434.ムナーリへのオマージュ:岩崎清氏、ムナーリを語る2025年02月03日 12:36

スイスの出版社(ギャラリー?)から出版された、「Omaggio a Bruno Munari(ムナーリへのオマージュ)」という小さな本を手に入れました(日本の洋書を扱うウェブブックショップでは比較的豊富に取り扱いがあるようです)。

Omaggio a Bruno Munari
2008, Some Paragraphs, Chiasso, Svizzera

ムナーリの作品とムナーリに関する論考がいくつか、イタリア語と英語で書かれています。
特筆すべき点は、二つの短い論考の著者が、元青山「子どもの城」造形事業部長で1985年ムナーリによる日本でのワークショップを実現された岩崎清さんということでしょう。

岩崎さんは「こどもの城」開館記念事業としてムナーリの展覧会とムナーリ自身の指導によるワークショップを実現され、ムナーリとも親しく交わり、その後「こどもの城」関係者とともに日本でムナーリのワークショップを指導されていました。
詳しい事情は存じ上げないのですが、残念なことに岩崎さんとムナーリの息子さん(故人)のアルベルト教授の行き違いから現在ではムナーリのワークショップは、事実上日本で開催される機会が制限されているようです。
岩崎さんの「ムナーリについて」のテキスト(イタリア語訳)の一部をもう一度日本語に訳してご紹介します:

Arte
Kiyoshi Iwasaki
芸術
岩崎 清
p.50
Munari ci spiega, in un modo facilmente comprensibile, che l'arte non è una cosa per sua essenza difficile da esperire e comprendere, ma piuttosto qualcosa a cui ognuno può avvicinarsi se capisce i principi e le idee che stanno alla base del processo "aperto" dell'arte.
ムナーリは、芸術とは本質的に体験や理解が難しいものではなく、芸術の 「開かれた 」プロセスの背後にある原理や考え方を理解すれば、誰もが近づき得るものだと平易に説明している。
p.59
Sono rari gli artisti come lui che allo stesso tempo sono stati impegnati in una grande varietà di attività artistiche originali e non hanno pregiudizi o idee preconcette riguardo ad altri movimenti artistici.
Ignorando i confini tra le diverse forme di espressione, Munari crea un mondo unico caratterizzato dal suo naturale humor.
彼のような同時に多様な芸術活動を展開した芸術家は数少ない。
彼は独創的で他の芸術運動に対する偏見や先入観を持たなかった。 異なる表現形式の境界線を無視して、ムナーリは天与のユーモアを特徴とする独自の世界を創り出した。
p.62
Invitare lo spettatore a diventare un creatore d'arte è l'unico metodo di Munari. Egli è il custode che mostra i suoi bellissimi fiori a chiunque faccia visita al giardino segreto dell'arte. Il merito di Munari è che, in questo modo, permette a tutti di conoscere le origini e i materiali delle arti plastiche e, nello stesso tempo, prova a farne comprendere il fascino.
見る人を芸術の創造者にいざなうこと、それがムナーリの唯一のメソッドである。彼は芸術の秘密の花園を訪れた人に、美しい花を見せる管理人なのだ。ムナーリの長所は、このように誰もが造形芸術の起源や素材について学べるようにしつつ同時にその魅力を理解できるようにする点にある。

433.ムナーリと禅(英文)2025年02月02日 13:31

ムナーリが東洋文化や東洋哲学に大きな感銘を受けていたことは、本人の残した文章や作品の中に明らかにされています。
前項で紹介したタンキスは論考の中でムナーリとパウル・クレーがいずれも禅の思想の影響を受けた芸術家であったと論じながら、唐代の禅僧の言葉を引用していましたし、アンドレア・ブランジも序文の中でムナーリに東洋哲学の精神をみていたようです。
イタリアではムナーリと東洋哲学の関係がどのように捉えられているかが気になり始めているのですが、そんな中、日本の生活用品などを扱うウェブストアにイタリア人によると思われる英文の「ムナーリと禅」(ムナーリと日本文化)を考察しているテキストを発見しました。

Nanban

ウェブショップの屋号?が「Nanban」というのが日本人からはいささか微妙ですが、取扱商品はどれもハイクオリティなもののようです。
上述のテキストではムナーリと日本の関わりについて、また柳宗理などとの交流についても詳しく触れられていて、かなり詳しくムナーリと日本の関係を知っている人によるものかと思いますが、「Azalea Seratoni」なる筆者についてはいまのところ何も分かっていません…

432.アンドレア・ブランジ、ムナーリを語る2025年01月29日 10:08

昨年2024年に改訂・再販されたアルド・タンキスによるムナーリの作品集「BRUNO MUNARI」(1987/2024)の序文の中で、建築家アンドレア・ブランジがムナーリについて少し長い文章を挙げています。
ブランジは1938年生まれ(2023年没)で、80年代イタリアのポストモダン・デザイン運動で大きな影響力をもった人物の一人ですが、私が1990年代に学んだイタリアのデザインスクールの校長でもありました。
タンキスの本は旧版、新版ともに入手しているのですが、なぜか間違って二冊とも英語版を買ってしまいました。
慣れない英語のテキストを翻訳エンジンの力を借りながら、以下に訳してみます。

Bruno Munari
Aldo Tanchis, 2024, Corraini Edizioni -English edition

Preface di Andrea Branzi
アンドレア・ブランジによる序文

We are often asked, and often ask ourselves, in what does the spirit of Italian design really consist? Where does it come from, this design which is apparently so unique that it is scrutinised with great curiosity by manufacturers and designers from all over the world?
私たちはしばしば尋ねられ、またしばしば自分たちでも自問するが、イタリアン•デザインの精神とは何だろうか?世界中のメーカーやデザイナーが大きな好奇心を持って吟味するほどユニークな、このデザインはいったいどこから来るのか?
It is my view that the spirit and identity of Italian design arise out of a fairly unusual set of historical factors. They are all factors that in a curious fashion combined to create a situation that was actually unfavourable to the development of classic design in Italy, but which have been turned on their head to become a different sort of design synergy, one that is certainly fragile but which has great creative vitality. They have served as an excellent cultural medium for an atypical system of design, of broad international consequence, but whose mode of operation would certainly not have been feasible anywhere else in the world.
イタリアン•デザインの精神とアイデンティティは、かなり珍しい歴史的な要因から生まれた、というのが私の見解だ。それらはすべてイタリアにおけるクラシックなデザインの発展に不利な状況を作り出すために、不思議な形で組み合わされた要因なのだが、それは裏返せば、壊れやすいが大きな創造的生命力を持った別の種類のデザインのシナジー(相乗効果)になったのだ。イタリアは、国際的にも広く知られる非典型的なデザイン・システムのための優れた文化的媒体として機能してきたが、その運営方式は、世界の他のどこであっても実現不可能なものだったに違いない。
If I were obliged to sum up these historical and environmental influences in a very concise way, I would point to three major considerations. The first of these is represented by the history of modern design in Italy. In spite of numerous historical falsehoods in circulation, Italian design was in no way born out of international rationalism. Indeed, there has never been any kind of rationalist movement in Italy, either before or after the war.
これらの歴史的、環境的な影響を簡潔にまとめるなら、私は3つの主な考察を挙げることができる。第一はイタリアにおけるモダンデザインの歴史である。流布されている数々の歴史的な嘘にもかかわらず、イタリアのデザインは決してインターナショナルな合理主義から生まれたものではない。実際、戦前も戦後もイタリアには合理主義運動というものは存在しなかった。
The history of modern culture in Italy is characterised by the recurrent appearance of two great historical categories, Futurism and the Novecento. Only on the narrow boundary that separates these two areas can be found the masters of so-called Italian rationality. On close examination, however, it is apparent that even they have always been subject to the influence (a heretical one with respect to rationalist orthodoxy) of these two great tendencies. This is true of Gardella and Albini, as well as of Baldessari and Gio Ponti.
イタリアにおける近代文化の歴史は、未来派とノヴェチェントという2つの偉大な歴史的カテゴリーが繰り返し登場することによって特徴づけられる。この2つの領域を隔てる狭い境界線の上にのみ、いわゆるイタリア的な合理主義の巨匠たちを見出すことができる。しかしよく観察してみると、彼らさえも、この二大傾向の影響(合理主義の正統性は異端的なものだ)を常に受けていたことがわかる。彼らとは(イグナツィオ・)ガルデッラと(フランコ・)アルビーニ、(ルチアーノ・)バルデッサリとジオ・ポンティたちのことだ。
Even Fascism established its widespread popularity among the intellectuals of the design world by acting as an ambiguous intermediary between the two categories: revolution as historical continuity, modernity as national identity. And Italian design retained much of its Futurist stamp, in the notion of a technology that produces not certainties but continual transformations, the sign as dynamic vector and the method as never-ending research: like Munari, for instance...
Alongside this constant feature, the temptation periodically recurs to see modernity as a quest for historical identity, to use old symbols to convey topical concerns: the Italian postmodern is wholly based on theorems that were once used by the Novecento.
2つのカテゴリーのあいまいな仲介役として機能することで、ファシズムもまたデザイン界の知識人たちに広く人気を確立した: 歴史的連続性としての革命、国民的アイデンティティとしての近代性。そしてイタリアン・デザインは、確実なものではなく絶え間ない変容を生み出す技術、動的なベクトルとしての記号、終わりなき研究としての手法という概念において、未来派:ムナーリなど…の痕跡を多く残している。この絶え間ない特徴と並行して、モダニティを歴史的アイデンティティの探求と見なし、古いシンボルを使って時事的な関心を伝えようとする誘惑が定期的に繰り返されてきた: イタリアのポストモダン(デザイン)は、すべてかつてノヴェチェントが用いた定理に基づいているのだ。
The second consideration (not historical but environmental) is represented by the de-regulation of the overall system of Italian design. I am speaking of the absence of unitary and central schools of design, which has led to an input to the profession from two different sources: on the one hand from great natural talents (like Munari, for example...), and on the other from architects who received their training in faculties where design was not taught: extraordinary and skilful naifs, in an environment characterised by a wide-ranging university culture.
第二(歴史的なものではなく、環境的なもの)の考察はイタリアのデザインシステム全体の規制の緩和である。私が述べたいのは、統一的で中心的なデザイン学校が存在しないことで、2つの異なる情報源: 一方では(例えばムナーリのような…)偉大な天才たちから、他方ではデザインを教えない(大学の建築)学部:幅広い大学文化に特徴づけられる環境で訓練を受けた非凡で巧みな素人である建築家たちから、専門職への情報がもたらされたことだ。
The last consideration (though it might well be the most comprehensive of all) is that of Italian political history, where modern culture has always been in opposition, and has been associated with scandal, rupture and minority interests.
Whereas in the other great democracies of Europe (Britain, Sweden, Denmark, Finland, Holland and Belgium) the Modern Movement received the accolade of official adoption, as the mark of a continuity with tradition and with social reform, in Italy it has always signified criticism, controversy and heterodoxy. As in Munari, for example...
最後の(第三の)考察(もっとも包括的かもしれないが)はイタリアの政治の歴史に関するもので、そこで近代文化は常に対立し、スキャンダルと断絶、少数派の利益と結びついてきた。
他のヨーロッパの(イギリス、スウェーデン、デンマーク、フィンランド、オランダ、ベルギーなどの)偉大な民主主義国家では、モダン・ムーブメントは伝統との連続性や社会改革の証として公式に採用される栄誉を受けたが、イタリアでは常に批判と論争と異端性を意味していた。そう例えば、ムナーリのように...。
Even the partnership between Italian design and industry has never taken place at the level of a simple functional integration, but involves rather a successful collaboration between a highly flexible manufacturing system and a design rich in unaccustomed methodologies, heedful of the languages of art and endowed with powerful figurative codes of its own.
イタリアン・デザインと産業界のパートナーシップすら、シンプルな機能的統合のレベルで行われたことはなく、むしろそれは非常に柔軟な製造システムと、芸術の言語に留意し独自の強い造形的なコードを備えていて不慣れな方法論に富んだデザインとの間の成功したコラボレーションを含んでいる。
If this has been (in broad terms) the 'mode of operation of the system of Italian design', the work of Bruno Munari cuts right across it, and in some ways represents an important key to its interpretation on an autobiographical level.
これが(広い意味での)「イタリアン・デザインのシステムの作動様式」であったとすれば、ブルーノ・ムナーリの仕事はそれらを横断するものであり、ある意味(イタリアン・デザインの)自伝的なレベルの解釈において重要な鍵を示している。
Munari's work can serve not only as a formal and methodological example of the spirit of Italian design, but also a suggestive demonstration of it, of how everything can be turned into daily life and work. ムナーリの作品は、イタリアン・デザインの精神を形式的にも方法論的にも示すだけでなく、あらゆるものが日常生活や仕事にどう転用できる方法を示唆的に示してくれるものだ。
In point of fact, it seems easier to describe Munari's career in terms of a design project for a mode of living, rather than in terms of a profession and an art.
実のところ、ムナーリのキャリアは職業や芸術という用語で表現するより、生活様式のためのデザイン・プロジェクト、と表現したほうがわかりやすいように思える。
Not because his life has been an extraordinary one in formal terms; indeed, it has been the opposite. His domestic and everyday character is perfectly straightforward. And it may be in this that there resides one of the most important qualities of his work: aesthetic research that produces 'normal' values in life. Almost a utopia, in which the artist and the ordinary man, for once, are not the opposite poles of an impossible duality, but coexist in harmony.
それは彼の人生が形式論的に並外れたものだったからではなく、その反対なのだ;彼の家庭的で日常的な性格は完全なまでに真っ当なものだ。そこにこそ彼の作品の最も重要な特質: 生活における「普通」の価値を生み出す美学的研究という性格があるのかもしれない。それはほとんどユートピアのようで、そこでは芸術家と普通の人が不可能な二元性の反対極にあるのではなく調和し、共存している。
Much has been written on the subject of his continual research into signs, materials and surreal values. For Munari, reality is an all-inclusive fact, a unique system made up of bodies, but also of their shadows, double meanings and possible ambiguities. Indeed, he often discovers pleasant surprises concealed in human and technological error.
記号と素材と超現実的な価値観に対する彼の絶え間ない研究について、多くのことが書かれている。ムナーリにとって、現実とは包括的な事実であり身体で構成されたユニークなシステムであると同時に、その影とダブルミーニング、あり得る曖昧さでもある。実際、彼はしばしば人間や技術の誤りに隠された楽しい驚きを発見する。
Munari often says, and rightly, that it is not research that should be purposeful, but its results. In other words, let me play, then we will see. What this comes down to is an affirmation of the scientific method, for Munari wants to have maximum freedom at the outset, wishing to understand thoroughly what kind of quality can produce the 'unthought of'. Then he wants to apply the results to design (which is again creative reflection, applied science).
ムナーリはしばしば、そして正しくも、目的意識を持つべきなのは研究ではなく結果である、と言う。言い換えればそれは、自分にやらせてくれればわかるだろう、ということだ。これは科学的手法の肯定であり、ムナーリは最初に最大限の自由を求め、どのようなクオリティが「考えられなかったもの」を生み出すことができるのか、徹底的に理解しようとする。そして彼はその結果をデザイン(これもまた創造的考察であり、応用科学である)に生かそうとする。
By doing this, he produces art applied to industry; but also industry applied to art. Pure research, but amid the compromises of daily life. Play as science, but the other way round as well. And without excluding chance.
そうすることで、彼は芸術を産業に応用し、同時に産業を芸術に応用する。それは純粋でありながら日常生活の妥協の中の研究だった。それは科学としての遊びであり、その逆でもある。そしてそれは偶然性を排除しない。
Like the English reformers of the last century, Munari sees design as produced by a happy designer; his peace of mind is indispensable to the quality of the design, and therefore of culture. Unhappiness can produce nothing but more of itself.
In 1985 he received the Award of the City of Osaka, which in Japan is equivalent to being declared a national monument. There can be no doubt that the Japanese admire in him many of their own virtues: courtesy, innocence, cunning. And there are many things in Bruno Munari that find an echo in Oriental culture, and in the Confucian virtues in particular.
前世紀の英国の(デザインの)改革者たちのように、ムナーリはデザインを幸福なデザイナーによって生み出されるものと考えている; 彼の心の平穏は、デザインの質、ひいては文化の質にとって不可欠なのだ。1985年彼は日本で国家表彰(ナショナル・モニュメント)に相当する大阪市の賞を受賞した。(※ブランジは大阪での第二回国際デザイン展での国際デザイン・アワード受賞について、やや誤解した解説をしている)日本人たちが彼の中に自分たちと似た美徳の多く: 礼儀正しさ、無邪気さ、狡猾さを評価したことは疑いようがない。ブルーノ・ムナーリの中には東洋文化、特に儒教の美徳に通じる多くの要素がある。
In some ways Gianni Vattimo was correct in describing Munari's work as pervaded by a weak mode of thought.
Weak in the sense that, unlike the strong versions of design, which have marked the Western avant-garde movements of this century, committed as they were to imagining a new anthropology suited to the age of industrialism, Munari, like much of Eastern culture, has been heading in the opposite direction. That is to say, he has sought to filter technology through a gracious code, without rejecting anything but also without interiorising the machine, without letting himself be totally carried away by the torrid wind of industrialism. On the contrary, he has adopted the Oriental technique of ju-jitsu, which consists in assisting the force of nature or of an adversary, in order to turn it against them. To do this he does not need to be 'against' reality, but 'within' it; so as to seek out the good soul of the world, the last drops of humidity inside even the driest of stones.
ジャンニ・ヴァッティモ(※美学者・哲学者・政治家)が、ムナーリの作品を弱い思考の様式に貫かれている、と評したのはある意味で正しかった。
弱いという意味は、それが今世紀の西洋の前衛運動を特徴づけてきた、工業主義時代にふさわしい新しい人類学を想像することに力を注いだデザインの強いバージョンとは異なり、ムナーリが東洋の文化と同じ様に逆の方向に向かったからだ。言うならば、彼は工業主義の熱い風に完全に押し流されることなく、また何ものをも拒絶することもなく、また機械を内面化することなく、優雅なコードによって技術をろ過しようとした。それどころか彼は東洋の柔術(※柔よく剛を制す、のことか)の技を取り入れ、自然の力、あるいは敵対する力を味方に付けて、それを相手に向けるのだ。これをおこなうには、現実に「逆らう」のではなく現実の「内側にいる」必要がある。最も乾燥した石の内にさえある水分の最後の一滴、世界の善良な魂を探し出すために。
And Munari, as a good Venetian-Milanese Shintoist, believes that there is a soul hidden in things, in machines or in wires; and perhaps he does not believe in death, in the existence of unusable areas of material life. そしてムナーリは、ミラノ生まれヴェネチア育ちのよき(日本の)神道主義者のように、物や機械や電線の中に魂が隠されていると信じている; おそらく彼は、死や、唯物的生命に使用できない領域の存在を信じていないのだろう。
Fundamentally Munari, like those from the Orient, believes that culture does not reside in finished products, but in the act of making them. Not in the result, but in the process.
基本的にムナーリは、東洋の人々と同じように文化は完成した品物の中にあるのではなく、それを作る行為の中にある、と信じている。(文化は)結果ではなく、その過程にあるのだ、と。
Yet I do not wish to drive Munari into the arms of the East, far away from our own culture. I see in him one of the few smiling sages that we have available to us; I do not call him Master because he has always taught that it is necessary to be able to do without one. And that a child may be worth as much and perhaps even more than a great thinker, when it comes to dealing with the enigmas of the world.
とはいえ、私はムナーリをイタリアの文化から遠く離れた東洋文化の中へ追いやろうとは思わない。私は彼に、私たちが学び得る数少ない微笑む賢人の姿を見ている; 私が彼をマエストロ(教師)と呼ばないのは、彼自身が常に、学びには教師がいなくてもやっていけることが必要だ、と説いてきたからだ。そして世界の謎に対処することになれば、子どもは偉大な思想家と同じくらい、むしろそれ以上の価値があるかもしれない。
Andrea Branzi
アンドレア・ブランジ(※建築家・デザイナー)

備考:
イタリアのノヴェチェント・ムーブメントとは、ムッソリーニのファシズム論理に基づく芸術を創造するために1922年にミラノで創設されたイタリアの芸術運動。(Wikipedia 英語版より)

ブランジはムナーリを、イタリアの戦後デザインにおける「東洋の哲学に通じる中庸の美学をもった創造の天才」と捉えたようですが、ムナーリの本質に近い部分へ迫っているように思えます。

431.訃報2025年01月22日 22:51

2025年1月13日、ジュネーブにお住まいだった、ブルーノ・ムナーリ氏(同名のお孫さん)が享年53歳で逝去されたそうです。ミラノから届いた知らせによると、本日1月22日にご葬儀がジュネーブで執り行われるとのこと。

偉大な祖父と同じ名前をもったムナーリ氏は父アルベルト氏がジュネーブ大学の教授でしたので、ほぼスイスの人として生まれ育ち、病を得て亡くなったということのようです。
ムナーリ氏にはヴァレリアさんという姉妹がいて、この方が現在祖父ムナーリの相続者ということのようですね。

ご冥福をお祈りします。

430.レオーニとムナーリ2024年12月11日 21:54

レオーニへ宛てたムナーリの手紙
絵本「スイミー」の作者レオ・レオーニ(イタリア式に発音するとリオンニ)とムナーリは青年時代どちらも後期イタリア未来派の活動に参加していたことがあり、また芸術活動の他にグラフィック・デザイナーとして活躍したという共通点がありますが、その他にも面白い対比が出来ます。
先日「レオ・レオーニと仲間たち」展開催中の板橋区立美術館で、レオーニとムナーリのお話をさせて頂く機会があり、そのときにご紹介した二人の共通点と相違点のようなものを、以下に挙げてみようと思います。

<共通点>
・二人とも独学で芸術の表現を学んだ。
・未来派(後期)に参加していた
・グラフィックデザイナーとして活躍した
・多くの絵本を作った
・子どもと教育に関心があった
<相違点>
・レオーニはオランダの裕福なユダヤ人の家系の出身。ムナーリの家族はカフェ給仕から田舎のホテル経営者、庶民の出身。
・レオーニは商業デザイナーより芸術に専念したかった。 ・ムナーリは同時に芸術家でありデザイナーであることに矛盾を感じていなかった。
・芸術家としてみるとレオーニは具象表現の作家、ムナーリは抽象表現の作家といえる。
・レオーニは1959年、孫たちのために即興で作ったお話を最初の絵本にした。ムナーリは1945年、息子のために最初の絵本を作った。
・レオーニはネズミのキャラクターを好み、自分の分身として表現した。ムナーリはネコ好きでピレリ社の発砲ゴム技術を活かして「ネコのメオ・ロメオ」をデザインした。

二人の芸術家/デザイナーは、青年期から晩年まで互いにリスペクトしつつ、どちらかといえば淡い交流をつづけていたようです…。

429.レオーニの雑誌とムナーリの本2024年11月27日 20:08

雑誌「PRINT」
2024年11月9日から板橋区立美術館ではじまった「レオ・レオーニと仲間たち」展(2025年1月13日まで)では、レオーニの提案から世に出ることになった「ムナーリのフォーク」が掲載された雑誌「PRINT」も展示されています。

「レオ・レオーニと仲間たち」展

421のトピックにご紹介したように、ニューヨークを訪れたムナーリにレオーニが新創刊する雑誌への寄稿を提案し、ムナーリがイタリア人のハンドサインをフォークで表現するイラストシリーズを提供したのですが、この雑誌の発行は1956年とのこと。
ジョルジョ・マッフェイによれば『イタリア語辞典別冊(Supplemeno al dizionario italiano)』の出版が1958年なので、レオーニの雑誌の方が古いことになります。
もっとも『イタリア語辞典別冊』は1832年にナポリで出版されたイタリア人のジェスチャーをまとめた本からヒントを得た、とムナーリが書いているので、レオーニから声をかけられた時点でムナーリは何かしらのアイデアをもっていた、と考えられます…。

428.英語によるムナーリの研究書(2017)2024年11月21日 19:55

The Lightness of art
2017年に出版された英語テキストによる『Bruno Munari The Lightness of art』というムナーリの研究書が届きました。

Bruno Munari The Lightness of art

序文にいわく「本書は1986年のアルド・タンキスによる詳細なモノグラフが英訳版として出版されて以来、初めての英語による体系的なムナーリの評論書である」とのこと。
いまのところ(英語は苦手なので)ちらちらと眺めるに留まっていますが、すこしずつ解読できれば、と思います。
目次は以下のようになっていました;

Contents
List of Figures
Acknowledgments
PIERPAOLO ANTONELLO, MATILDE NARDELLI AND MARGHERITA ZANOLETTI
Introduction: Bruno Munari's Lightness

PARTI: Experiment and the Avant-Garde
ARA H. MERJIAN
1 'On the Verge of the Absurd': Munari, Dada, and Surrealism in Interwar Italy
ANTHONY WHITE
2 Bruno Munari and Lucio Fontana: Parallel Lives
GIOVANNI RUBINO
3 Bruno Munari versus Programmed Art:
A Contradictory Situation, 1961-1967

PART II: Designing and Subverting the Page
JEFFREY SCHNAPP
4 The Little Theatre of the Page
MARIA ANTONELLA PELIZZARI
5 The Charade of Bruno Munar's Photo-reportage (1944)
MARGHERITA ZANOLETTI
6 Word Imagery and Images of Words:
Bruno Munari the Writer

PART III: The Everyday Spectacle of Art
NICOLA LUCCHI
7 "The Great Painter Paints the Baker's Sign':
Bruno Munari and the Art of Advertising
MATILDE NARDELLI
8 The Small, the Large, and the Moving:
Bruno Munari and Cinema
PIERPAOLO ANTONELLO
9 Bruno Munari's Natural Forms

PART IV: Political Munari
ROMY GOLAN
10 Campo Urbano: Episodes from an Unwritten History of Participation
TERESA KITTLER
II Bruno Munari's Environmental Awareness
Notes on Contributors
Index

427.ムナーリと瀧口修造2024年11月17日 19:47

ムナーリと瀧口修造の友情は1958年ミラノでの出会いから1979年瀧口が没するまで続いていたようです。
瀧口の仕事に関する資料の中には、来日したムナーリが注目していた竹を使った作品の本を一緒に作る計画があり、その草稿が残されているそうです。
その他にもイタリアの古書取り扱いサイトで見つけたムナーリの作品集に、瀧口が原稿を寄せているものもありました。

BRUNO MUNARI -1971-

1971年ミラノの画廊でのムナーリ展のカタログのようです。
ムナーリは筆まめな人で、親しい人はもちろん遠方の友人に心のこもった手作りのカードを折々に送ったりもしています。
海を隔てて遠くにいても、芸術家たちの友情は確かに生き続けていたのだと思います。

426.「ムナーリ・バイ・ムナーリ」2024年11月10日 18:40

「ムナーリ・バイ・ムナーリ」
425ののトピックから続いて、作曲家武満徹による現代音楽「ムナーリ・バイ・ムナーリ」に関する小さな発見です。
これまで武満がムナーリから贈られた「読めない本」をもとに「ムナーリ・バイ・ムナーリ」を作曲したことはわかっていたのですが、「楽譜」であるムナーリの作品が把握できていませんでした。
1993年の武満の展覧会「眼と耳のために」の図録から、その「楽譜」のカラー図版を発見できました。
武満自身の回想によれば、瀧口を通じて紹介され仲良くなったムナーリが「読めない本」ただし資料には「見えない本:インヴィジブル・ブック」とされていますが、これを贈られた武満が当時研究していた演奏における偶然性を誘発する「線形楽譜」の試みに用いたいと伝え、快諾された武満がムナーリの作品に手を加えて「楽譜」に仕上げた、ということのようです。

つまり「ムナーリ・バイ・ムナーリ」の「楽譜」はムナーリと武満の共同作品であり、これによって演奏された楽曲は、作曲家と演奏者(初演は打楽器奏者ツトム・ヤマシタ)の合作、ということができるでしょう。

なお、武満にムナーリを紹介した瀧口も「リバティ・パスポート」シリーズなどの「手作り本」のかたちをとった作品を多数残しています。

425.武満徹と「ムナーリ・バイ・ムナーリ」2024年11月07日 19:08

武満徹
作曲家・武満徹には「ムナーリ・バイ・ムナーリ」という作品があります(過去に本ブログでもご紹介しています)。
武満は瀧口修造を介して来日中のムナーリと親交を結び、ムナーリの作品「読めない本」に触発されて作曲したと聞いていましたが、立花隆による武満へのロングインタビューをまとめた『武満徹・音楽創造への旅』(文藝春秋社2016)の中に武満自身がその経緯を振り返っているテキストを発見しました。

「ムナーリというのはイタリアのデザイナーで、工業デザインもやれば、グラフィック・デザインもやる、子供の絵本も作るという人で、瀧口修造さんの友人なんです。日本にきたときに瀧口さんの紹介で会ったら、『インヴィジブル・ブック』(見えない本)という作品をくれたんです。これは、いろんな大きさの、赤、茶、白、黒の紙をとじてノートブックみたいにしたもので、その紙に水平の切り込みが入っているので、いろんな折りたたみ方が可能になるんです。それをもらったときに、『これをもうちょっと切り刻んで図形楽譜として使いたい』といったら、ムナーリが、『好きなようにしていい』といってくれたので、もっと切り込みを入れたり、穴を開けて向こうが見えるようにしたりとかいろんなことをした上で、各ページに謎めいた言葉を書き入れたんです。その謎がいわば楽譜で、演奏者は、その言葉に反応して音を作らなければならないんです。」(p.565)

「楽譜は一辺が23センチメートル余りのほぼ正方形の薄い本で、赤茶白黒の形も大きさも異なる紙片が綴じ込まれている。赤と茶の紙には曲線的な切り抜きがあり、赤は<速く)、茶は<遅く>を意味する。白い紙にはといった謎めいた言葉が、また黒い紙には五線に音が書かれている。 奏者は色を聴き、メッセージを全身で送り出し、永遠の時空間を『無なり』へと変貌させる」(p.699)

同書を通じて、武満は生涯を通じて新たな音作りを探し続けた人だと言うことを知りました(また、田中角栄の汚職を暴いたことで知られる立花隆が青年時代から現代音楽の愛好者だったことも)。
武満は美術にも深い関心をもっていたそうですが、ムナーリとの大きな共通点として「生涯を通じて新しい表現の可能性を探究し続けた、立ち止まることを知らなかった芸術家」であったことが挙げられるのではないでしょうか。
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イタリアの芸術家+デザイナー+教育者、ブルーノ・ムナーリのことなどあれこれ。
こちらにもいろいろ紹介しています(重複有)https://fdl-italform.webnode.jp/

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