433.ムナーリと禅(英文) ― 2025年02月02日 13:31

ムナーリが東洋文化や東洋哲学に大きな感銘を受けていたことは、本人の残した文章や作品の中に明らかにされています。
前項で紹介したタンキスは論考の中でムナーリとパウル・クレーがいずれも禅の思想の影響を受けた芸術家であったと論じながら、唐代の禅僧の言葉を引用していましたし、アンドレア・ブランジも序文の中でムナーリに東洋哲学の精神をみていたようです。
イタリアではムナーリと東洋哲学の関係がどのように捉えられているかが気になり始めているのですが、そんな中、日本の生活用品などを扱うウェブストアにイタリア人によると思われる英文の「ムナーリと禅」(ムナーリと日本文化)を考察しているテキストを発見しました。
Nanban
ウェブショップの屋号?が「Nanban」というのが日本人からはいささか微妙ですが、取扱商品はどれもハイクオリティなもののようです。
上述のテキストではムナーリと日本の関わりについて、また柳宗理などとの交流についても詳しく触れられていて、かなり詳しくムナーリと日本の関係を知っている人によるものかと思いますが、「Azalea Seratoni」なる筆者についてはいまのところ何も分かっていません…
前項で紹介したタンキスは論考の中でムナーリとパウル・クレーがいずれも禅の思想の影響を受けた芸術家であったと論じながら、唐代の禅僧の言葉を引用していましたし、アンドレア・ブランジも序文の中でムナーリに東洋哲学の精神をみていたようです。
イタリアではムナーリと東洋哲学の関係がどのように捉えられているかが気になり始めているのですが、そんな中、日本の生活用品などを扱うウェブストアにイタリア人によると思われる英文の「ムナーリと禅」(ムナーリと日本文化)を考察しているテキストを発見しました。
Nanban
ウェブショップの屋号?が「Nanban」というのが日本人からはいささか微妙ですが、取扱商品はどれもハイクオリティなもののようです。
上述のテキストではムナーリと日本の関わりについて、また柳宗理などとの交流についても詳しく触れられていて、かなり詳しくムナーリと日本の関係を知っている人によるものかと思いますが、「Azalea Seratoni」なる筆者についてはいまのところ何も分かっていません…
434.ムナーリへのオマージュ:岩崎清氏、ムナーリを語る ― 2025年02月03日 12:36
スイスの出版社(ギャラリー?)から出版された、「Omaggio a Bruno Munari(ムナーリへのオマージュ)」という小さな本を手に入れました(日本の洋書を扱うウェブブックショップでは比較的豊富に取り扱いがあるようです)。
Omaggio a Bruno Munari
2008, Some Paragraphs, Chiasso, Svizzera
ムナーリの作品とムナーリに関する論考がいくつか、イタリア語と英語で書かれています。
特筆すべき点は、二つの短い論考の著者が、元青山「子どもの城」造形事業部長で1985年ムナーリによる日本でのワークショップを実現された岩崎清さんということでしょう。
岩崎さんは「こどもの城」開館記念事業としてムナーリの展覧会とムナーリ自身の指導によるワークショップを実現され、ムナーリとも親しく交わり、その後「こどもの城」関係者とともに日本でムナーリのワークショップを指導されていました。
詳しい事情は存じ上げないのですが、残念なことに岩崎さんとムナーリの息子さん(故人)のアルベルト教授の行き違いから現在ではムナーリのワークショップは、事実上日本で開催される機会が制限されているようです。
岩崎さんの「ムナーリについて」のテキスト(イタリア語訳)の一部をもう一度日本語に訳してご紹介します:
Arte
Kiyoshi Iwasaki
芸術
岩崎 清
p.50
Munari ci spiega, in un modo facilmente comprensibile, che l'arte non è una cosa per sua essenza difficile da esperire e comprendere, ma piuttosto qualcosa a cui ognuno può avvicinarsi se capisce i principi e le idee che stanno alla base del processo "aperto" dell'arte.
ムナーリは、芸術とは本質的に体験や理解が難しいものではなく、芸術の 「開かれた 」プロセスの背後にある原理や考え方を理解すれば、誰もが近づき得るものだと平易に説明している。
p.59
Sono rari gli artisti come lui che allo stesso tempo sono stati impegnati in una grande varietà di attività artistiche originali e non hanno pregiudizi o idee preconcette riguardo ad altri movimenti artistici.
Ignorando i confini tra le diverse forme di espressione, Munari crea un mondo unico caratterizzato dal suo naturale humor.
彼のような同時に多様な芸術活動を展開した芸術家は数少ない。
彼は独創的で他の芸術運動に対する偏見や先入観を持たなかった。 異なる表現形式の境界線を無視して、ムナーリは天与のユーモアを特徴とする独自の世界を創り出した。
p.62
Invitare lo spettatore a diventare un creatore d'arte è l'unico metodo di Munari. Egli è il custode che mostra i suoi bellissimi fiori a chiunque faccia visita al giardino segreto dell'arte. Il merito di Munari è che, in questo modo, permette a tutti di conoscere le origini e i materiali delle arti plastiche e, nello stesso tempo, prova a farne comprendere il fascino.
見る人を芸術の創造者にいざなうこと、それがムナーリの唯一のメソッドである。彼は芸術の秘密の花園を訪れた人に、美しい花を見せる管理人なのだ。ムナーリの長所は、このように誰もが造形芸術の起源や素材について学べるようにしつつ同時にその魅力を理解できるようにする点にある。
Omaggio a Bruno Munari
2008, Some Paragraphs, Chiasso, Svizzera
ムナーリの作品とムナーリに関する論考がいくつか、イタリア語と英語で書かれています。
特筆すべき点は、二つの短い論考の著者が、元青山「子どもの城」造形事業部長で1985年ムナーリによる日本でのワークショップを実現された岩崎清さんということでしょう。
岩崎さんは「こどもの城」開館記念事業としてムナーリの展覧会とムナーリ自身の指導によるワークショップを実現され、ムナーリとも親しく交わり、その後「こどもの城」関係者とともに日本でムナーリのワークショップを指導されていました。
詳しい事情は存じ上げないのですが、残念なことに岩崎さんとムナーリの息子さん(故人)のアルベルト教授の行き違いから現在ではムナーリのワークショップは、事実上日本で開催される機会が制限されているようです。
岩崎さんの「ムナーリについて」のテキスト(イタリア語訳)の一部をもう一度日本語に訳してご紹介します:
Arte
Kiyoshi Iwasaki
芸術
岩崎 清
p.50
Munari ci spiega, in un modo facilmente comprensibile, che l'arte non è una cosa per sua essenza difficile da esperire e comprendere, ma piuttosto qualcosa a cui ognuno può avvicinarsi se capisce i principi e le idee che stanno alla base del processo "aperto" dell'arte.
ムナーリは、芸術とは本質的に体験や理解が難しいものではなく、芸術の 「開かれた 」プロセスの背後にある原理や考え方を理解すれば、誰もが近づき得るものだと平易に説明している。
p.59
Sono rari gli artisti come lui che allo stesso tempo sono stati impegnati in una grande varietà di attività artistiche originali e non hanno pregiudizi o idee preconcette riguardo ad altri movimenti artistici.
Ignorando i confini tra le diverse forme di espressione, Munari crea un mondo unico caratterizzato dal suo naturale humor.
彼のような同時に多様な芸術活動を展開した芸術家は数少ない。
彼は独創的で他の芸術運動に対する偏見や先入観を持たなかった。 異なる表現形式の境界線を無視して、ムナーリは天与のユーモアを特徴とする独自の世界を創り出した。
p.62
Invitare lo spettatore a diventare un creatore d'arte è l'unico metodo di Munari. Egli è il custode che mostra i suoi bellissimi fiori a chiunque faccia visita al giardino segreto dell'arte. Il merito di Munari è che, in questo modo, permette a tutti di conoscere le origini e i materiali delle arti plastiche e, nello stesso tempo, prova a farne comprendere il fascino.
見る人を芸術の創造者にいざなうこと、それがムナーリの唯一のメソッドである。彼は芸術の秘密の花園を訪れた人に、美しい花を見せる管理人なのだ。ムナーリの長所は、このように誰もが造形芸術の起源や素材について学べるようにしつつ同時にその魅力を理解できるようにする点にある。
435.ムナーリの機械の前の機械 ― 2025年02月23日 17:31

2025年2月に教育関連調査でイタリアに出張してきました。
もっとも調査の主目的はムナーリではないので、ミラノではない場所で色々な人と会ったり、ミラノでもいくつかの教育施設を見学したのですが、わずかな隙間の時間にムナーリに関する本を一冊ゲットできました。
『LE MACCHINE PRIMA DELLE MACCHINE』という、言ってみれば『「ムナーリの機械」の前の機械』という題名で、コッライーニ社の新刊です。
LE MACCHINE PRIMA DELLE MACCHINE
内容はタイトル通り、1942年に刊行された『ムナーリの機械』のもととなった、ムナーリが雑誌に連載した「機械」を集めて整理したもので、奇しくも2024年11月から2025年1月まで板橋区立美術館で開催されていた「レオ・レオーニと仲間たち」展でもそのオリジナル資料の一部が紹介されていました。
『LE MACCHINE PRIMA DELLE MACCHINE』は、日本からも注文が可能のようです。
もっとも調査の主目的はムナーリではないので、ミラノではない場所で色々な人と会ったり、ミラノでもいくつかの教育施設を見学したのですが、わずかな隙間の時間にムナーリに関する本を一冊ゲットできました。
『LE MACCHINE PRIMA DELLE MACCHINE』という、言ってみれば『「ムナーリの機械」の前の機械』という題名で、コッライーニ社の新刊です。
LE MACCHINE PRIMA DELLE MACCHINE
内容はタイトル通り、1942年に刊行された『ムナーリの機械』のもととなった、ムナーリが雑誌に連載した「機械」を集めて整理したもので、奇しくも2024年11月から2025年1月まで板橋区立美術館で開催されていた「レオ・レオーニと仲間たち」展でもそのオリジナル資料の一部が紹介されていました。
『LE MACCHINE PRIMA DELLE MACCHINE』は、日本からも注文が可能のようです。
436.レッジョ・エミリアの幼児教育とムナーリ ― 2025年02月25日 07:58

2025年2月にレッジョ・エミリアの幼児教育施設(国際センター)を再訪しました。
2019年にはじめてレッジョ・エミリアを訪問した際、彼の地の独特な幼児教育:子どもたちの創造性と可能性をリスペクトし、自発的な探究をサポートしようと考えるレッジョ・エミリアの幼児教育とムナーリの教育の明白な共通点について、センターを案内してくれた方(元はベテランの教師だった方でした)に質問した記憶があります。
レッジョ・エミリアの幼児教育は、その運営法人が世界に向けて多くの発信を行っていますが、彼らの教育理念(と実践)が影響を受けてきた先人たちについてあまり言及しない傾向があります。
これはレッジョ・エミリアの幼児教育改革を牽引した人物が、広く近現代の教育学から学びつつ、上手にそれぞれのエッセンスを組み合わせてアレンジしてきたことと関係がありそうです。
2019年に私が投げかけた「レッジョ・エミリアの幼児教育とムナーリの関係は?」という問いに対して、「ムナーリはレッジョ・エミリアを訪れたことはなかった」という答えが返ってきて少々拍子抜けしたのですが、今回センターのスタッフからレクチャーを受けた際には「私たちはムナーリからも学んでいる」という主旨の説明を聞くことができました。
イタリア人はしばしば町と町の対抗心というか、余所の町の歴史や人物を他国より遠いもののように考えるきらいがありますが、そういった関係にも変化が訪れているのかもしれません。
ちなみにムナーリの故郷ミラノとレッジョ・エミリアは、ほんの150kmほどの距離です。
2019年にはじめてレッジョ・エミリアを訪問した際、彼の地の独特な幼児教育:子どもたちの創造性と可能性をリスペクトし、自発的な探究をサポートしようと考えるレッジョ・エミリアの幼児教育とムナーリの教育の明白な共通点について、センターを案内してくれた方(元はベテランの教師だった方でした)に質問した記憶があります。
レッジョ・エミリアの幼児教育は、その運営法人が世界に向けて多くの発信を行っていますが、彼らの教育理念(と実践)が影響を受けてきた先人たちについてあまり言及しない傾向があります。
これはレッジョ・エミリアの幼児教育改革を牽引した人物が、広く近現代の教育学から学びつつ、上手にそれぞれのエッセンスを組み合わせてアレンジしてきたことと関係がありそうです。
2019年に私が投げかけた「レッジョ・エミリアの幼児教育とムナーリの関係は?」という問いに対して、「ムナーリはレッジョ・エミリアを訪れたことはなかった」という答えが返ってきて少々拍子抜けしたのですが、今回センターのスタッフからレクチャーを受けた際には「私たちはムナーリからも学んでいる」という主旨の説明を聞くことができました。
イタリア人はしばしば町と町の対抗心というか、余所の町の歴史や人物を他国より遠いもののように考えるきらいがありますが、そういった関係にも変化が訪れているのかもしれません。
ちなみにムナーリの故郷ミラノとレッジョ・エミリアは、ほんの150kmほどの距離です。
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