329.「東京の子どもの城」-152020年05月03日 21:19

p66/ Hanno il senso della collettività e quindi il rispetto per gli altri (gli altri siamo noi). Una regola importantissima, che insegnano ai bambini fin dalle scuole materne, dice: ognuno deve esporre il suo pensiero ma non imporlo. Nel nostro paese, invece, ognuno cerca di imporre il proprio pensiero, le proprie idee agli altri. Molta gente si sente portatrice della verità: lo so I io come stanno le cose e ora te lo spiego. E le discussioni non finiscono mai./  彼らはコミュニティの感覚を持っているので、他者を尊重します(他者とは私たちです)。彼らが幼稚園から子どもたちに教える非常に重要なルールは、次のように述べています: だれしも我を押しつけず、他者を受け入れなさい。しかし、わが国では誰もが自分の考えや考えを他者に押しつけようとします。多くの人が、自分こそ真実の担い手であると感じています: 私は物事のあるべきを知っているので、今あなたにそれを説明しましょう、と。そして議論は終わりません。/ p67/ In Giappone si dice: una persona vale per quello che dà e non per quello che prende. Tema ampiamente svolto nel famoso libro di Erich Fromm: Avere o Essere. Se ognuno potesse dare il meglio di sé alla comunità, noi vivremmo in un paese civile in continua crescita culturale. In un paese di furbi ognuno cerca di rubare qualcosa agli altri: una nuova idea, un progetto, un pensiero, per poterli sfruttare a proprio vantaggio. In questo modo ci si trova in una società di rapinatori dove ognuno cerca di appropriarsi dei valori delle altre persone per sfruttarli a proprio vantaggio. In Giappone non ho incontrato persone furbe./  日本では人は自分が得るものではなく、与えるものに価値があると言われています。このテーマは、エーリッヒ・フロムの著名な著書『To Have or To Be』(1976、邦題『生きるということ』1977)でも広く論じられています。皆がコミュニティに最善を尽くすことができれば、私たちは文明化された国で継続的な文化的成長を遂げることになります。  ずる賢い人々の国では、誰もが他の人から何かを盗もうとします:新しいアイデア、プロジェクト、思考、そしてそれを有利に活用することができます。このように我々は強盗の社会にいるので、誰もが他の人の価値をうまく利用して有利に活用しようとします。  日本では、私はずる賢い人に会うことがありませんでした。

330.「東京の子どもの城」-162020年05月09日 11:39

p68/ Nelle scuole materne giapponesi si insegna ai bambini come si sta con gli altri. Se una persona ti parla, devi ascoltarla e poi risponderai. Non si deve interrompere uno che parla. Anche da noi le persone educate non interrompono, ma spesso nemmeno ascoltano, ti lasciano parlare e poi parlano loro./  日本の保育園では、子どもたちは他の人と一緒にいる方法を教えられます。人があなたに話しかけるとき、あなたはそれに耳を傾ける必要があり、そのあとから答えます。話す人を邪魔してはいけません。ここでも教育を受けた人々は邪魔をしませんが、多くの場合、私たちは聞くことさえせず、自分が話してから相手が話をするものだと考えています。/ Un giorno a Milano un dirigente di una grande industria mi disse: scusi signor Munari se le dico quello che penso. Al che io risposi: io dico sempre quello che penso ma non chiedo mai scusa. Mi guardava sorridendo mentre parlavo./  ある日のミラノで、大企業のマネージャーが私に言いました: すみません、ムナーリさん、私の考えをお話しさせてください。私は答えました:私はいつでも自分の考えを言いますが、それを謝ったりしませんよ。彼は私が話している間、笑顔で見ていました。/ p69/ La seconda cosa che insegnano ai bambini in Giappone è: fare gli origami. Un bambino che riesce a fare un origami, a piegare un foglietto di carta in tanti modi per cui il foglietto si trasforma in un uccellino o in una barchetta o in una rana eccetera, è un bambino che ha memorizzato un processo progettuale consistente in una serie di piegature, una da una parte, una al contrario, eccetera, per cui il foglietto di carta diventa un uccellino o una rana o un'altra cosa che prima non c'era./  日本人が子どもたちに教えるもうひとつは、折り紙の作り方です。紙を使って鳥や船、カエルなどになるようにさまざまな方法で折りたためる子どもは、一連のデザインのプロセスを会得しているのです。あちらへ、こちらへと折り畳み、これ(プロセス)によって紙が鳥やカエルなど、前にはそこになかったものになります。/ Il bambino cosi educato è un bambino che ha imparato a osservare e a memorizzare un processo progettuale. Sarà un bambino creativo, capace di osservare e di capire./  このように教育を受けた子どもは設計のプロセスを観察し、暗記することを学んだ子どもです。彼は創造的な子どもであり、観察し、理解することができます。/ p70/ Vediamo però che, sia pure con molta cautela, in molti ristoranti si comincia a considerare questo problema della «decorazione» del cibo. Spesso si trova, assieme al cibo, una foglia di insalata trevisana, messa in alto nel piatto per decorazione (qualche distratto la mangia)./  多くのレストランで、食品を「装飾する」という問題が考慮され始めていることを、注意ぶかく見てみましょう。多くの場合、食べ物と一緒に皿の上には装飾のために置かれたトレヴィゾ風のサラダ菜(パセリ?)があります(勘違いした人がそれを食べます)。/ Una volta non si usava: sul piatto si trovava una bella bistecca e basta./ (装飾が)使用されなかった場合はプレート上に素敵なビーフステーキがあり、それだけです。/ p71/ Troviamo poi, in certi casi, esempi ancora piû gravi di cibo senza decorazione. Certi ristoranti hanno dei piatti vistosamente decorati (per un senso sbagliato dell'immagine coordinata), per cui quando hai finito di mangiare il tuo buon risotto trovi nel piatto un feroce lupo che ti guarda e digrigna i denti. A parte il fatto che non c'è nessuna relazione tra lupo e risotto, questa moda di decorare i piatti andrebbe organizzata in modo diverso, non vi pare?/  それから特定の場合ですが、装飾のない食品のさらに深刻な例があります。一部のレストランでは料理が際立って装飾されているため(演出されたイメージの感覚が間違っているため)、あなたが美味しいリゾットを食べ終わると、皿の上には牙をむいた獰猛そうななオオカミがあなたを睨んでいるのです。 オオカミとリゾットの間に関係がないという事は別として、料理を装飾するこの流行は違ったかたちで演出されるべきだとは思いませんか?

331.「東京の子どもの城」-172020年05月13日 15:20

p72/ Forse sarebbe bene che anche noi cominciassimo a fare queste considerazioni, che tendono a fondere in un unico corpo l'oggetto e il suo supporto./  きっと、ある事物とそれを補助する物を一体に合わせる場合に考慮すべき事項を検討し始めたら良いのでしょう。/ Nel pensiero orientale si considera che le persone sono di fronte a qualcosa (una motocicletta in vetrina, per esempio) con tutti i recettori sensoriali aperti. La persona sta analizzando l'oggetto sotto l'aspetto della funzionalità, della forma, della potenza, del colore, del peso, eccetera. Se tutti i recettori sensoriali sono soddisfatti, si ha quello che anni fa veniva definito come Qualità Globale./  東洋的な思考では、人々は何か(たとえば、ショーウィンドウのオートバイ)に向かい合うとき、すべての感覚受容器が開いた状態でいると考えます。人は、機能、形、力、色、重量などの視点から事物を分析します。すべての感覚受容体が満足されている場合、それは何年も前にグローバルな品質と定義されたものとなるのです。/ p73/ Pensiamo alle motociclette giapponesi di forma aggressiva, decorate con colori squillanti e perfettamente intonati. Perfette come macchine, piacevolissime come forma e colore. I giovani amano queste forme e questi colori./  鮮やかな色で装飾され、完璧に調和した刺激的な日本のバイクを考えてみてください。機械として完璧で、形状と色が非常に快適です。若者はこれらの形や色が大好きです。/ La povera lambretta, brutta e grigia come il cemento, è un prodotto sbagliato, progettato solo come funzione e non progettato per la vendita./  コンクリートのように灰色のあわれなランブレッタ(イタリア製のスクーター)は、間違ったプロダクトであり、機能的視点からのみ設計されて販売の視点で設計されていいないのです。/ p74,75/ E, per finire, ecco un piccolo regalo per quelle persone che vorrebbero provare a giocare con il Tangram, che avete visto a pag. 47-48. Si prenda un foglio di carta robusta o di cartoncino colorato e lo si tagli secondo le linee tracciate nel quadrato che vedete qui. La misura del quadrato può anche essere un poco piû grande ma non molto./  そして最後に、47~48ページを見たタングラムを試してみたい人への小さなプレゼントがあります。 丈夫な紙または色付きの厚紙を用意して、ここに表示されている正方形に描かれた線に従ってカットしてください。正方形の大きさはそれほど大きくなければ、少し大きくても大丈夫です。/ Buon divertimento e arrivederci a Milano./  ぜひ楽しんでみてください、そしてまた、ミラノでお会いしましょう。 Saluti da Dilma e Bruno MUNARI/  ディルマ(ムナーリ夫人)とブルーノより、みなさんお元気で。/ (了)

332.ムナーリ協会会長のインタビュー記事2020年05月15日 15:50

ブルーノ・ムナーリに関するウェブサイトを立ち上げたムナーリ協会会長(数年前、NHK「奇跡のレッスン」でも紹介された方です)のインタビュー記事をご紹介します。
https://www.artribune.com/professioni-e-professionisti/didattica/2020/05/imparare-con-munari-intervista/?fbclid=IwAR0x9x-qzkWAvAMKZgeq73iTG-5_ZaZcmLEOBSC_acfEKMdXTvvTm9R6NsQ
(アクセス:2020/5/10)
「ウェブ時代に学べるムナーリのメソッド」 2020年5月9日付  文:アンナリーサ・トラサッティ ムナーリ・メソッドを詳述するウェブサイトを、ロックダウン中にネット公開したブルーノ・ムナーリ協会会長に聞く。 (訳注:「お家でムナーリ」、現時点ではイタリア語のみ https://www.incasaconmunari.it/index.html)  家が...この歴史的瞬間に家ができた。ブルーノ・ムナーリ協会は、子どもも大人も実験を通して創造的な方法で自分たちの世界を生きるのを助けるため「お家でムナーリ」というサイトでウェブ上にスペースを提供している。シルヴァーナ・スペラーティ会長に聞いた。
(問)ブルーノ・ムナーリについてはみな知っていますが、あなたが会長を務めるムナーリ協会は、いつ誕生したのですか?

 ブルーノ・ムナーリ協会(ABM)は、ブルーノ・ムナーリの没後数年後の2001年に、彼の息子であるアルベルト・ムナーリ教授、ジャン・ピアジェの学生であり共同研究者でもあった心理学者・認識論者であるドナータ・ファブリ教授と共に、芸術家の協力者を集めたMU-NARIグループによって設立されました。協会が設立された主目的の一つは、かの芸術家のアート、デザイン、教育へのアプローチを特徴としたオリジナルな要素を抽出するということでした。ブルーノがお祝い事を望んでいないことはわかっていましたが、彼の洞察力と本物の思考が、他の文化芸術関係者、そしてもちろん子どもたちへの刺激になったら嬉しいですね。
(問)協会の目的と主な行動とは?

 ABMの活動はブルーノのメソッドの遺産の研究と体系化を主な目的としていたので、時間が必要でした。その間、教師からデザイナー、文化事業者、そしてアーティストなど、彼のメソッドについてもっと知りたいと思っている多くの人々に向けて、ムナーリ・メソッドの高度なトレーニングプログラムが開発できました。それは個人的な成長の時間でもあり、創造性に対する自分自身のアプローチとの積極的な関わりの時間でもありました。この20年にわたる活動では、アルベルト・ムナーリとドナータ・ファブリから多大な方法論的支援を得て、ムナーリ・メソッドの構成要素を正しく定めることができました。こうして多くの生徒が「ムナーリの再現」(これは不可能なことですが)ではなく、彼のアプローチの要素を用いて新しい可能性を発見し、別の視点から彼の作品を見直すことができるようになったのです。
(問)この中で、ワークショップの役割は何なのでしょうか?

 ブルーノ・ムナーリ協会は展覧会と連携するワークショップに関するものなど、かの作家の直感の一部を「役に立たたない」ものでない、それ自体が「未来へ」、すなわち子どもたちのために実験の次元を提供する、文化的な活動で発展させることに力を注いできました。それら重要な努力は最後に新しいプロジェクトに向かいます:その一つは2015年万博イタリア館でのムナーリのインスタレーションで、日本のテレビ番組とのコラボレーション、ローマ市との10年間の活動、子どもたちへのサービスなどもあります。
(問)ポータルサイトのアイデアはどのようにして生まれたのですか?

 このプロジェクトは、家庭での不安についてクレモナのIncodeのウェブデザインスタジオとの何気ないコンタクトから始まり、本当にクリエイティブな発端からでした。(新型コロナウイルスの)健康上の緊急事態を考えると、彼らは家の中にあるものしか使えない状態で「(つねに)子どもと一緒にいる」新しいスタイルを設計しなければならないことに気付きました。ムナーリメソッドがどのように様々な文脈で適用できるかを示し、限界(余儀ない状況)を創造的なリソースに変換することができる全てのオリジナルな活動を構想し、実験し、提案してきたプロジェクトの中で生まれた内容を示しています。設計、実装、継続的な更新のフェーズを、一定ではあるが「遠隔」的対話で共有することで、このウェブサイトは生まれました。ここでも限界を克服し、通常の行動の自由を許さない状況でも実験や研究ができることを証明していると言えます。
(問)どのようにプロジェクトを進めたのですか?

 このプロジェクトでは様々なスペースを提示し、自分自身の行動で完結しない、刺激を生み出すオリジナルなワークショップ活動を提案しています。むしろ子どもや親が全く違った視点で家庭を見直しいままで考えなかった発見をするような、リアルな実験の活性化です。芸術への参照は連続的であり、好奇心を拓いてより多くのことを学ぶ欲求を開発できます。緊急事態を乗り越えて、子どもたちと共に新しい在り方や遊びを刺激したいというプロジェクトです。
(問)ウェブサイトをデザインする際には、どのような受け手を想定したのでしょうか?

 私たちはまず、そこから子どもとの違った体験ができ、新しい関係性を発見することができであろう、仲介者やファシリテーターになれる両親のことを考えました。より創造的な技術の活用の提案で自律的な研究への刺激を見出すことができる年長児についても考え、授業を提案する指導や行動の提案ができる教師についても考えました。「お家でムナーリ」を使ってくれる人に継続的に参考にしていただけるように、個人的回答を掲載したニュースレターサービスも開始しました。
(問)どのようなコミュニケーションの戦略を立てたのでしょうか?

 協会のFacebookとアドレスに送られたメールをもとにしたとてもシンプルなコミュニケーションです。そして、新たにFacebookとInstagramの専用ページを開設しました。イタリア全土からの反応はすばやく、非常に良い感触です。予想以上にも二日目にはすでに4500人以上の人が同時にサイトに接続していました !さらに、このプロジェクトへの注目は国を越えており、アメリカ、イギリス、スイス、フランス、スペイン、日本からもアクセスがあります。これは私たちの大きな喜びとなり、人々が必要性を感じていると確認できました。
(問)誰も備えができなかったこの歴史的な出来事に立ち向かうためには、創造的な思考、好奇心、自然との関係性が必要であり、これらがこれまで以上に重要なツールとなっています。最近の子どもたちにおすすめしたいことは何ですか?

 この時期の生き方を一番よく知っているのは子どもたちだと思うのです。彼らの並々ならぬ適応力でそれを見せてくれています。私たち大人は、準備ができていなかったことが起きてしまったことを利用して、今まで重視してきた優先順位や価値観を反省し、もっといいことができないかと考えるべきなのかもしれません。すべての危機は積極的なリストラクチャー(改革)をもたらすべきで、そうでなければ何の役にもたちません。だからこそあらゆる分野で創造性が本当に必要とされているのです。創造性こそ、「子どもは未来なのだ」とムナーリが言ったように若い世代の教育に新たな姿を見せなければならないのです。
(問)ABMは最近、アンコーナのオメロ国立触覚美術館で開催されたで開催された「美に触れる(ムナーリとモンテッソーリ)」展に協力参加しました。この経験はどんな反省や刺激を残しているのでしょうか?そしてこれからの触覚(の学び)はどうなるのでしょうか?

 素晴らしい空間と素晴らしいチームを知ることができ、彼らとの絶え間ない対話を活性化できたことで、この展覧会をアクティブな場所として、文化活動のプロモーションとして十分に体験することができました。私たちは展覧会の中での実践、大人のための教育的な時間、触覚をテーマにした親子のワークショップ活動などを共有し、内容への関心と参加を高めました。私たちはこの経験から多くのことを学びましたし、議論の中で出てきたことを参考にしながら、それが豊饒な交流の時間であり、興味深い新しい旅の始まりであると感じています。…将来的な触覚のことへの質問ですか?思うに、それは実践、実験、それぞれの独自の研究をする上で他の要点と同じく人にとって欠かせないものであろうと思います。さもなければ私たちは別の存在になってしまいますが、それこそあり得ないことです。

333.ローマの「ムナーリとロダーリのあいだ」展2020年05月23日 20:53

ローマで6月15日から10月24日まで開催される「TRA MUNARI E RODARI(ムナーリとロダーリのあいだ)」展について、FACEBOOKの公式ページにいろいろと動画など紹介され始めました。
https://www.facebook.com/watch/?v=550305358833242
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イタリアの芸術家+デザイナー+教育者、ブルーノ・ムナーリのことなどあれこれ。
こちらにもいろいろ紹介しています(重複有)https://fdl-italform.webnode.jp/

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