425.武満徹と「ムナーリ・バイ・ムナーリ」 ― 2024年11月07日 19:08

作曲家・武満徹には「ムナーリ・バイ・ムナーリ」という作品があります(過去に本ブログでもご紹介しています)。
武満は瀧口修造を介して来日中のムナーリと親交を結び、ムナーリの作品「読めない本」に触発されて作曲したと聞いていましたが、立花隆による武満へのロングインタビューをまとめた『武満徹・音楽創造への旅』(文藝春秋社2016)の中に武満自身がその経緯を振り返っているテキストを発見しました。
「ムナーリというのはイタリアのデザイナーで、工業デザインもやれば、グラフィック・デザインもやる、子供の絵本も作るという人で、瀧口修造さんの友人なんです。日本にきたときに瀧口さんの紹介で会ったら、『インヴィジブル・ブック』(見えない本)という作品をくれたんです。これは、いろんな大きさの、赤、茶、白、黒の紙をとじてノートブックみたいにしたもので、その紙に水平の切り込みが入っているので、いろんな折りたたみ方が可能になるんです。それをもらったときに、『これをもうちょっと切り刻んで図形楽譜として使いたい』といったら、ムナーリが、『好きなようにしていい』といってくれたので、もっと切り込みを入れたり、穴を開けて向こうが見えるようにしたりとかいろんなことをした上で、各ページに謎めいた言葉を書き入れたんです。その謎がいわば楽譜で、演奏者は、その言葉に反応して音を作らなければならないんです。」(p.565)
「楽譜は一辺が23センチメートル余りのほぼ正方形の薄い本で、赤茶白黒の形も大きさも異なる紙片が綴じ込まれている。赤と茶の紙には曲線的な切り抜きがあり、赤は<速く)、茶は<遅く>を意味する。白い紙にはといった謎めいた言葉が、また黒い紙には五線に音が書かれている。
奏者は色を聴き、メッセージを全身で送り出し、永遠の時空間を『無なり』へと変貌させる」(p.699)
同書を通じて、武満は生涯を通じて新たな音作りを探し続けた人だと言うことを知りました(また、田中角栄の汚職を暴いたことで知られる立花隆が青年時代から現代音楽の愛好者だったことも)。
武満は美術にも深い関心をもっていたそうですが、ムナーリとの大きな共通点として「生涯を通じて新しい表現の可能性を探究し続けた、立ち止まることを知らなかった芸術家」であったことが挙げられるのではないでしょうか。
武満は瀧口修造を介して来日中のムナーリと親交を結び、ムナーリの作品「読めない本」に触発されて作曲したと聞いていましたが、立花隆による武満へのロングインタビューをまとめた『武満徹・音楽創造への旅』(文藝春秋社2016)の中に武満自身がその経緯を振り返っているテキストを発見しました。
「ムナーリというのはイタリアのデザイナーで、工業デザインもやれば、グラフィック・デザインもやる、子供の絵本も作るという人で、瀧口修造さんの友人なんです。日本にきたときに瀧口さんの紹介で会ったら、『インヴィジブル・ブック』(見えない本)という作品をくれたんです。これは、いろんな大きさの、赤、茶、白、黒の紙をとじてノートブックみたいにしたもので、その紙に水平の切り込みが入っているので、いろんな折りたたみ方が可能になるんです。それをもらったときに、『これをもうちょっと切り刻んで図形楽譜として使いたい』といったら、ムナーリが、『好きなようにしていい』といってくれたので、もっと切り込みを入れたり、穴を開けて向こうが見えるようにしたりとかいろんなことをした上で、各ページに謎めいた言葉を書き入れたんです。その謎がいわば楽譜で、演奏者は、その言葉に反応して音を作らなければならないんです。」(p.565)
「楽譜は一辺が23センチメートル余りのほぼ正方形の薄い本で、赤茶白黒の形も大きさも異なる紙片が綴じ込まれている。赤と茶の紙には曲線的な切り抜きがあり、赤は<速く)、茶は<遅く>を意味する。白い紙には
同書を通じて、武満は生涯を通じて新たな音作りを探し続けた人だと言うことを知りました(また、田中角栄の汚職を暴いたことで知られる立花隆が青年時代から現代音楽の愛好者だったことも)。
武満は美術にも深い関心をもっていたそうですが、ムナーリとの大きな共通点として「生涯を通じて新しい表現の可能性を探究し続けた、立ち止まることを知らなかった芸術家」であったことが挙げられるのではないでしょうか。
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