは「理解するために行動する」特権的な場所であり、「頭の体操」が行われ、知識が構築される場所である。また、教育的な出会い、トレーニング、コラボレーションの場でもある。五感を使って現実を見つめることを学ぶために、自分の目と手で観察する能力を養うことができる空間である。
Saremo custodi attivi per realizzare i desideri di Beba Restelli, che qui trascrivo integralmente:
私たちは、ベバ・レステッリの遺志を実現するために、積極的な保護者となるだろう。
レステッリさんとはこの数年直接お目にかかってムナーリの教育について詳しく教えて頂いているのですが、このアーカイブについても準備のお話は聞いており、このたび正式にアーカイブが移管されて今後一般に何らかのかたちで公開されたり、新たなワークショップの拠点となる見込みとのことです。
ムナーリを直接知る世代の方々から、次世代の創造的な教育を目指す人たちへのバトンが受け渡されつつあると、期待していきたいものです。
443.ムナーリと演劇 ― 2025年05月02日 22:13

amazonイタリアでムナーリの資料を漁っているうちに、ムナーリと演劇に関する研究書を発見し、入手しました。
Bruno Munari Il gioco del teatro
di Valentina Garavaglia
2013, EDIZIONI UNICOPLI
裏表紙の内容紹介をざっと見てみると、こんなことが書いてあるようです。
Lontano da ogni anniversario, questo 'piccolo' libro vuole soffermarsi sui rapporti di Bruno Munari con il teatro e, in particolare, sui presupposti pedagogici che hanno mosso questo artista ad avvicinare il bambino all'attività performativa.
あらゆる記念的なものからほど遠い この 「小さな 」本は、ブルーノ・ムナーリと劇場との関係、とりわけ、この芸術家が子どもを演劇活動に近づけようとした教育学的な前提に焦点を当てたいと考えるものである。
Il teatro per Munari, infatti, ha una funzione didattica che deriva da molto lontano. Innegabili sono i riferimenti culturali alle avanguardie storiche del Novecento, che, su altri versanti, hanno posto l'attenzione sulla centralità del sentire e dell'avvertire attraverso i sensi.
実際、ムナーリにとっての演劇は、とても遠方からの教育的な機能を持っている。それは他方で、感覚を通した感情や知覚の中心性に焦点を当てた20世紀の歴史的前衛芸術への文化的参照であることは否定できない。
Il volume non intende ripercorrere l'iter produttivo dell'artista nella sua totalità, bensì servirsi di quelle parti che mettono a fuoco l'attività laboratoriale e teatrale che Munari ha condotto nel corso della sua esistenza, attività che ha posto al centro del proprio agire il valore del gioco, vero portatore di significato e di stimoli sempre nuovi.
本書は、彼の全体像における芸術家としての制作の過程をたどることを意図するのではなく、むしろムナーリが生涯を通じて行ったワークショップや演劇活動、つまり意味と常に新しい刺激の真の担い手である遊びの価値を活動の中心に据えた活動に焦点を当てた部分を取り上げていく。
Stimoli, sensi, gioco, sono dunque gli ingredienti per comprendere il teatro di Munari che vede nella realizzazione dello spettacolo Cappuccetto bianco una ulteriore conferma della natura poliedrica di un grande maestro.
刺激、感覚、遊びは、ムナーリの演劇を理解するための材料であり、彼の作品「白ずきんちゃん」を上演の実現によって、かの偉大なマエストロの多面的な性格を確認できる。
ムナーリが監修した「アートで遊ぼう」のシリーズに、初期のワークショップ協力者だったコカ・フリジェリオが著した子どものための劇あそびに関する一冊が存在することはわかっているのですが、現時点で手に入れられていないので、今回入手した本からムナーリの教育における劇の関わりをすこしでも知ることができそうだと期待しています…
Bruno Munari Il gioco del teatro
di Valentina Garavaglia
2013, EDIZIONI UNICOPLI
裏表紙の内容紹介をざっと見てみると、こんなことが書いてあるようです。
Lontano da ogni anniversario, questo 'piccolo' libro vuole soffermarsi sui rapporti di Bruno Munari con il teatro e, in particolare, sui presupposti pedagogici che hanno mosso questo artista ad avvicinare il bambino all'attività performativa.
あらゆる記念的なものからほど遠い この 「小さな 」本は、ブルーノ・ムナーリと劇場との関係、とりわけ、この芸術家が子どもを演劇活動に近づけようとした教育学的な前提に焦点を当てたいと考えるものである。
Il teatro per Munari, infatti, ha una funzione didattica che deriva da molto lontano. Innegabili sono i riferimenti culturali alle avanguardie storiche del Novecento, che, su altri versanti, hanno posto l'attenzione sulla centralità del sentire e dell'avvertire attraverso i sensi.
実際、ムナーリにとっての演劇は、とても遠方からの教育的な機能を持っている。それは他方で、感覚を通した感情や知覚の中心性に焦点を当てた20世紀の歴史的前衛芸術への文化的参照であることは否定できない。
Il volume non intende ripercorrere l'iter produttivo dell'artista nella sua totalità, bensì servirsi di quelle parti che mettono a fuoco l'attività laboratoriale e teatrale che Munari ha condotto nel corso della sua esistenza, attività che ha posto al centro del proprio agire il valore del gioco, vero portatore di significato e di stimoli sempre nuovi.
本書は、彼の全体像における芸術家としての制作の過程をたどることを意図するのではなく、むしろムナーリが生涯を通じて行ったワークショップや演劇活動、つまり意味と常に新しい刺激の真の担い手である遊びの価値を活動の中心に据えた活動に焦点を当てた部分を取り上げていく。
Stimoli, sensi, gioco, sono dunque gli ingredienti per comprendere il teatro di Munari che vede nella realizzazione dello spettacolo Cappuccetto bianco una ulteriore conferma della natura poliedrica di un grande maestro.
刺激、感覚、遊びは、ムナーリの演劇を理解するための材料であり、彼の作品「白ずきんちゃん」を上演の実現によって、かの偉大なマエストロの多面的な性格を確認できる。
ムナーリが監修した「アートで遊ぼう」のシリーズに、初期のワークショップ協力者だったコカ・フリジェリオが著した子どものための劇あそびに関する一冊が存在することはわかっているのですが、現時点で手に入れられていないので、今回入手した本からムナーリの教育における劇の関わりをすこしでも知ることができそうだと期待しています…
436.レッジョ・エミリアの幼児教育とムナーリ ― 2025年02月25日 07:58

2025年2月にレッジョ・エミリアの幼児教育施設(国際センター)を再訪しました。
2019年にはじめてレッジョ・エミリアを訪問した際、彼の地の独特な幼児教育:子どもたちの創造性と可能性をリスペクトし、自発的な探究をサポートしようと考えるレッジョ・エミリアの幼児教育とムナーリの教育の明白な共通点について、センターを案内してくれた方(元はベテランの教師だった方でした)に質問した記憶があります。
レッジョ・エミリアの幼児教育は、その運営法人が世界に向けて多くの発信を行っていますが、彼らの教育理念(と実践)が影響を受けてきた先人たちについてあまり言及しない傾向があります。
これはレッジョ・エミリアの幼児教育改革を牽引した人物が、広く近現代の教育学から学びつつ、上手にそれぞれのエッセンスを組み合わせてアレンジしてきたことと関係がありそうです。
2019年に私が投げかけた「レッジョ・エミリアの幼児教育とムナーリの関係は?」という問いに対して、「ムナーリはレッジョ・エミリアを訪れたことはなかった」という答えが返ってきて少々拍子抜けしたのですが、今回センターのスタッフからレクチャーを受けた際には「私たちはムナーリからも学んでいる」という主旨の説明を聞くことができました。
イタリア人はしばしば町と町の対抗心というか、余所の町の歴史や人物を他国より遠いもののように考えるきらいがありますが、そういった関係にも変化が訪れているのかもしれません。
ちなみにムナーリの故郷ミラノとレッジョ・エミリアは、ほんの150kmほどの距離です。
2019年にはじめてレッジョ・エミリアを訪問した際、彼の地の独特な幼児教育:子どもたちの創造性と可能性をリスペクトし、自発的な探究をサポートしようと考えるレッジョ・エミリアの幼児教育とムナーリの教育の明白な共通点について、センターを案内してくれた方(元はベテランの教師だった方でした)に質問した記憶があります。
レッジョ・エミリアの幼児教育は、その運営法人が世界に向けて多くの発信を行っていますが、彼らの教育理念(と実践)が影響を受けてきた先人たちについてあまり言及しない傾向があります。
これはレッジョ・エミリアの幼児教育改革を牽引した人物が、広く近現代の教育学から学びつつ、上手にそれぞれのエッセンスを組み合わせてアレンジしてきたことと関係がありそうです。
2019年に私が投げかけた「レッジョ・エミリアの幼児教育とムナーリの関係は?」という問いに対して、「ムナーリはレッジョ・エミリアを訪れたことはなかった」という答えが返ってきて少々拍子抜けしたのですが、今回センターのスタッフからレクチャーを受けた際には「私たちはムナーリからも学んでいる」という主旨の説明を聞くことができました。
イタリア人はしばしば町と町の対抗心というか、余所の町の歴史や人物を他国より遠いもののように考えるきらいがありますが、そういった関係にも変化が訪れているのかもしれません。
ちなみにムナーリの故郷ミラノとレッジョ・エミリアは、ほんの150kmほどの距離です。
413.「ミラノの町を語ろう」 ― 2024年05月07日 11:38

ムナーリのお弟子さんであるデツァーニさんが紹介してくれた、ボルトーニさんという方は、アメリカの子どもミュージアムでキャリアを積んで現在はミラノで子どものための文化活動の団体をたちあげられています。
innovActionCult
2024年5月7日、ボルトーニさんのSNSで「Racconti Straordinari di Citta':町の特別を語ろう」というイベント?の発表がありました。ミラノ市内の学校などに町を知る/探検するきっかけとなるデザイン冊子が配布されるそうです。
その中にはミラノ生まれの芸術家/デザイナーとして、ムナーリのことも紹介されているようです…
サイトは現時点でイタリア語オンリーのようで、リリース直後のせいか内容確認にちょっと時間がかかりますが、子どもたちに自分の暮らす町や地域について興味をもってもらう取り組みは、日本の地域教育ともつながるように思います。
Racconti Straordinari di Citta'
innovActionCult
2024年5月7日、ボルトーニさんのSNSで「Racconti Straordinari di Citta':町の特別を語ろう」というイベント?の発表がありました。ミラノ市内の学校などに町を知る/探検するきっかけとなるデザイン冊子が配布されるそうです。
その中にはミラノ生まれの芸術家/デザイナーとして、ムナーリのことも紹介されているようです…
サイトは現時点でイタリア語オンリーのようで、リリース直後のせいか内容確認にちょっと時間がかかりますが、子どもたちに自分の暮らす町や地域について興味をもってもらう取り組みは、日本の地域教育ともつながるように思います。
Racconti Straordinari di Citta'
408.レステッリさんの新刊イベント@ミラノ ― 2024年04月02日 10:52

2024年2月にミラノでお会いしたムナーリのお弟子さん、レステッリさんが昨年上梓された、ムナーリのメソッドによるワークショップの本の最新刊「ヒモで遊ぼう(GIOCARE CON FILI)」の出版イベントが4月4日におこなわれるそうです。
著者レステッリさんと、ミラノ・ビコッカ大学のズッコリ教授によるトークがあるとのこと。
パルマのムナーリ展ともども行きたいのはやまやまですが…(泣)
著者レステッリさんと、ミラノ・ビコッカ大学のズッコリ教授によるトークがあるとのこと。
パルマのムナーリ展ともども行きたいのはやまやまですが…(泣)
405.ミラノの幼保小一貫校とムナーリの教育 ― 2024年03月16日 22:21

2024年2月のイタリアでの調査の際に、ムナーリのお弟子さんだったデツァーニさんが指導されているミラノ市内の「ミーレ・バイリンガル・スクール」を訪問しました。
Mile Bilingual school
ミラノ市南部の閑静な住宅街にある私立学校で、こちらもすでに紹介したパルマの「ムナーリ・スクール」のように保育園、幼稚園、小学校が揃った私立の一貫校です。
ただしこちらのスクールはそもそも企業オーナーが従業員の子弟のために開設されたもので、国際企業で国外から転勤してくる家族のことを考えてバイリンガルスクールになっているとのこと。
デツァーニさんはこの学校が設立された20年前にこの学校における造形活動のアドバイスを求められ、最終的にご本人が指導することになって20年が過ぎた、と言われていました。
小学校、幼稚園、保育園は隣接している別の建物にあって、それぞれにワークショップルームが用意されており、子どもの発達に会わせた形でムナーリの教育のエッセンスが活かされた造形活動を行っているとのことでした。
イタリアの公教育では、近年0歳から6歳の統合保育(日本の「こども園」の構想以上に、子どもの成長を連続的にサポートする意図が強調されています)が進められていますが、さらに幼保小の連携について、ミラノやパルマの私立校がこのような試みを展開していること、その中にムナーリの教育思想が取り入れられていることが分かり、発見の多い調査となりました…。
Mile Bilingual school
ミラノ市南部の閑静な住宅街にある私立学校で、こちらもすでに紹介したパルマの「ムナーリ・スクール」のように保育園、幼稚園、小学校が揃った私立の一貫校です。
ただしこちらのスクールはそもそも企業オーナーが従業員の子弟のために開設されたもので、国際企業で国外から転勤してくる家族のことを考えてバイリンガルスクールになっているとのこと。
デツァーニさんはこの学校が設立された20年前にこの学校における造形活動のアドバイスを求められ、最終的にご本人が指導することになって20年が過ぎた、と言われていました。
小学校、幼稚園、保育園は隣接している別の建物にあって、それぞれにワークショップルームが用意されており、子どもの発達に会わせた形でムナーリの教育のエッセンスが活かされた造形活動を行っているとのことでした。
イタリアの公教育では、近年0歳から6歳の統合保育(日本の「こども園」の構想以上に、子どもの成長を連続的にサポートする意図が強調されています)が進められていますが、さらに幼保小の連携について、ミラノやパルマの私立校がこのような試みを展開していること、その中にムナーリの教育思想が取り入れられていることが分かり、発見の多い調査となりました…。
403.ブルーノ・ムナーリ・スクール(パルマ) ― 2024年03月12日 19:52

ムナーリのお弟子さんだったレステッリさんのご紹介で、2024年2月にパルマという町の「ブルーノ・ムナーリ・スクール」を訪問しました。
Asilo e scuola materna Bruno Munari Parma
イタリアでは著名な芸術家であり教育者でもあったムナーリの名前は、実はイタリア各地の学校に付けられているようです。レッジョ・エミリアにも「自治体立ブルーノ・ムナーリ幼児学校」があります。
しかし今回訪れたパルマの学校は、現校長カソーリさんのお母様がムナーリと親交があったことから、おそらく世界で唯一、生前のムナーリ自身からその名を付けることについて許可を受けた、というものだそうです。
この学校は0〜3歳の保育園と3〜6歳の幼稚園、6〜12歳の小学校が同じ建物の中でつながっている、日本の付属校のような教育施設で、もちろん国や自治体の学校設置基準は満たしながら「教育の独自性を守るために」完全私立(補助金をほとんどもらっていない)なのだそうです。
「ブルーノ・ムナーリ・スクール」ではムナーリの教育メソッドとモンテッソーリのメソッドそれぞれについて公式に認められた研修をもとに、それらをハイブリッドにしたバイリンガル教育をおこなっているとのことです。
イタリアの幼児教育や初等教育のユニークな事例を知ることができました。
Asilo e scuola materna Bruno Munari Parma
イタリアでは著名な芸術家であり教育者でもあったムナーリの名前は、実はイタリア各地の学校に付けられているようです。レッジョ・エミリアにも「自治体立ブルーノ・ムナーリ幼児学校」があります。
しかし今回訪れたパルマの学校は、現校長カソーリさんのお母様がムナーリと親交があったことから、おそらく世界で唯一、生前のムナーリ自身からその名を付けることについて許可を受けた、というものだそうです。
この学校は0〜3歳の保育園と3〜6歳の幼稚園、6〜12歳の小学校が同じ建物の中でつながっている、日本の付属校のような教育施設で、もちろん国や自治体の学校設置基準は満たしながら「教育の独自性を守るために」完全私立(補助金をほとんどもらっていない)なのだそうです。
「ブルーノ・ムナーリ・スクール」ではムナーリの教育メソッドとモンテッソーリのメソッドそれぞれについて公式に認められた研修をもとに、それらをハイブリッドにしたバイリンガル教育をおこなっているとのことです。
イタリアの幼児教育や初等教育のユニークな事例を知ることができました。
401.ムナーリの教育玩具と教育学者の視点 ― 2024年03月04日 08:30

2024年2月にミラノの「スパツィオ・ムナーリ」で閲覧したダネーゼ社の教育玩具に関する講演会資料の中から、教育学者マントヴァーニのスピーチを解読してみました。
マントヴァーニ先生には2023年12月に直接会う機会を得たのですが、ご高齢になっても教育現場と保育者養成の最前線で活躍されています。
テキストのスピーチは今からおよそ半世紀前のこととなりますが、以下に紹介するスピーチの結びの部分からも、教育現場に身を置く専門家としての貴重な指摘を読み取ることが出来ます。
Chiaramente un materiale bello come questo implica dei costi elevati, ma proprio il carattere della riunione di oggi mi fa credere che essi siano pensati soprattutto per le scuole più che per i singoli, per una utilizzazione di gruppo. Sono giochi-idee che possono dare, a scuola, lo spunto per altre idee, per la creazione di altri materiali.
I genitori per i quali giochi come Più e Meno siano significativi sono certo poco rappresentativi, numericamente. Mi pare molto più interessante pensare ad un'utilizzazione di gruppo, nella scuola.
このような美しい教材は明らかに高いコストを必要とするでしょう。しかし今日のイベント(講演会)の性質から見て、これらの教材は個人向けというよりは学校向けであり、集団で使用するためのものだ、と私は考えています。これらは学校にとっての他のアイデアや教材作りのヒントになるアイデアの玩具になるでしょう。
「プラス・マイナス」のような玩具が重要な意味を持つと考える保護者は、数字的に見て明らかに代表的ではないでしょうから。それよりも、(これらの玩具の)学校での集団利用を考える方がはるかに興味深いことでしょう。
Vi è anche un rischio, però, nella cosa troppo bella, troppo astratta. E' necessario che vi siano persone che producano materiali per la scuola ad un certo livello qualitativo, anche estetico, ma essi devono avere un continuo feed-back dalla scuola perché possono anche sbagliare, creare strumenti troppo rarefatti che non troverebbero una collocazione possibile nella situazione scolastica reale. Non si tratta solo di un coinvolgimento, bensì di una esplicita richiesta alla scuola, da parte di tecnici, intellettuali, da parte dell'Università per rendersi conto di quali siano i bisogni reali e quindi avviare ricerche e proposte che a questi rispondano. Ciò non è del tutto nuovo nella scuola dell'infanzia; abbiamo avuto esperienze di base molto avanzate e da queste è venuto lo stimolo per la ricerca, per la produzione di materiali adeguati e nuovi per situazioni e problemi concreti. Mi pare importante che vi sia un sempre maggiore coinvolgimento ed impegno delle istituzioni culturali nei confronti della scuola, ma questo impegno deve essere provocato e controllato soprattutto dalla scuola stessa. Nessuno di noi vuol più vedere il « ricercatore » che va nella scuola, conduce il suo esperimento e scompare, magari scrivendo poi un bel libro che nessuna insegnante leggerà. Ciò vale anche per questi materiali: c'è chi li fa ed è già molto; si deve ora trovare il modo per provarli, vedere se e come funzionano, se vanno adattati, quali altri andranno creati; avviare, insomma, un processo vero di scambio con la scuola.
しかし、そこにはリスクもあって、それは教材が美しすぎたり、抽象的すぎることでしょう。学校向けの教材を美的にも一定水準の品質で作る人がいなければならないでしょうし、 また彼らは学校から継続的にフィードバックを受ける必要があります。なぜなら彼らもまた間違えたり、実際の学校の現場で用いることができない希薄すぎるツールを作ってしまうこともあるからです。それは単なる関与ではなく、技術者や知識人、大学の側からの学校への明確な要請であり、真のニーズが何であるかを認識し、それに応える研究と提案を開始することです。これは幼児学校においてまったく新しいことというわけではありません;私たちは非常に高度な基礎的経験を積んでおり、そこから研究への刺激や具体的な状況や問題に対する適切で新しい教材を生み出す刺激を受けてきました。私は文化機関が学校への関与を強め、コミットメントしていくことは重要だと思いますが、このコミットメントは何よりも学校自身が誘発しコントロールしなければならないものです。私たちはもう誰も「研究者」が学校に行って実験を行ってはすぐに姿を消し、おそらくその後で誰も読まないような素敵な本を書くことなど見たくありません。これらの教材について何が役立つのか: そういったものを作る人はすでにたくさんいます;それを試す方法を見つけなければなりません。それがうまくいくかどうか、どのように機能するか、適応させる必要があるかどうか、他にどのようなものを作る必要があるか、要するに、学校との真の交流のプロセスを始めるのです。
ATTI DEL CONVEGNO
PROGETTO SCUOLA
PROMOSSO DALLA DANESE GIOCHI DIDATTICI
DANESE MILANO 15 APRILE 14 MAGGIO 1977
マントヴァーニ先生には2023年12月に直接会う機会を得たのですが、ご高齢になっても教育現場と保育者養成の最前線で活躍されています。
テキストのスピーチは今からおよそ半世紀前のこととなりますが、以下に紹介するスピーチの結びの部分からも、教育現場に身を置く専門家としての貴重な指摘を読み取ることが出来ます。
Chiaramente un materiale bello come questo implica dei costi elevati, ma proprio il carattere della riunione di oggi mi fa credere che essi siano pensati soprattutto per le scuole più che per i singoli, per una utilizzazione di gruppo. Sono giochi-idee che possono dare, a scuola, lo spunto per altre idee, per la creazione di altri materiali.
I genitori per i quali giochi come Più e Meno siano significativi sono certo poco rappresentativi, numericamente. Mi pare molto più interessante pensare ad un'utilizzazione di gruppo, nella scuola.
このような美しい教材は明らかに高いコストを必要とするでしょう。しかし今日のイベント(講演会)の性質から見て、これらの教材は個人向けというよりは学校向けであり、集団で使用するためのものだ、と私は考えています。これらは学校にとっての他のアイデアや教材作りのヒントになるアイデアの玩具になるでしょう。
「プラス・マイナス」のような玩具が重要な意味を持つと考える保護者は、数字的に見て明らかに代表的ではないでしょうから。それよりも、(これらの玩具の)学校での集団利用を考える方がはるかに興味深いことでしょう。
Vi è anche un rischio, però, nella cosa troppo bella, troppo astratta. E' necessario che vi siano persone che producano materiali per la scuola ad un certo livello qualitativo, anche estetico, ma essi devono avere un continuo feed-back dalla scuola perché possono anche sbagliare, creare strumenti troppo rarefatti che non troverebbero una collocazione possibile nella situazione scolastica reale. Non si tratta solo di un coinvolgimento, bensì di una esplicita richiesta alla scuola, da parte di tecnici, intellettuali, da parte dell'Università per rendersi conto di quali siano i bisogni reali e quindi avviare ricerche e proposte che a questi rispondano. Ciò non è del tutto nuovo nella scuola dell'infanzia; abbiamo avuto esperienze di base molto avanzate e da queste è venuto lo stimolo per la ricerca, per la produzione di materiali adeguati e nuovi per situazioni e problemi concreti. Mi pare importante che vi sia un sempre maggiore coinvolgimento ed impegno delle istituzioni culturali nei confronti della scuola, ma questo impegno deve essere provocato e controllato soprattutto dalla scuola stessa. Nessuno di noi vuol più vedere il « ricercatore » che va nella scuola, conduce il suo esperimento e scompare, magari scrivendo poi un bel libro che nessuna insegnante leggerà. Ciò vale anche per questi materiali: c'è chi li fa ed è già molto; si deve ora trovare il modo per provarli, vedere se e come funzionano, se vanno adattati, quali altri andranno creati; avviare, insomma, un processo vero di scambio con la scuola.
しかし、そこにはリスクもあって、それは教材が美しすぎたり、抽象的すぎることでしょう。学校向けの教材を美的にも一定水準の品質で作る人がいなければならないでしょうし、 また彼らは学校から継続的にフィードバックを受ける必要があります。なぜなら彼らもまた間違えたり、実際の学校の現場で用いることができない希薄すぎるツールを作ってしまうこともあるからです。それは単なる関与ではなく、技術者や知識人、大学の側からの学校への明確な要請であり、真のニーズが何であるかを認識し、それに応える研究と提案を開始することです。これは幼児学校においてまったく新しいことというわけではありません;私たちは非常に高度な基礎的経験を積んでおり、そこから研究への刺激や具体的な状況や問題に対する適切で新しい教材を生み出す刺激を受けてきました。私は文化機関が学校への関与を強め、コミットメントしていくことは重要だと思いますが、このコミットメントは何よりも学校自身が誘発しコントロールしなければならないものです。私たちはもう誰も「研究者」が学校に行って実験を行ってはすぐに姿を消し、おそらくその後で誰も読まないような素敵な本を書くことなど見たくありません。これらの教材について何が役立つのか: そういったものを作る人はすでにたくさんいます;それを試す方法を見つけなければなりません。それがうまくいくかどうか、どのように機能するか、適応させる必要があるかどうか、他にどのようなものを作る必要があるか、要するに、学校との真の交流のプロセスを始めるのです。
ATTI DEL CONVEGNO
PROGETTO SCUOLA
PROMOSSO DALLA DANESE GIOCHI DIDATTICI
DANESE MILANO 15 APRILE 14 MAGGIO 1977
400.ベバ・レステッリさんの新刊『ひもであそぼう』 ― 2024年02月29日 22:40

1980年代からムナーリの指導のもと子どものためのワークショップをおこなってきたベバ・レステッリさんにミラノでお会いしてきました。
これまでベバさんの著書をいくつか手に入れ、特に数年前からは彼女の最初の著書だという『触覚であそぼう(GIOCARE CON TATTO)』を読み込むことでムナーリの教育の研究をまとめてきたので、初めて直接お会いするのに初めてではないような不思議な感じでしたが、日本からやってきた見知らぬ日本人を温かく迎えてくださいました。
ちょうどミラノに着いた翌日、市内の書店でベバさんの本を発見したのですが、これが昨年出版されたばかりの新刊でした。
『ひもであそぼう(GIOCARE CON I FILI)』というタイトルで、糸やヒモの特性を活かしてどんな表現が生み出せるか、という子どもの発想を広げてくれる色々な事例が紹介されているようです。
ベバさんによるとこれまでに7冊ほど、ムナーリの教育とワークショップに関する本を書かれた由、いずれ日本でも読めるようになる日が来ることを願っています。
これまでベバさんの著書をいくつか手に入れ、特に数年前からは彼女の最初の著書だという『触覚であそぼう(GIOCARE CON TATTO)』を読み込むことでムナーリの教育の研究をまとめてきたので、初めて直接お会いするのに初めてではないような不思議な感じでしたが、日本からやってきた見知らぬ日本人を温かく迎えてくださいました。
ちょうどミラノに着いた翌日、市内の書店でベバさんの本を発見したのですが、これが昨年出版されたばかりの新刊でした。
『ひもであそぼう(GIOCARE CON I FILI)』というタイトルで、糸やヒモの特性を活かしてどんな表現が生み出せるか、という子どもの発想を広げてくれる色々な事例が紹介されているようです。
ベバさんによるとこれまでに7冊ほど、ムナーリの教育とワークショップに関する本を書かれた由、いずれ日本でも読めるようになる日が来ることを願っています。
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