399.ムナーリの教育玩具資料(1977)2024年02月26日 17:46

2024年2月のイタリア調査で、2023年アキにミラノにオープンした「スパツィオ・ムナーリ」を訪問することができました。
いずれ別のトピックとしても紹介したいと思っていますが、ギャラリーショップのような空間の一角には世界各国でこれまで開かれたムナーリの展覧会カタログなどが閲覧できるようになっています。 (その中には日本での展覧会資料もしっかり備えられていました)
個人的に、大きな収穫だったのはムナーリがダネーゼ社のためにデザインした教育玩具シリーズに関する講演会資料があったことです。
1977年といえばムナーリがミラノのブレラ美術館ではじめて子どものための大きなワークショップを実現した年でもあり、この時期からムナーリがどれほど真剣に子どもの創造性教育に関わろうとしていたかを伺うことができます。
ムナーリ自身はこの講演会でスピーチしていませんが、教育学者でコラボレーターだったベルグラーノ、息子で認識論学者のアルベルト氏の他にも現在も現役でミラノ・ビコッカ大学と附属幼稚園での指導にあたっているスザンナ・マントヴァーニ教授などがムナーリのデザインした教育玩具と子どものアクティビティについて論じているようです。
これから、写し取ってきた内容をじっくりと分析していこうと思っています。

397.ベバ・レステッリさん2024年02月24日 19:30

ベバ・レステッリさん
1980年代からムナーリの教育ワークショップの協力者として活動し、ムナーリの教育に関する多くの著書を書かれているベバ・レステッリさんに、ミラノで会うことができました。
本ブログを始めた頃、青山こどもの城でムナーリ展が開催され、その際に来日されたレステッリさんの講演を聴いた記録が残っているのですが当時はムナーリの教育活動について知識がなさ過ぎて内容の理解に至りませんでした。
その後デザインから教育の世界に身を移して、教育者としてのムナーリを中心に調べるようになり、レステッリさんの著作からは多くの学びを得ています。
今回(2024年2月)のイタリア行きでは、直接レステッリさんご本人に会って意見を交わすことができ、またレステッリさん以外にもムナーリと深い縁のある方々と交流することができました。

392.ミラノの保育施設とムナーリの猫2023年12月11日 06:08

先日、イタリアの教育施設の研究調査のために数年ぶりにイタリアを訪れました。
友人知人に挨拶をする間もない駆け足の日程でしたが、そのかわり新たな出会いがありました。
その中でもミラノ郊外のビコッカ大学附属保育園と幼稚園の見学は大変興味深いものだったのですが、教育の仕組みだけでなく空間や備品のデザインまでよく考えられた施設の壁に、ムナーリがデザインした「猫のメオ・ロメオ」のポスターを見つけました。
ビコッカ地区は大企業ピレリ(ピレッリ)の本拠地のようなのですが、考えてみれば「猫のメオ・ロメオ」は当時最先端の発泡ゴム成形技術を用いてつくられたおもちゃでした。
保育施設を統括されているビコッカ大学名誉教授のマントヴァーニ先生は、ムナーリと交流があったとお話を伺いました。
イタリアでは教育の世界でもムナーリの仕事が受け継がれていることを実感する出来事でした。

390.ムナーリの教育センター構想2023年11月05日 11:30

ムナーリの教育活動が社会全体の創造性の向上を願ったもので、彼の晩年の大きな継続的テーマであったことは、これまで調べてきたことからかなり明らかになってきました。
これを裏付ける資料が、数年前に入手していた『長期的なプロジェクト(Un progetto a lungo termine』という研究書の最後に示されていました。
Miriam Nocchi Croccolo, 2005, "Un progetto a lungo termine : I laboratori di Bruno Munari Nel mondo da Brera 1977 a S.Paolo in Brasile 1995" p.102

Munari ha tentato varie volte di far nascere a Milano un centro per la creatività infantile; centro che avrebbe dovuto sorgere nell'area dello "ex zoo", spazio questo con il vantaggio di essere vicino al Planetario e al Museo di Storia Naturale.
Almeno quattro assessori di giunte diverse se ne sono occupati e ne hanno parlato, ma tutto è rimasto sulla carta.
Ne sono testimonianza le lettere al "Gentile Assessore" riportate dalla rivista «Leggere», diretta da Rosellina Archinto (meritevole ed infaticabile direttrice dell'ormai mitica collana di libri per bambini Emme Edizioni), in occasione degli 89 anni compiuti da Munari nell'ottobre del '96.
ムナーリは何度もミラノに子どもたちの創造性のための施設(センター)を設立しようと試みた; この施設は、かつての動物園の跡地に建設される予定で、プラネタリウムや自然史博物館に隣接するという利点があった。(訳註:この記述から、構想された施設はミラノ中心部の公園Giardino Indro Montanelli内を想定していたと考えられる)
少なくとも4人の異なる議会の議員たちがこの問題を扱い議論したが、すべては書類上の検討にとどまっている。
(伝説的な子どものための本シリーズに関わったエンメ・エディツィオーニ出版社の功労者であり不屈の編集者)ロセッリーナ・アルキントが編集長を務めていた雑誌『レッジェレ』が、1996年10月のムナーリ89歳の誕生日に報じた「親愛なる評議員へ」の手紙がそれを物語っている。
«Gentile Assessore, propongo alla sua attenzione quanto era già stato proposto all'Assessorato all'Ecologia in merito all'ipotesi che prevede nell'area dell'ex zoo una stazione di sperimentazione e documentazione dei laboratori di stimolazione della creatività infantile. Molti di questi già funzionano col mio metodo in diverse nazioni: Francia, Giappone, Stati Uniti, Israele, Spagna, Venezuela, Brasile e in Italia nei musei di Faenza e Prato».

La grande richiesta di questi laboratori, non ultimo quello collegato alla mostra LEGO alla rotonda della Besana promossa dal Comune di Milano, fa pensare quanto sarebbe utile per Milano, che ha visto nascere i laboratori a Brera nel 1977, dotarsi di un centro internazionale di informazione, sperimentazione e verifica continua del metodo. Il centro di informazione lavorerà a stretto contatto con le scuole milanesi che a rotazione, parteciperanno (insegnanti e bambini) alla sperimentazione.
Non dimentichiamo che il bambino di oggi è il cittadino di domani e che un bambino creativo è un bambino felice...
「親愛なる評議員の皆様、私(ムナーリ)は、これまでに(ミラノの)旧動物園跡地に子どもたちの創造性を刺激するためのワークショップの実験と記録のための施設を設置する計画を環境局に提案していることを、皆様にお伝えいたします。このワークショップの多くは、すでにフランス、日本、アメリカ、イスラエル、スペイン、ベネズエラ、ブラジル、そしてイタリア国内のファエンツァとプラートの美術館など、さまざまな国で私のメソッドによって実施されました。」

ミラノ市議会が推進したロトンダ・デッラ・ベザーナ(訳註:ミラノ市内中心部の旧修道院で、2014年以来MUBA:ミラノ・チルドレンズ・ミュージアムの拠点)でのレゴ(ブロックの)展覧会に関連したワークショップはもとより、これらのワークショップに対する大きなニーズは、1977年にブレラでワークショップを開催したミラノにとって、情報提供、実験、手法の継続的検証のための国際的なセンターがあれば非常に有益なものであると考えられる。この情報センターはミラノの学校群と密接に連携し、学校(の教師と子どもたちが)は交代で実験に参加するだろう。
私たちは、今日の子どもは明日の市民であり、創造的な子どもは幸せな子どもであるということを忘れてはならないのだ。

ムナーリは、1985年の来日の際ワークショップを行った東京の「子どもの城」の施設からも触発されていたことが想像できます。残念なことに「子どもの城」はいまはなく、しかしミラノには2014年以来、ムナーリのワークショップとも関連をもった子どものための文化活動を展開する「MUBA」(ミラノ・チルドレンズ・ミュージアム)が生まれました。

389.晩年のムナーリ、教育を語る2023年10月22日 19:03

385.のコラムで紹介したMUNARIAのウェブページの中には、ムナーリが考え実践した子どものための教育について語っている資料が幾つか紹介されています。その一つ、1993年にマルコ・メネグッツォによるインタビュー(メネグッツォが監修したムナーリの作品集に収録)の中の教育に関するテキストを日本語にしてみました。
ムナーリが芸術活動を通じて現代社会に何を望んでいたか、彼の失望の深さと子どもへの希望、そして日本の文化への強い共感を読み取ることができます。

MARCO MENEGUZZO INTERVISTA MUNARI
Da Bruno Munari di Marco Meneguzzo,
Ed. Laterza, 1993, serie “I designer”, pp.112-118


M.M. Vorrei ora arrivare al tuo interesse nei confronti dell’apprendimento dei bambini, alla tua specialissima didattica: innanzitutto, ti piace la definizione di didattica? O non contiene già nell’etimo un qualcosa di impositivo?
メネグッツォ:では、子どもたちの学びに対するあなたの関心、つまりあなたの特別な教育の話をしましょう: まずなによりに、あなたは教育を定義することに関心がありますか?それともその語源にはもはや不動のものが含まれないのでしょうか?

B.M. Ogni termine può funzionare. Se ci soffermiamo troppo sui termini, avremo molte difficoltà nella vita: se pensi ai profiterol, potrebbero essere un lubrificante! Certo, nel termine didattica c’è qualche cosa di impositivo, e forse sarebbe meglio usare la parola educazione, che comunque ha, anch’essa, quasi lo stesso significato etimologico.
ムナーリ:どんな表現でも意味は通じます。もし表現にこだわりすぎると、人生では多くの困難が生じるものですよ: プロフィトロール(菓子)のことについて考えるならば、それは潤滑油かもしれませんが!もちろん、教育学(didattica)という表現には堂々としたものがあるし、 教育(educazione)という言葉を使ったほうがいいのかもしれませんが、これも語源的にはほとんど同じ意味です。

M.M. Mi pare che, guardando allo sviluppo dei tuoi interessi progettuali, l’interesse per il campo educativo venga immediatamente a ridosso, cronologicamente e concettualmente, dei tuoi progetti di libri per bambini: qual è stato allora lo stimolo, il passaggio mentale tra il progetto del libro e questa più vasta sperimentazione didattica?
メネグッツォ:あなたのデザインへの関心の展開を見ると、教育分野への関心は時系列的にも概念的にも、子どものための本のプロジェクトの直後にあるように思えます:では、本のプロジェクトと、この広範な教育的な実験の間の刺激や精神的な移行は何だったのでしょう?

B.M. È derivato dalla voglia di farsi comprendere bene. Per farsi capire bene, bisogna subito mettersi in contatto con gli stereotipi mentali di chi ti ascolta, altrimenti non capisce. Se non si stabilisce questo contatto, il ricevente non sa cosa pensare delle tue affermazioni, perché non sa riferirle a qualcosa che già conosce. Naturalmente esistono stereotipi dannosi e stereotipi necessari: quelli dannosi sono quelli che ti impediscono di capire perché ti impongono una sola soluzione, quelli necessari – che forse si possono chiamare convenzioni – sono quelli che un intero popolo, un’intera cultura dichiara basilari. Probabilmente anche l’alfabeto potrebbe essere considerato uno stereotipo, ma non certo dannoso.
ムナーリ:それは自分をよく理解してほしいという欲求から生じるのです。自分をよく理解してもらうには、聞き手の心的ステレオタイプに即座に触れなければなりません。この接触がなければ、相手はあなたの言うことをどう理解すればいいのかわからず、すでに知っていることと関連づけることができないからです。もちろんステレオタイプには有害なものと必要なものがあります:有害なものとは、必要なもの - それらは規則と呼べるでしょう - があるにもかかわらず、ただ一つの解決策だけを押し付けて、理解を妨げるものです。必要な固定観念とは、ある民族や文化全体の基本であると宣言できるものです。アルファベットはステレオタイプと言えるかもしれませんが、有害ではありません。

M.M. Quindi tu ritieni che la comunicazione non stereotipata sia quella coi bambini, pensi che la loro mente sia quasi come un terreno vergine?
メネグッツォ:つまり、ステレオタイプでないコミュニケーションとは子どもたちとのコミュニケーションであり、彼らの心は処女地のようなもの、ということですか?

B.M. Non proprio. Svilupperemo più avanti questo argomento. Adesso vorrei solo ricordare che tengo presente gli stereotipi quando parlo con gli adulti, anche, o quando scrivo testi che devono comunicare non banalmente: sembra paradossale, ma devi partire dallo stereotipo, far ragionare sulla nascita di questo, per arrivare a nuovi concetti.
ムナーリ:そうではありません。この話題については後で発展させましょう。ここではっきりさせたいのは、私は大人と話すときでも、あるいはありきたりでないコミュニケーションを必要とする文章を書くときでさえ、ステレオタイプを心得ています: それは逆説的に聞こえるかもしれませんが、その誕生について考え新しい概念に到達させるためには、ステレオタイプから出発するべきなのです。

M.M. Mi pare che questo sia perfettamente coerente con tutto il tuo modo progettuale: basta pensare, come esempio, al tuo uso della fotocopiatrice come macchina produttrice di immagini uniche, per capire che parti dal dato normale, conosciuto e riconosciuto -in questo caso l’uso della macchina come riproduttore-, per giungere a qualcosa di completamente diverso.
メネグッツォ:これは、あなたのデザインのやりかたと完全に一致しているように私には思えます:例えば、あなたが複写機をユニークな画像生成マシンとして使用した(訳註:ゼログラフィア)ことを考えると、普通の、よく知られた、周知されたやり方(この場合は複写機としての使い方)から出発して、あなたがまったく異なるものに到達していることが理解できます。

B.M. Certo, anche se quella è più sperimentazione che comunicazione. O se vuoi, è una comunicazione a me stesso: mi domando cosa può fare di più una macchina, una tecnica, oltre a quello per cui è stata fatta.
ムナーリ:確かに、それはコミュニケーションというよりは実験ですね。あるいは自分自身とのコミュニケーションとも言えるでしょう: 私は機械や技術は、そのために作られた目的以外に何ができるのだろう?と考えるのです。

M.M. Consideri allora una sorta di sperimentazione anche quella sui bambini?
メネグッツォ:それは子どもたちに対するそれも一種の実験だと思いますか?

B.M. Certo, lo è. Io devo prima conoscere quello che può pensare un bambino di una certa età, e per questo mi riferisco ai testi e ai dati di Piaget, che ritengo essere lo studioso più acuto dell’infanzia: Se io voglio aiutare a costruire un individuo libero e creativo, oltre a capire il suo modo di pensare, devo poi anche aiutarlo a liberarsi dei preconcetti e degli stereotipi dannosi.
ムナーリ:その通りです。私はまず、ある年齢の子どもは何を考えられるかを知る必要があり、ましたから、私はピアジェのテキストとデータを参考にしています。ピアジェは幼年期について最も鋭い研究者だと私が考える人です: 私が自由で創造的な個人を形成する手助けをしたいと望むならば、その子どもの考え方を理解するだけでなく、有害な先入観や固定観念を取り除く手助けもするべきなのです。

M.M. Proprio in questo vedo delle forti analogie con il tuo metodo progettuale, che parte dall’informazione, dalla tecnica per arrivare alla liberazione: tuttavia non pensi che questo sia anche una specie di forzatura nei confronti di quegli stereotipi che pure aiutano a codificare la realtà? E poi, da dove vengono questi stereotipi dannosi, questi preconcetti?
メネグッツォ:それこそ、情報や技術から出発して自由(解放)へ到達する、あなたのデザインの手法との強い類似を感じますね: しかし、これもまた現実を成文化するのに役立つ固定観念に対する、一種の強制でもあるとは思いませんか?そして、有害な固定観念や先入観は、一体どこから来るのでしょう?

B.M. Vengono dalla comunità e dalla famiglia, e si ritrovano scoperti e sedimentati per esempio nei proverbi, nei modi di dire: conoscevo un anarchico che ripeteva sempre «sarò sempre ateo, grazie a Dio». Ecco usava lo stereotipo senza capire.
ムナーリ:それらは、コミュニティや家族から生まれ、ことわざや格言の中に発見され、沈殿していくものです: 私の知人の無政府主義者はいつも「神のご加護で、私はいつも無神論者だ。」繰り返していました。そのとき彼は、ステレオタイプを理解することなく使っていたのです。

M.M. E questi preconcetti esistono già, ben forti, in età prescolare?
メネグッツォ:そういった先入観は就学前の段階で、すでに強く存在しているのでしょうか?

B.M. Sì, sono tutti quei preconcetti che i genitori comunicano al bambino: devi fare questo, non devi fare quello…
ムナーリ:そうです、それらは親が子どもに伝える先入観です: お前はこうしなさい、これはする必要はない…と。

M.M. Tuttavia non dobbiamo neppure identificare lo stereotipo con la regola: la regola è utile, come si diceva, alla codificazione della realtà, del mondo, e soprattutto per un bambino sono necessarie regole precise.
メネグッツォ:しかし私たちはステレオタイプとルールを同一視する必要はありません: 先にも述べたように、ルールは現実や世界を体系化するために役に立ちますし、特に子どもにとっては、正確なルールが必要です。

B.M. Certo: i bambini amano le regole. Senza le regole non si può giocare. Un giorno parlavo con un pedagogista che mi chiedeva come facevo a spiegare a un bambino cosa è una regola: Io procedo sempre per esempi. Lì c’era un bambino, a cui ho chiesto se conosceva quel gioco che si fa coi gessetti, dove si disegna per terra una specie di portone con i numeri. È il gioco del “mondo” e il bambino lo conosceva bene: così gli chiedevo come si giocava e cosa succedeva se si tirava il sasso tra due caselle. La risposta era che quello non si poteva fare; ed era uno sbaglio. Ecco la regola del gioco. Entro così in contatto con il pensiero stereotipato, e ne tento uno sviluppo. È un modo di far ragionare sullo stereotipo, perché non si deve strappare al bambino lo stereotipo, che lui vede come regola, altrimenti resta un vuoto. Lo stereotipo deve essere moltiplicato, sostituito attraverso l’ampliamento: se esiste una regola del due, esisterà anche una regola del tre…, e una regola tre e ventuno?… Tutto, per il bambino, deriva dal gioco, e il gioco è il modo più facile di memorizzazione, perché il gioco richiede la partecipazione globale plurisensoriale dell’individuo.
ムナーリ:もちろんです:子どもたちはルールが大好きなのです。ルールがなかったら遊べませんからね。ある日私が教育学者と話をしていたとき、「ルールとは何か、どうやって子どもに説明するのですか」と聞かれました: 私はいつも例をあげて説明します。ちょうどそこに子どもがいたので、チョークを使って地面に数字で門のようなものを描くゲームを知っている?と尋ねました。それは「世界」という遊びで、子どもはそれをよく知っていました:そこで私は、それはどうやって遊ぶのか、2つのマスの間に石を投げたらどうなるのかを尋ねました。子どもの答えは「それはできないよ」でした; それは間違いなのです。それが、この遊びのルールでした。こうして、私はステレオタイプ的な思考に触れてそれを発展させようと試みるのです。それはステレオタイプについての推論方法で、 なぜならそれは、子どもがルールとして見ているステレオタイプを子どもから取り上げてはならなず、さもないと空っぽ(無意味)なものになるからです。ステレオタイプは増殖し、拡大することによって置き換えられなければなりません:もしも2の法則があるなら、3の法則もあるでしょう…、では3と21の法則は?…子どもにとって、すべては遊びから生まれるもので、遊びは記憶するために最も簡単な方法で、なぜなら遊びは個人のもつ複合的な感覚のグローバルな参加を必要とするものだからです。

M.M. Non temi di sostituire stereotipo a stereotipo?
メネグッツォ:あなたはステレオタイプをステレオタイプに置き換えるのを恐れないのですか?

B.M. No, perché ogni bambino ha poi una sua propria personalità e può scegliere la vita che più gli piace. L’importante è che tu lo ponga di fronte a varie possibilità per ottenere un certo risultato: la sua personalità sceglierà quello che più gli aggrada, così, lentamente, attraverso le varianti e le possibilità, si forma l’individuo.
ムナーリ:いいえ恐れません、なぜなら、子どもたちはそれぞれに自分の個性を持ち、自分が一番好きな人生を選ぶことができるからです。重要なことは、ある結果を得るために、その子どもにさまざまな可能性を提示することです: そうしてゆっくりと、バリエーションと可能性を通して、個人が形成されていくのです。

M.M. Quindi, il tuo modo educativo esalta le capacità individuali: non pensi – e qui so di fare l’avvocato del diavolo -, che questo possa andare a detrimento della socialità?
メネグッツォ:つまり、あなたの教育の方法は、個人の能力を高めるものなのですか: あなたは - 私は悪魔の証明(証明することが不可能か非常に困難な定義)をしているようなものですが - それが社会性を損なうとは考えませんか?

B.M. No, perché la capacità sociale è la somma delle migliori capacità individuali.
ムナーリ:いいえ思いません、なぜなら社会的な能力とは、最高の個人の能力の総和だからです。

M.M Così si sposta il problema sulla definizione di “migliore”…
メネグッツォ:そうして、問題は「よりよいもの」の定義へと移ってしまいます…

B.M. Il migliore è quando ti rendi conto che utilizzando un metodo, un’attività al posto di un’altra, hai maggiore possibilità di conoscere, di capire, di fare.
ムナーリ:よりよい、とはある方法や活動を他の何かの代わりに使うこと、知ること、理解すること、実行することの機会が増えると気づいたときのことなのです。

M.M. Pensi che un bambino possa riconoscere l’autorità in questo modo? Ha già, cioè, un concetto così articolato di autorità?
メネグッツォ:あなたは、子どもがこのやり方で権威(オーソリティー)を認識できると思いますか?子どもは権威について、すでに明確な概念を持っているでしょうか?

B.M. Questa è appunto l’autorità riconosciuta, mentre l’autorità imposta è quella dei capi con molti segni di riconoscimento, con molti nastrini sulla giacca: l’autorità riconosciuta è quella, ad esempio, della Levi Montalcini, che le deriva dal sapere e non dà segni esteriori di riconoscimento. L’operaio riconosce l’autorità del suo capo operaio, solo se questo ne sa più di lui, se invece accade il contrario, quell’autorità è fittizia.
ムナーリ:これはまさしく(自然に)認められた権威であって、一方、押しつけられた権威とは、多くの承認のしるしにジャケットにリボンをたくさんつけているリーダーの権威です: 認められた権威とは、たとえばレヴィ・モンタルチーニ(訳註:イタリアの神経学者、ノーベル賞を受賞)のような権威であり、彼は知識から権威を導き出し、見かけだけの承認のしるしなど見せつけません。労働者が労働者のリーダーの権威を認めるのは、リーダーが自分よりも多くのことを知っている場合だけで、逆の場合、その権威は架空のものです。

M.M. Torniamo alla sorgente di questo tuo interesse per il bambino. Quando hai cominciato a pensare a questo progetto?
メネグッツォ:あなたの子どもへの興味の源に戻りましょう。このプロジェクトについて考え始めたのはいつ頃ですか?

B.M. Quando è nato mio figlio, nel 1940. Così dal ’43/’45 ho cercato di capire la sua natura, senza imporre quel che io credevo dovesse fare. È per questo che ora è contento ed ha successo. È a questa sperimentazione in famiglia che devo anche i progetti e le idee dei libri per bambini, C’era tutta una zona inesplorata, nella quale ci sarebbe stato bene un libro anche per bambini che ancora non sanno leggere – come i Prelibri che poi ho fatto -: vedevo i tipici libri per l’infanzia, tutto testo, con poche illustrazioni “al tratto”, perché costava meno… e poi gli editori, che sono industriali come gli altri, sanno che i libri per bambini sono comprati dai genitori e che i genitori comprano i libri per i loro figli pensando a quando loro erano bambini, così c’era sempre lo stesso libro in ballo! Invece con tutte le possibilità che offre l’industria tipografica – pieghe, carte, tagli, fori, fustelle… – c’erano tanti altri modi per comunicare. Ecco, il libro è fatto anche di comunicazione visiva, di comunicazione attraverso i sensi, oltre che con la parola e con la vista. Un altro accorgimento che ho adottato e che ritengo fondamentale in questo settore, è che nei libri per bambini non ci deve essere il protagonista, perché il protagonista “plagia” il bambino. Nei miei libri il protagonista è il bambino stesso che guarda, che entra nella nebbia, che guarda la giraffa attraverso il buco della pagina – nel libro Chi è? Apri la porta – che apre la porta: dentro il libro ci sono molti personaggi e molte storie semplici, ma curiose, però nessun protagonista. È il bambino che si deve sentire protagonista.
ムナーリ:私の息子が生まれたのは1940年です。こうして1943年から1945年にかけて、私は息子の性質を理解しようと努めました。そしてそのことによって彼は今、幸せで成功しています(訳註:ムナーリの息子はジュネーブ大学でピアジェに学び、認識論学の教授となった)。この家庭での実験が子ども向けの本の企画やアイデアやまだ文字が読めない子どもたちの本 - 私がその後に作った「プレリブリ」のような - が湧き上がってきたのです: 典型的な子どもの本(児童書)は、文字ばかりで挿絵が「おまけ程度」にしかなく、なぜなら(挿絵を減らすことは)経費を抑えられるからです…出版社は、他と同様に営利組織ですから、子どもの本を買うのは両親であり両親が子どもの頃を思い出しながら自分の子どもたちに本を買うことを知っていて、そうして昔ながらの本が出来るのです!一方で、印刷産業が提供するあらゆる可能性- 色々な折り、紙、カット、穴、型… - が利用できます。コミュニケーションの方法は、他にもたくさんありました。見ての通り、本は視覚的なコミュニケーション、言葉や視覚だけでなく、感覚を通したコミュニケーションでも作られています。私が採用したもうひとつの仕掛けで、この(子どもの本の)分野では基本だと考えるのことは、子どもの本に主人公が登場する必要はない、ということです。私の本では、主人公は(読み手の)子ども自身であり、彼は本をながめ、霧の中に入り、- 「誰?ドアを開けて(トック・トック)」の中で -ページの穴からキリンを見るのです:本の中にはたくさんの登場人物とシンプルな物語がたくさんあり、不思議で、ただし主人公は登場しません。(読み手の)子ども自身が主人公だと感じられるべきなのです。

M.M. Per quale motivo hai scelto la forma del libro per questa comunicazione col bambino?
メネグッツォ:なぜ、子どもとのコミュニケーションに本という形を選んだのですか?

B.M. La forma è un supporto. Il libro è un supporto, la cui forma è la più manipolabile, la più comoda.
ムナーリ:形は支持体(土台)なのです。本は支持体であり、その形は最も操作しやすく、最も快適です。

M.M. Tuttavia, hai operato un radicale passaggio tra oggetto-libro e sperimentazione globale per l’infanzia. Quando e come è avvenuto?
メネグッツォ:しかしながら、あなたはオブジェとしての本と子どもたちのためのグローバルな実験との間で、大きな転換を行いました。これはいつ、どのようにして起こったのですか?

B.M. Il libro ha le sue possibilità, che sono molte, ma non infinite. C’erano altre possibilità che andavo sperimentando, che mi venivano in mente nel corso degli anni. I primi laboratori per bambini, un po’ casalinghi, credo siano del 1975, poi, due anni dopo, c’è stato l’interesse di Franco Russoli, allora Sovrintendente a Brera, che mi ha chiamato a fare una sperimentazione per bambini alla pinacoteca. Si trattava di far capire ai bambini le tecniche e i modi di comunicare con le immagini, di cui i quadri di Brera erano gli esempi. Quindi si trattava di costruire immagini comunicanti attraverso le tecniche delle arti visive. Per ogni argomento abbiamo costituito un gruppo di lavoro. Per ogni gruppo di ricerca ho voluto che ci fosse un pedagogista e uno psicologo, oltre naturalmente ad altri operatori, tra cui io. Così, alla fine, abbiamo progettato un programma aperto, che veniva e viene costantemente rinnovato, e che segue tutti i casi particolari e interessanti man mano che si presentano.
ムナーリ:この本には多くの可能性がありますが、それは無限ではありません。何年もかけて私が試行錯誤していた可能性は、他にもあったのです。最初の子どものためのワークショップは、手づくり的なもので、1975年だったと思います。その二年後、当時ブレラ美術館の責任者だったフランコ・ルッソリがそれに興味を持ってピナコテーカ(美術館)で子どものための実験をするように声をかけてくれたのです。それは、ブレラ所蔵の絵画がその例となるような、イメージとコミュニケーションする技術や方法を、子どもたちに理解してもらうというものでした。つまり視覚芸術の技法を通して、コミュニケーション可能なイメージを構築することが課題だったのです。私たちはそれぞれのテーマについてワーキンググループを作りました。それぞれの研究グループには、教育学者や心理学者、そしてもちろん私を含む他の教育実践家も参加させようと考えたのです。そうして最終的に、常に更新されながら特殊な、興味深い事例が発生するたびにそれをフォローできる、オープンなプログラムをデザインしました。

M.M. Ormai sono passati quindici anni da quella prima esperienza sul campo. Cosa è cambiato nel metodo, e cosa è cambiato nel bambino?
メネグッツォ:その最初の実践体験から15年が経ちました。メソッドは何が変わり、子どもは何が変わったのでしょう?

B.M. In quel laboratorio abbiamo commesso degli errori, che abbiamo poi esaminato collettivamente. Ad esempio, le “gabbie”, cioè le strutture geometriche entro cui l’artista ha costruito e racchiuso le figure dell’opera del quadro, sono risultate troppo difficili per la comprensione dei bambini che frequentano la scuola elementare, mentre funzionano bene per gli alunni delle medie. Ecco, gli ertosi tipici sono di questo tipo: il programma è “troppo in su” o “troppo in giù”: le sensazioni tattili vanno sviluppate per le scuole materne, mentre risultano un po’ noiose per le altre. Ma si tratta comunque di correzioni minime, e più che altro riguardanti il comportamento degli operatori.
ムナーリ:そのワークショップで私たちはいくつか間違っていたことに気づいて、きちんと検証しました。例えば「ケージ(鳥かご)のワークショップ」ですが、 画家が絵の中の人物を配置する幾何学的な構造の理解は、小学生には難しすぎましたが、 一方で中学生にこのプログラムは効果的です。ちょうど、プログラムが「高すぎる」、あるいは 「低すぎる」典型的なエルトース(関節炎〜食い違い?)はこのタイプです: : 触覚は、幼稚園の子どもにとって開発されるべきテーマですが、他の子どもたちには少し退屈でしょう。しかしこれらは小さなな修正で、(大きな修正は)むしろオペレーターの行動に関するものでした。

M.M. Come agisce l’operatore? Esiste una procedura, un metodo standard per trattare coi bambini?
メネグッツォ:オペレーター(ファシリテーター)は、そこでどのように行動しますか?子どもたちに対応する手順や標準的なメソッドはありますか?

B.M. Essenzialmente, non bisogna porre il bambino di fronte all’argomento scelto, come se questi fosse un adulto. Non esiste quindi una descrizione astratta, ma tutto va sperimentato. Uno degli esempi più lampanti è quello del “segno”. Ognuno ha di fronte a sé un foglio e molti strumenti traccianti – penne a sfera, matite, pennarelli, carboncini, ecc. -: con questi strumenti il bambino, tracciando sul foglio solo segni, e non disegni, impara le diverse possibilità che questi strumenti gli forniscono. Poi tutti insieme, con la presenza dell’operatore che si limita a fare qualche domanda, si guarda cosa suggerisce il segno. Segni tremolanti, decisi, spezzati, uniformi, ecc. Cosa suggerisce il segno della biro? È pesante o leggero, è sottile, uniforme, rigido? Cosa c’è di simile nella realtà? Che tipo di strumento dovrò usare per disegnare la rete di un pollaio? A questo punto il bambino ha già le risposte, e ci è arrivato da solo, o quasi.
ムナーリ:基本的に、子どもは選ばれたトピックに対して、大人のように向き合う必要はありません。したがって、抽象的な説明を廃して、すべては経験を通じて理解さればならないのです。最も印象的なプログラムの例のひとつが「サイン(筆致、筆の跡)」です。一人ひとりの目の前に一枚の紙と、ボールペンや鉛筆、サインペン、木炭など、たくさんの描画の道具を用意します。-: これらの道具を使って、子どもは絵ではなく筆の跡だけを紙の上に描くことで、これらの道具が提供してくれるさまざまな可能性を学ぶことができます。そして、そこに寄り添うオペレーターがいくつかの質問をすることだけで、そのサインが何を示唆するのかを見ていきます。チラチラした筆の跡、鋭い筆の跡、折れ筆の跡、均一な筆の跡などです。ボールペンの筆の跡は何を示唆しているでしょう?それは重いか軽いか、薄いか均一か、硬いか? 現実の何に似ているのか?その段階で、鶏小屋の網を描くならどんな道具を使うとよいか?を考えると、その時点で子どもはすでに答えを持っていて、自分だけで、あるいはほとんど自分だけで、その答えに到達しているのです。

M.M. Qual è la fascia d’età che ti interessa maggiormente?
メネグッツォ:あなたは主にどのくらいの年齢の発達段階に関心があるのですか?

B.M. Mi interesso di bambini fino alla scuola media, ma poi naturalmente faccio anche laboratori per adulti, e per la formazione di operatori per bambini. In ogni fascia, mi baso sui dati che ha riscontrato Piaget sulla possibilità di conoscenza dei bambini, naturalmente tenendo conto che si tratta di dati abbastanza elastici e tutt’altro che rigidi: è inutile infatti dire certe cose a bambini di una certa età, se non hanno ancora memorizzato i dati per poter capire ciò che tu stai dicendo.
ムナーリ:私が関心をもっているのは中学校までの子どもたちですが、もちろん子どもたちの活動に関わるオペレーターの研修のために大人たちにもワークショップも行っています。それぞれの発達域では、私はピアジェが発見した子どもの知識能力に関する知見を参照していますが、当然ながらこの知見は非常に弾力的なもので、固定されたものではないことを念頭に置いているのです: 実際、ある年齢の子どもたちが、あなたの言っていることを理解できる知見をまだ得ていないなら、そのことを話しても無駄でしょう。

M.M. Non hai mai pensato di contestare questi dati? O, meglio, dai tuoi laboratori hai ricavato dati diversi da quelli di partenza?
メネグッツォ:この知見に反論しようと思ったことはありますか?あるいはむしろ、あなたのワークショップから異なる知見を導き出したことがありますか?

B.M. Dalla mia esperienza ti posso dire che i dati sono sostanzialmente giusti. Uno degli esempi più curiosi è quello del senso della conservazione della quantità, che il bambino non possiede almeno sino ai quattro/cinque anni, mentre quando già frequenta le scuole elementari assimila. Se tu prendi un po’ di argilla e ne fai una pallina, mescolandola con acqua, e se fai un’altra pallina con la stessa quantità di argilla, e le mostri a un bambino di quell’età prescolare, questo riconosce che c’è la stessa quantità di argilla nell’una e nell’altra. Ma se poi prendi proprio una di queste palline e, sfregandola con le mani, ne fai un lucignolo allungato – che sembra più grande della pallina -, il bambino ti dirà, pura avendo visto fare tutte le operazioni, che in questa seconda forma c’è più argilla che nella pallina. Egli, cioè, considera una sola delle misure che costituiscono l’oggetto, e di solito la più visibile. Ecco, è con questi problemi percettivi e concettuali che ci misuriamo nei nostri laboratori.
ムナーリ:私の経験から言うと、このデータは基本的に正しいのです。最も興味深い例のひとつに質量の保存の認識がありますが、少なくとも4~5歳までの子どもはこの認識を持っていないものの、小学生になる頃にはこれを理解します。粘土を少し手に取って水と混ぜて団子を作り、同じ量の粘土で別の団子を作って就学前の子どもに見せると、子どもは一方と他方に同じ量の粘土が入っていることを認識します。しかし、この団子をひとつだけ取って手でこねながら、団子よりも大きく見える細長い花火のような形 - 団子よりも大きく見える形 - にすると、子どもはその作業をすべて見ているのに、この第二の形には団子より多くの粘土が入っている、と言うでしょう。つまり子どもは、対象物を構成する尺度のうちのひとつだけ(ここでは見かけの大きさだけ)で考えるのです。このように、私たちのワークショップで自分自身を測るのは、こうした知覚や概念の問題なのです。

M.M. Tu hai allestito laboratori per bambini praticamente in tutti i Paesi del mondo: dopo il successo a Brera, sei stato a Parigi, negli Stati Uniti, in Canada e, naturalmente, in Giappone. Hai notato delle rilevanti differenze di comportamento tra i bambini dei vari Paesi, e, se l’hai fatto, a cosa attribuisci queste differenze?
メネグッツォ:あなたは子どものためのワークショップを事実上世界中でおこなっています:ブレラでの成功の後、パリでも、アメリカ(合衆国)でも、カナダでも、そしてもちろん日本でも。あなたは国によって子どもたちの行動(ふるまい)に大きな違いを発見しましたか?もし違いがあるとすれば、その違いは何によるものでしょうか?

B.M. Ci sono grandi differenze tra Oriente ed Occidente. In Giappone i bambini sono molto educati, molto osservatori e non possessivi, mentre in Italia il bambino è generalmente superficiale, distratto possessivo e violento, e così i bambini in Francia, mentre negli Stati Uniti sono ancor più attenti all’idea di possesso, addirittura di denaro. Tutto deriva dal fatto che, ancora secondo Piaget, tutto quello che il bambino impara sino ai cinque anni, non gli uscirà mai più dalla testa. Allora avviene che in certi paesi – come il Giappone, appunto – nelle scuole materne si insegna come prima cosa un comportamento, cioè il modo di stare con gli altri, dove ognuno deve esprimere il proprio pensiero senza imporlo.
ムナーリ:東洋と西洋には大きな違いがあります。日本では子どもは非常に礼儀正しく、観察力が鋭く、所有欲がないのに対し、イタリアでは子どもは概して表層的で所有欲がつよく散漫で暴力的で、フランスの子どもたちも同様で、一方、アメリカでは子どもたちは所有することについて、特にお金に対しては、より注意深くなります。ピアジェによれば、子どもが5歳までに学んだことは二度と頭から離れないそうです。ですから特定の国 - たとえば日本のような - では、他人との付き合い方や、誰もが自分の考えを押し付けることなく表現しなければならないことを学びます。

M.M. Non potrebbe essere considerato anche questo insegnamento una specie di imposizione sul bambino? In altre parole, qual è il comportamento naturale del bambino, quel comportamento che non gli viene insegnato, ma che possiede istintivamente?
メネグッツォ:この教育もまた、子どもに対する一種の押しつけとは考えられないでしょうか?言い換えれば、子どもの自然な行動、教え込まれるのではなく本能的に持っている行動(振る舞い)とは何でしょうか?

B.M. Il comportamento naturale non c’è. Ce ne sono piuttosto vari, a seconda dell’ambiente in cui il bambino si forma, e a seconda della memoria genetica che possiede.
ムナーリ:自然な行動(振る舞い)などというものはありません。むしろ、子どもが形成される環境に応じて、また子どもが持つ遺伝的記憶に応じて、さまざまなものがあるのです。

M.M. Se parli di memoria genetica, vien da chiedersi – e da chiederti – se esista una differenza ormai biologica tra Oriente ed Occidente, se cioè l’ambiente abbia influito a tal punto sulla formazione dell’individuo, da entrare nella sua memoria biologica.
メネグッツォ:遺伝的記憶について語るなら - そのことについてあなたに尋ねるなら - 、東洋と西洋の間には生物学的な違いがあるでしょうか、つまり環境が個体の形成に影響を及ぼし、それが個体の生物学的な記憶に入り込んでいるということは。

B.M. Forse è così, ma lo vedremo fra qualche generazione. Certo che i bambini giapponesi sono educati così da sempre, perché probabilmente hanno sentito questi problemi prima, e hanno sviluppato il senso della collettività, che è fortissimo. Ti faccio l’ennesimo esempio. Se in Occidente, tra una casa e l’altra resta uno spazio ristretto, non occupato da nulla, sei sicuro che in poco tempo diventerà l’immondezzaio del quartiere; in Giappone invece, lo stesso spazio diventerebbe un giardinetto. Questo perché in Occidente quello spazio “è di nessuno”, mentre in Oriente, e soprattutto in Giappone, “è di tutti”. Questo è il senso della collettività, che è la cosa più importante per l’uomo: l’individuo, infatti, finisce, muore, la collettività no.
ムナーリ:そうかもしれませんが、数世代の後にはわかることでしょう。確かに日本の子どもたちは常にこのような教育を受けてきました。なぜなら、おそらく前からこのような問題に気づいて共同体意識を育んできたからです。 もうひとつ例を挙げましょう。欧米で家と家の間に何もない小さな空間があったとしたら、そこはまもなく近所のゴミ捨て場になるに違いないでしょう; 一方日本では、同じ空間が小さな庭になるのです。西洋ではその空間は「誰のものでもない」のに対して、東洋、特に日本では「みんなのもの」だからです。これは人間にとって最も重要な、集団性の感覚です。実のところ個人は終わり、死んでいきますが、集団性はそうではないのです。

M.M. Quindi tu pensi che queste differenze di comportamento si manifestino sin dall’età prescolare, e che siano l’indice evidente di una differenza culturale abissale, e tutta a favore di una concezione orientale, e giapponese in particolare, del comportamento sociale. Tuttavia mi pare che oggi il modello giapponese di espansione ricalchi un po’ quello occidentale, e soprattutto quello americano.
メネグッツォ:つまりこのような行動(振る舞い)の違いは就学前の年齢(幼児期)から明らかで、それは文化的な違いを明確に示すもので、東洋人、特に日本人の社会的行動に対する考え方を支持するものだ、とあなたは考えているわけですね。しかし私には、今日の拡大する日本の(社会)モデルは、西洋の、特にアメリカのそれにいくらか似ているように思えますが。

B.M. Ci sono però fortissime differenze. Innanzitutto, il modello americano, considerandosi il padrone del mondo, impone la propria lingua, il proprio mercato, le proprie merci, con un fare da conquistatore. Pochissimi americani conoscono il giapponese, ma molti giapponesi, viceversa, comprendono l’angloamericano: così in, Giappone si conosce la cultura anglosassone, e puoi imparare il meglio di quella cultura, che è uno dei metodi vincenti del Giappone. Il contrario però non avviene, così lo scambio culturale è unilaterale, a tutto vantaggio di chi vuole apprendere, imparare dagli altri: in più, se imponi la civiltà del fatturato – che è quella nordamericana -, tutto è subordinato al profitto, ed “è solo questione di prezzo”, puoi anche uccidere. Invece lo spirito orientale è diverso: il principio è quello del vuoto, mentre per l’occidente è il pieno. Nell’architettura abitiamo il vuoto, e i muri sono solo i confini di questo vuoto. Tutta la loro cultura è improntata su questo, anche l’idea stessa di cultura: se infatti tu usi la tua cultura come deposito di informazioni e non come filtro attraverso cui vedere il mondo, allora sarai in grado di vedere di più, perché hai creato dentro di te un vuoto per ricevere. Quel che ricevi, poi, lo potrai inserire, a seconda della tua scelta non preconcetta, nel deposito di informazioni che è la tua cultura. È per questa differenza di concezione che molti occidentali non capiscono la musica orientale: non risponde a canoni conosciuti, “non può” essere musica, e così viene rifiutata.
ムナーリ:しかし(両者には)非常に大きな違いがあるのです。まず第一に、アメリカの(社会)モデルは自分たちをを世界の支配者と考えて、征服的な態度で自国の言語、自国の市場、自国の商品を押し付けます。日本語を知っているアメリカ人はほとんどいませんが、逆に英米語を理解している日本人は多いでしょう: つまり日本ではアングロサクソンの文化を知り、その文化の長所を学ぶことができます。しかし、その逆(英米人が日本文化を知ること)は起こらないので、文化交流は一方的なものとなり、他者から学びたい、学びたい(日本の)人たちが有利になるのです: さらに経済展開の文明 - 北米の文明 - を押し進めるとすべては経済的利益に従うことになり、『ただ値段の問題』によって人さえ殺します。一方で東洋の精神は違っていて: (東洋の)原理は空虚であり、西洋のそれは充満することを目指します。建築においても、私たちは空虚(空間)を住み処として、壁は、その空虚の境界線にすぎないのです。彼らの文化はすべて、文化という概念さえも、ここに基づいています。もしもあなたが、自分の文化を世界を見るためのフィルターとしてではなく、情報の貯蔵庫として使うなら、より多くのものを見ることができることでしょう。そうすればより多くのものを見ることができます。なぜなら、あなたは受け入れるための空虚さを自分の中に作り出すからです。そして受け入れたものを先入観にとらわれない選択に従って、自分の文化という情報の貯蔵庫に挿入することができるでしょう。多くの西洋人が東洋の音楽を理解できないのは、このような発想の違いによるものです: 東洋の音楽は(西洋の)既知の規範に対応しない、だから音楽であるはずがない、そうして拒絶されるのです。

M.M. … John Cage, però …
メネグッツォ:しかしジョン・ケージは…

B.M. …certo non è un orientale, ma, come diceva lui stesso, è molto Zen…
ムナーリ:…確かに彼は東洋人ではありませんが、彼自身が言ったように、彼はとても禅的です…

M.M. Quel che intendevo dire, con l’esempio di Cage, è che forse l’idea di mutamento è quella che ha permesso all’Occidente di imporsi sul mondo, almeno sino ad ora. Del resto, non soltanto la filosofia contemporanea fa del divenire la base dell’essere, ma l’arte occidentale già da molti secoli ha fatto del mutamento, della variante, della novità espressiva e linguistica, uno dei fattori del proprio riconosciuto successo.
メネグッツォ:「鳥かご」の例(ムナーリのワークショップのプログラムの一つ)について私が言いたかったことは、おそらく変化という考え方について、少なくとも今までは、西洋(文明)が世界に自らを押しつけることを可能にしてきたということです。さらに、現代哲学が「(何かに)なること」を存在の基礎としているだけでなく、西洋の芸術はすでに何世紀にもわたって変化やバリエーション、表現的、言語的な新しさを、自他ともに認める成功の理由のひとつにしてきました。

B.M. C’è un principio cinese che dice che l’unica costante della realtà è la mutazione, quindi solo se sei in continua mutazione sei nella realtà. È un po’ la stessa cosa che hai detto tu.
ムナーリ:中国には、現実の中で唯一不変なものは、全てが変化することである、という諺があります。それはあなたが言ったことと同じですね。

M.M. Torniamo allo sviluppo del bambino e alla sua educazione. Sembra quasi che a guardare i tuoi dati empirici, si riconosca un ineluttabile declino dell’Occidente, visto che l’educazione delle generazioni future in questa parte del mondo, rispecchia i peggiori atteggiamenti e comportamenti della società del profitto. Non c’è proprio alcun vantaggio in un’educazione – se così la vogliamo chiamare -, possessiva o aggressiva?
メネグッツォ:子どもの発達と教育に話を戻しましょう。あなたの実証的なデータを見ると、あなたは西洋の衰退は避けられないと認識しているようですね。それは、この世界のこの地域において次世代の教育が利益社会の最悪の態度や行動を反映しているからでしょう。受動的か、あるいは能動的か - もしもこのように呼びたければ - そのような教育には、得るところはないのでしょうか?

B.M. Il bambino quando nasce deve accettare le regole del suo ambiente. Non ha le capacità critiche per discernere, e nemmeno la conoscenza che ci possano essere altre realtà al di fuori di quella minima in cui vive. La realtà è solo quella per lui, e non ce ne sono altre, Cosi, un bambino che cresca tra gente litigiosa e ladra, avrà grandi probabilità di essere litigioso e ladro, Se invece cresce in una casa dove non si litiga, dove puoi fare quel che vuoi, se vuoi essere violento vai in palestra e fai delle cose violentissime e ti sfoghi. Se poi, come abbiamo detto in un’altra parte, la tua casa è in grado di accogliere gli ospiti, e questi si sentono a loro agio perché nessuno impone loro la personalità del padrone di casa (che non la impone perciò neppure ai figli), si svilupperà al massimo grado il senso della collettività, che ti conduce ad un comportamento produttivo, senza forzare e senza imporre. L’esempio più lampante di questo metodo è il successo dell’auto giapponese, che non si è imposta né per questioni di supremazia militare culturale, né per il convincimento della pubblicità, ma solo perché è un prodotto oggettivamente migliore degli altri, dove il rapporto tecnologia/prezzo parla da solo, e riesce a convincere l’acquirente più sciovinista solo in virtù del proprio contenuto. Si arriva cioè a un punto dello sviluppo storico, in cui si deve riconoscere che un metodo, che un atteggiamento è migliore di un altro. E lo stesso di quando parlavamo di autorità riconosciuta e di autorità imposta.
ムナーリ:生まれたばかりの子どもは、環境のルールを受け入れなければならなりません。子どもには、自分が生きている最小限の現実の外にも他の現実があるかもしれない、という知識も、それを認識する批判的能力もありません。彼にとっての現実とはそれだけで、それ以外のものは存在しないので、ですから粗暴で泥棒の多い人々の中で育った子どもは高い確率で粗暴で泥棒になるのです。代わりに、彼が争いがなく好きなことができる家庭で育ったなら、もし暴力的になりたければスポーツジムに行って乱暴な運動をして鬱憤を晴らせばいいわけです。私が別のところで述べたように、もしあなたの家が訪問者(異なる文化)を迎え入れるることができ、誰も訪問者の個性を押し付けない(訪問者もまた子どもたちに個性を押し付けない)ことでその訪問者が心地よく感じるのであれば、あなたは最高の共同体の感覚を育むことができ、無理強いすることも押し付けることなく、生産的な行動をとれるようになります。このやり方の最も顕著な例は日本の自動車の成功です。日本の自動車は、軍事的な文化的優位性でも広告の説得力でもなく、ただ客観的に他の製品よりも優れているという理由で、技術/価格のバランスがそれを物語っており、その内容だけによって最も排外主義的な買い手さえ納得させることに成功しました。つまり歴史的発展の中では、ある方法や態度が、他のものよりも優れている、と認められなければならない時が来るのです。それは公に(自然に)認められた権威と(誰かに)押し付けられた権威についても同じことです。

M.M. Questa tua convinzione sembra stringere in un angolo le mie argomentazioni a favore del vecchio continente. Forse per questo, chiamo a soccorrermi un sofisma, che però derivo dalle tue affermazioni. Se infatti, come affermi, le culture dei popoli sono addirittura entrate nelle memorie biologiche degli individui, allora come può risultare utile e produttiva l’attività dei tuoi laboratori per bambini? Come, cioè, combattere contro fattori tanto potenti quanto la memoria radicata nelle cellule?
メネグッツォ:あなたの確信は、古い(ヨーロッパ)大陸(の文明)を支持する私の持論を窮地に追い込むようです。ですから、私はあなたの主張から導き出したレトリック(詭弁)を援用しましょう。もしもあなたが主張するように、民族の文化が個人の生物学的記憶にまで入り込んでいるのだとしたら、子どもたちのためのワークショップの活動はどうして有益で生産的なものになるのでしょうか?つまり、あなたは細胞に埋め込まれた記憶と同じくらい強力な要素とどうやって闘うのですか?

B.M. Mi devo riportare alle mie convinzioni di base. Io credo infatti che alla base della natura umana ci sia il desiderio di vivere meglio, di capire di più, di essere creativi, Cosi, mi rivolgo più ai bambini che agli adulti, cosciente come sono che non si può cambiare la mentalità degli adulti. Invece, se ti rivolgi ai bambini, che sono il futuro già nel presente, e li spingi, li educhi, li porti alla creatività, può darsi che tra mille anni la vita sia diversa.
ムナーリ:自分の基本的な信念に立ち戻らなければなりません。だから、大人のメンタリティを変えることはできないことを自覚しながら、私は大人よりも子どもたちに目を向けるのです。代わりにもしあなたが現在の未来である子どもたちに目を向け、彼らの背中を押して教育し、創造性へと導いていけば、千年後の人生は変わっているかもしれません。

M.M. Il tuo è dunque un progetto a lungo termine…
メネグッツォ:あなたの仕事は、従って長期的なプロジェクトとなるわけです…

B.M. A lunghissimo termine. Tuttavia, se non cominciamo, non facciamo altro che spostare il problema più in là nel tempo. Non pretendo certo di cambiare la società dall’oggi al domani, sarebbe ridicolo. Però, pensa a quante cose non riusciamo a capire perché siamo travolti da un modo sbagliato di vivere, da pensieri effimeri, futili, da mode. È questo che cerco di contrastare e di cambiare nei miei laboratori per bambini: infatti non importa quello che si produce materialmente nel laboratorio – che spesso si può tranquillamente buttare, perché ha solo il valore di un esempio, di un passaggio acquisito -, ma come lo si fa, il processo che si usa per arrivarci, l’atteggiamento che si usa, e che è una cosa che non si dimentica più.
ムナーリ:それはものすごく長期的です。しかし、私たちが始めなければ、問題をさらに先に進めるだけです。私は一夜にして社会を変えようとは思ってはいません。しかし、間違った生き方や刹那的で無益な考えと流行に圧倒され、理解できないことがどれほど多いか、あなたにも考えてほしいのです。私が子どものためのワークショップで提案し、変えようとしているのは、このようなことなのです: このワークショップで生み出されるものが物質的なものかどうかは関係ありません - 実際、ワークショップで生み出されるものは、しばしば気にすることなく処分できるもので、なぜならそれは実例の、何かを得る過程の価値だけをもっているのです - しかしそれをどのように行うか、結果に至るために用いたプロセス、どのような姿勢でそれに臨むか、それこそが決して忘れてはならないものです。

M.M. Nelle tue parole mi pare di riconoscere un eco di quella grande tradizione illuminata, che ha avuto uno dei suoi precedenti più articolati nell’esperienza della Bauhaus, che forse non ha prodotto grandi oggetti, ma ha indicato la propria volontà di riformare la vita, di progettare globalmente il mondo.
メネグッツォ:私はあなたの言葉から、かの偉大な啓蒙的の伝統の響きを感じるのですが、バウハウスの経験はその最も明確な先例のひとつであり、偉大なオブジェ(作品)を生み出しはしなかったかもしれませんが生活を改革しこの世界をグローバルにデザインするという願いを示しました。

B.M. Certo, in quell’idea mi ci ritrovo. Credo infatti che la coerenza con sé stessi sia molto importante: non puoi staccare, non puoi sdoppiarti, eccellere in un campo, ma non essere completo nella tua personalità, nella tua visione della realtà.
ムナーリ:確かに、そのような考えを私自身も持っています。確かに、自分自身との一貫性は非常に重要だと私は思います:あなたは自分を切り離すことはできないし、自分は分裂させることはできませんし、ある分野で優れていても、自分の人格や、現実の見方を完全なものにはできないのです。


Da “MUNARIA”, https://www.munaria.it/sul-metodo/

385.ムナーリに関する公式サイト「Munaria」2023年09月05日 19:58

MUNARIA
ムナーリのワークショップの実践に長年協力し、ムナーリ没後に設立された「ブルーノ・ムナーリ協会」のメンバーでもあるミケーラ・デツァーニさんのウェブサイト「Munaria」がリニューアル公開されました。
https://www.munaria.it/
テキストはイタリア語のみのようですが、生前のムナーリと直接関わり、ムナーリの教育を継承している人物の情報発信として、とても貴重なものだと思います。

383.コカ・フリジェリオ、ムナーリを語る2023年06月03日 18:57

『ムナーリについて(Su Munari)』という、様々な分野でムナーリと関わった人たちの証言をまとめた本の中に、先日物故したフリジェリオによるムナーリの思い出も紹介されていました。

「レッスンは続く…」
コカ・フリジェリオ
ブルーノ・ムナーリとの出会いは1970年代の初頭だった。私たちは1949年にさかのぼる読めない本の話をしたが、それは遊びがとても鮮やかでそこにはない対話の一部になっており、その視覚的あるいは触覚的なストーリーテリングが重要なものだ。
1945年の最初のモンダドーリ社の遊べる絵本にもイメージの発見に以下の文が添えられている。「トック・トック、誰かが来たよ、扉を開けて」と語りかけるように、小さな扉の向こうに驚きが隠されている。ムナーリは5歳の息子を楽しませるために絵を描いて読み聞かせたのがこの物語(絵本)の始まりだといった。
1997年トリエステのミラマーレ・スクールで開催された大規模な展覧会の際には透明なページの習作を見た小学生たちがこう言った:「ああ、わかったよ、なんて素敵なんだろう、私たちにもできるかも」。
その連続的(シーケンシャル)なイメージとしての「読めない本」というコンセプトは、1978年ミラノのスフォルツェスコ城で行われた初期の実験ワークショップから既に存在していた。その頃ムナーリはほとんど毎日グラフィックの素材選びに立ち会い、だいたい月に1、2回「おもしろい偽物」のバリエーションについてアイデアをまとめた冊子を作って置いていった。
1970年代後半から1980年代前半にかけて彼は語られる絵-本というコンセプトを展開した:この時には「イメージから物語へ」と題したワークショップが数多く開催された。それらは風景や城、雲などを型抜きしたページで、裏表紙にはポケットになったページがあり、本のページの中で動かせるキャラクターをしまっておくことができる本だった。
写真やコピーから作られた「読めない本」シリーズは、初めは初期のカラー複製技術の宣伝のために行われた「複写機との旅行」というワークショップに遡る。
そこから「挨拶とキスを」のような写真を切り貼りして再構成した楽しい小さな本が生まれたことは間違いない。それは現実から飛び出す練習なのだ。そのルールとは:逆さから読んだ文字、鏡のように繰り返されるモンタージュ、水平や垂直のストライプの挿入、いつも、無限のバリエーションがある。実際ムナーリが後から書き加えた添え書きは実質的に余計なものであり、イメージの驚きに加えられた楽しみだった。透明なシートが重なり合って展開する象徴的な絵本『たくさんのひとびと(Tanta gente)』(ダネーゼ社刊)のように彼の絵本はそのどれもが常に思考の展開を示唆していた。
わずかな要素が十通り、あるいは百通りの読み方の出来る物語を語るのだ、ご存じだろうか?緑の草むらがあり、そして小さなアリがいて、それから階段と、木がある...あるいは小さな橋があり、傘がある…というように。すべてのイメージは物語のつながりを持つことができる。透明なページはそこにある限り付け足したり減らしたりして、足りなくなったら他のものを補い、自分で作ることが出来る。
このように、以来ブルーノの偉大なメッセージは続いている。
私もまた、近くから遠くを見ることを、しるし(筆致)から始まる視覚的シーケンスを構築することを、(絵の具の)染みに縁取りすることで何かが生まれることを、最初に人物を次に物語を、視覚情報を多元化するために絵画の次元に理論的に入り込み技法を分離し一つずつ説明することなどを学んだ。すべての芸術家の本についてそのように語ることは出来ないだろうが、しかしブルーノ・ムナーリの本は並外れてシンプルな言葉と、デザイナーでありコミュニケーションの専門家としての自覚、そして人間関係への純粋な関心によって語り継がれるだろう。ある日、旅の彫刻(ムナーリの作品)を見ながら、私にはとどのつまりこのシンメトリーな作品が3次元の仮面か本のページのように見える、と彼に言った。
他の人なら(その感想に)気分を害したかもしれないが彼は微笑みながら私に言った:「あなたの頭脳は、この構造のビジョンを3次元の本のページに変換するという形状の類推のプロセスを作動させたね。では、あとは自分でもやってみるだけだ。」このレッスンは続いている…

LA LEZIONE CONTINUA…
Coca Frigerio
Ho conosciuto Bruno Munari nei primi anni '70. Parlammo dei libri illeggibili risalenti al 1949, in cui il gioco è evidentissimo e fa parte del dialogo che non c'è, ma è il racconto visivo o tattile il valore dell'oggetto che conta. Anche nei primi libri-gioco Mondadori del 1945 una sola frase accompagna la scoperta di un'immagine. La sorpresa è nascosta dietro una porticina come in Toc Toc, chi c'è, apri la porta. Munari diceva che erano state queste le prime storie che lui aveva raccontato disegnandole a suo figlio, per divertirlo, quando aveva cinque anni. Nel 1997, in occasione di una sua grande mostra realizzata alle Scuderie del Miramare di Trieste, alcuni ragazzi, delle scuole elementari, dopo avere osservato da vicino i suoi studi per le pagine trasparenti, dicevano: "Ah, ho capito, che bello, posso farlo anch'io". Il concetto del libro illeggibile come immagine in sequenza era già in atto fin dal primo laboratorio sperimentale tenuto al Castello Sforzesco di Milano nel 1978. Allora Munari era presente quasi giornalmente alla selezione del materiale grafico e in genere una o due volte al mese si costruivano libretti delle idee sulle varianti 'finteressanti", da accantonare. Dalla fine degli anni '70 ai primi anni '80 sviluppai il concetto del libro-immagine da raccontare: molti laboratori tenuti in quegli anni si intitolavano "Dall'immagine al racconto". Erano libri con pagine fustellate, ritagliate, sagomate con paesaggi, castelli, nuvole, con una pagina a tasca in retrocopertina per nascondere i personaggi da animare nelle pagine del libro. La serie di Libri illeggibili tratti da fotografie o fotocopie si può far derivare dai laboratori che si chiamavano Viaggi con la macchina fotocopiatrice, fatti all'inizio per reclamizzare le prime riproduzioni a colori. Certo da lì sono nati in seguito quei deliziosi librini tratti da montaggi di foto ritagliate e ricomposte come Saluti e baci. Esercizi di evasione. Le regole erano: la lettura dell'immagine capovolta, il montaggio ripetuto specularmente, l'inserto a strisce orizzontali o verticali, le varianti infinite, come sempre. Infatti le piccole scritte aggiunte poi da Munari sono praticamente superflue, un divertimento in più sulla sorpresa dell'immagine. Ogni suo libro-immagine suggerisce sempre uno sviluppo di pensiero, come Tanta gente, un libro simbolico svolto in fogli trasparenti sovrapponibili, edito da Danese. Pochi elementi che narrano una storia leggibile in decine e forse in centinaia di modi diversi, vi ricordate? ecco un ciuffo d'erba verde, poi una formichina, poi una scaletta, poi un albero... oppure, ecco un ponticello, poi un ombrello... Ogni immagine può avere un nesso da raccontare. Le pagine trasparenti si mettono o si tolgono, fin che ce n'è, e se mancano se ne faranno altre, inventate. Così da allora il grande messaggio di Bruno continua. Anch'io ho imparato a guardare da vicino e da lontano, a costruire sequenze visive partendo dai segni, a inquadrare le macchie che diventano qualcosa, un personaggio prima e una storia poi, a entrare idealmente nelle dimensioni di un quadro per separare le tecniche e descriverle una alla volta al fine di moltiplicare le informazioni visive. Forse non tutti i libri d'artista si possono raccontare, ma i libri di Bruno Munari sì, per la sua straordinaria semplicità di linguaggio, per la sua consapevolezza di designer e di tecnico della comunicazione, oltre che per il vero interesse che metteva nei rapporti umani. Guardando le Sculture da viaggio mi sono permessa un giorno di dirgli che, tutto sommato, quelle simmetriche sembravano maschere o pagine di un libro in terza dimensione. Forse un'altra persona si sarebbe offesa, lui invece si è limitato a sorridere e mi ha detto: "Vedi, il tuo cervello ha operato un processo di analogia della forma trasformando la visione di questa struttura in una pagina di libro tridimensionale. Ora non ti resta che provare a farlo". La lezione continua...
(Beppe Finessi, "Su Munari," Abitare Segesta Cataloghi, 1999)

380.現代イタリアにみるムナーリとモンテッソーリの関係2023年04月30日 21:25

「役にたたない機械」
インターネットでムナーリの教育について情報集めをする中で、モンテッソーリ教育に関するトピックとして「ムナーリのモビール」がモンテッソーリ教具として使われている、という記事を発見しました。
このような記事は日本で出版されているモンテッソーリ教育に関する書籍・雑誌でも見ることができます。

しかし、マリア・モンテッソーリとムナーリは同じ二十世紀を生きたイタリア人とはいっても、ムナーリが活動を始めた頃にはモンテッソーリはイタリアを離れていたことがわかっています。
モンテッソーリがムナーリの作ったオブジェを自身の教具として採用したとは考えられないため、この件についてムナーリのお弟子さんに直接質問をしたところ、「そんな話はまったく聞いたことがない。それは、公式に認められたものではないだろう」という驚きの回答が返ってきました。

そもそも「ムナーリのモビール」という呼び方ですが、ムナーリの作品「役にたたない機械」は「モビールではない」ということをムナーリ自身が『芸術としてのデザイン』序章で明言しています。
いろいろ調べたところ、現時点の理解では、ムナーリの教育について学んだ(おそらくイタリアの)保育者のだれかが、ムナーリの著書の中に紹介されている「役に立たない機械」をレプリカとして作ってモンテッソーリ・スクールで乳幼児のおもちゃに利用したものが、いつの間にか「モンテッソーリ教具としてのムナーリのモビール」という誤解を広めたのではないか…ということでした。

この「謎解き」のようなエピソードは、2023年春に美術教育関係の学会誌に論文として発表することができました。

378. ピッタルド、ムナーリを語る2023年04月10日 19:01

一つ前のトピックで紹介したロベルト・ピッタルド氏の本が手元に届きました。
内容を吟味するにはもうすこし時間がかかりますが、さしあたってピッタルド氏が『ムナーリについて(Su Munari)』の中で語っているムナーリの思い出を紹介したいと思います。

「子どもたちのムナーリ」
ロベルト・ピッタルド
すべての子どもたちは絵が描けるのに、すべての大人は絵が描けるわけではない。おそらく何か大人になることで失われるものがあるのだろう。他者への行為の前に、鉛筆を手にする才能がないと自認する大人たちの哀しさが浮かび上がる。残念なことだ。しかし、(かつてできたことを)やり続けるのは簡単だったはずだ。大人たちは子どもたちのやることを甘く(寛容に)見ている。3歳の子どもの絵には意志の強さと臨機応変さが表れている。子どもは表現し、表現し続けるために私たちそれを見せたがるのだ。ムナーリはまさにこの瞬間に登場する。彼は子どもと一緒になって自然や顔や素材のまったく新しい見方を示してくれる。風船の木や雲の木は、描く人の観察力より柔軟性を示すものだ。すべての植物は成長する:それは(表現の)定理だ。植物は枝分かれしながら成長する: それは(表現の)テクニックだ。ワークショップでは、定理やテクニックが遊びや発見になる。子どもたちにそれを見せることは、繰り返させること(学習)に代わる効果的な方法なのだ。視覚的なステレオタイプ(固定観念)は創造性の「その瞬間の」例であり、それは制作を個人の成長に結びつけるための新しい展開を待っている。11歳になって5歳の頃と同じように絵を描くのは正しいことではないはずだ。モチベーションは変わった。配慮と責任感のある大人は提案をする。子どもたちはすぐに自分が見たことをやってみたいと思う。彼らは作品ではなく、大人の態度や行動、手本となるものを真似るのだ。子どもたちの「やってみる」ことを通じて、大人との適切な接し方を見つけ、自分のモチベーションのレベルについても学び、新しい参加の意識を身につける。ムナーリのレッスンは学校的ではなく、言うならば: 彼は何かのやり方を教えてくれる。「創造的な子どもは幸せな子どもだ」なぜなら子どもを見守る人たちは大人として、子どものためにというより、子どもとともに何かをする責任を感じているから。すべての子どもたちは好奇心に満ちている: これは大人が最初に確信すべき確かなことだ。未知のことを知ろうとするテンション(緊張)としての好奇心は、従順さと反復に駆り立てられている子どもたちを失望させることがある。ステレオタイプとは繰り返し(の学び)の象徴と図式なのだ。モデル(型)を排除せずに克服することは発見をすることであり、今までにない独個人的でオリジナルなメッセージを発しながら自分の存在を主張することだ。例えば顔がそういうものだ: 後にも先にも同じものは二つとない。絵を描くこととは言葉を発せず表れる人の顔の表情を発見するようなものだ。顔の絵を描ける人は、出会った人の顔を読み他者との新たなつながりを発見できる。なぜならその他者とは私たち自身だからだ。学校(の学び)に乏しい驚きや不思議が、知識の飛躍のために確保される必要がある。探究はそのプロセスや実験によって、驚きをもたらしてくれる。その一つの例を、よくあるスライドプロジェクターを使って見ることができる、多くの非常に薄い素材:布、プラスチック、メッシュなどの効果だ。ニンニクの皮のびっくりするようなイメージはエキゾチックな銘木のようだ。プロジェクターで拡大された小さな素材がいつでも驚きを与えてくれる。素材たちは創造的な遊びの中で新しい機能を発見する。何が思い浮かんだか-それが最も役立つ質問だ。そうしてニンニクは木になり、船になり、タンスになる。素早い関係性のゲームはファンタジアとイマジネーションを結びつける。そして素材の投影(ダイレクト・プロジェクション)によって新しい風景や奇妙な図形、ありえない色が生まれる。30個の枠のある小さな箱(アルバム)が、新しく発明された個人の美術館の作品集になる。家の中に白い壁を作って(スクリーンになるように)絵などを掛けないでおけば良いだけだ。新しい作品を眺めては分解し、変化させ、再投影するのだ。光のショーが終わったら作品は小さな箱の中に戻される。本物のゲームとは常に新しいゲームを約束してくれるのだから…。

MUNARI DEI BAMBINI
Roberto Pittarello
Tutti i bambini sanno disegnare, ma non tutti gli adulti. Forse c'è qualcosa che si perde crescendo. Emerge davanti al fare degli altri il rimpianto dei grandi che si autocertificano non dotati a tenere una matita in mano. Peccato. Eppure poteva essere così semplice continuare a fare. Gli adulti guardano fare i bambini con occhio indulgente. I disegni dei tre anni mostrano la volontà e l'intraprendenza. Il bambino fa, ma vorrebbe vederci fare per continuare. Munari arriva in questo preciso momento. Si affianca al bambino per mostrare un modo tutto nuovo di vedere la natura, le facce, le materie. Un albero a palloncino o a nuvoletta mostra la disponibilità più che l'osservazione di chi disegna. Tutte le piante crescono: è una costante. Crescono ramificando: è una tecnica. Nel laboratorio costante e tecnica diventano gioco e scoperta. Far vedere ai bambini rappresenta l'alternativa efficace alla ripetizione. Gli stereotipi visivi sono un esempio di creatività "al momento", in attesa che nuovi sviluppi possano legare il fare alla crescita personale. Non sarebbe giusto disegnare a undici anni come a cinque. Sono cambiate le motivazioni. Un adulto attento e responsabile fa la sua proposta. I bambini vogliono subito fare quello che hanno visto fare. Imitano l'atteggiamento, l'azione, l'esempio dato col fare, non il prodotto. Attraverso il fare il popolo dei bambini trova il giusto contatto con i grandi, studia anche il grado della loro motivazione e apprende un nuovo senso del partecipare. La lezione di Munari non è scolastica, vale a dire: ti insegno a fare qualcosa. "Un bambino creativo è un bambino felice" perché le persone che lo curano sentono come grande il senso di responsabilità a fare qualcosa con lui più che per lui. Tutti i bambini sono curiosi: questa è la certezza di cui gli adulti per primi devono essere convinti. La curiosità come tensione a conoscere quello che ancora non si sa può essere delusa in molti bambini spinti a ubbidire e a ripetere. Lo stereotipo è simbolo e figura della ripetizione. Superare e non levare il modello vuol dire fare delle scoperte, affermare la propria presenza lanciando un messaggio personale, originale, che prima non c'era. Così è per una faccia: prima non c'era e non ne esistono due uguali. Disegnare serve a scoprire le espressioni del volto umano che comunica senza parlare. Chi sa disegnare le facce sa leggere la faccia di chi incontra e trova nuovi legami con gli altri. Perché gli altri siamo noi. La sorpresa, la meraviglia, che sta così poco a scuola, deve essere assicurata per un salto di conoscenza. La ricerca porta stupore con i suoi percorsi ed esperimenti. Un esempio è dato dagli effetti, visti e studiati con il proiettore delle comuni diapositive, di tanti materiali sottilissimi: tessuti, plastica, reti... L'immagine straordinaria della buccia dell'aglio è un esotico legno pregiato. Il piccolo pezzo di materiale ingrandito dal proiettore produce ancora sorprese. I materiali scoprono nuove funzioni nel gioco creativo. Che cosa mi viene in mente — è questa la domanda più utile. L'aglio diventa legno, barca e armadio. Un gioco di relazioni velocissime lega la fantasia con l'immaginazione. E così che nelle proiezioni dirette dei materiali nascono nuovi paesaggi, strane figure, colori impossibili. Una piccola scatola con trenta telaietti da proiettare diventa una collezione di opere per un nuovo museo inventato e personale. Basterà tenere in casa una parete bianca, senza quadri appesi. Le nuove opere si guardano, poi si disfano, si cambiano, si riproiettano. Quando finisce questo spettacolo di luce si rimettono le opere nella scatolina. Perché un vero gioco promette un gioco sempre nuovo...
(from"SU MUNARI" Beppe Finessi, Abitare Segesta Cataloghi, 1999)

377.ムナーリと「教育協力運動(MCE)」の関係2023年03月26日 12:04

Roberto Pittardo-Munari dei bambini
以前から何度か引用して紹介している本『Su Munari(ムナーリについて)』には、デザイナーから芸術家、その他さまざまなムナーリの活動に関わりのあった人たちがムナーリの思い出を語っています。

その中にムナーリと子どもの教育について関わりのあったRoberto Pittardo(ロベルト・ピッタルド)という人の一文を見つけて、そこからたぐっていった結果、レッジョ・エミリアの幼児教育に大きな影響を与えたMCE:教育協力運動という1950-70年代の教育改革運動の中心人物の一人マリオ・ローディとムナーリが一緒にヴェネト地方(ヴェネチア周辺のイタリア東北部)における子どものための創造的な教育活動に関わっていたらしいということが分かってきました。
マリオ・ローディと教育協力運動については、『わたしたちの小さな世界の問題』という邦題で田辺敬子さんが訳された教育実践の名著が日本でも紹介されています。
これまでイタリアのムナーリに関する論文の中で、ムナーリと教育協力運動に接点があったことが触れられているのを読んでいましたが、すこしづつ戦後イタリア社会に広がった教育の改革への波の中でムナーリが果たした役割が見えてきそうな予感がしています。

なお、ムナーリやローディ、ピッタルドの関わった活動は現在も継続されているようです。
https://lascuoladelfare.it/
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イタリアの芸術家+デザイナー+教育者、ブルーノ・ムナーリのことなどあれこれ。
こちらにもいろいろ紹介しています(重複有)https://fdl-italform.webnode.jp/

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