424.ミラノ・ブレラ美術館とムナーリ2024年11月04日 20:27

ブレラ・プラス
ムナーリに関するある事柄を調べようとインターネットでいろいろ検索していたところ、ミラノ・ブレラ美術館のアーカイブサイトにムナーリとブレラ美術館の特集ページを発見しました。

ブレラ・プラス

ミラノ生まれのミラノっ子であり、ミラノで若き前衛芸術家としてキャリアをスタートしたムナーリにとってブレラ美術館は近しいものであったでしょうし、また教育者として晩年の子どものためのワークショップを始めたのがブレラ美術館でした。
テキストはイタリア語と英語のようで、まだ内容をきちんと確認できていませんが最近、開設されたウェブページの様子なので、これからじっくり調べてみたいと思います。

425.武満徹と「ムナーリ・バイ・ムナーリ」2024年11月07日 19:08

武満徹
作曲家・武満徹には「ムナーリ・バイ・ムナーリ」という作品があります(過去に本ブログでもご紹介しています)。
武満は瀧口修造を介して来日中のムナーリと親交を結び、ムナーリの作品「読めない本」に触発されて作曲したと聞いていましたが、立花隆による武満へのロングインタビューをまとめた『武満徹・音楽創造への旅』(文藝春秋社2016)の中に武満自身がその経緯を振り返っているテキストを発見しました。

「ムナーリというのはイタリアのデザイナーで、工業デザインもやれば、グラフィック・デザインもやる、子供の絵本も作るという人で、瀧口修造さんの友人なんです。日本にきたときに瀧口さんの紹介で会ったら、『インヴィジブル・ブック』(見えない本)という作品をくれたんです。これは、いろんな大きさの、赤、茶、白、黒の紙をとじてノートブックみたいにしたもので、その紙に水平の切り込みが入っているので、いろんな折りたたみ方が可能になるんです。それをもらったときに、『これをもうちょっと切り刻んで図形楽譜として使いたい』といったら、ムナーリが、『好きなようにしていい』といってくれたので、もっと切り込みを入れたり、穴を開けて向こうが見えるようにしたりとかいろんなことをした上で、各ページに謎めいた言葉を書き入れたんです。その謎がいわば楽譜で、演奏者は、その言葉に反応して音を作らなければならないんです。」(p.565)

「楽譜は一辺が23センチメートル余りのほぼ正方形の薄い本で、赤茶白黒の形も大きさも異なる紙片が綴じ込まれている。赤と茶の紙には曲線的な切り抜きがあり、赤は<速く)、茶は<遅く>を意味する。白い紙にはといった謎めいた言葉が、また黒い紙には五線に音が書かれている。 奏者は色を聴き、メッセージを全身で送り出し、永遠の時空間を『無なり』へと変貌させる」(p.699)

同書を通じて、武満は生涯を通じて新たな音作りを探し続けた人だと言うことを知りました(また、田中角栄の汚職を暴いたことで知られる立花隆が青年時代から現代音楽の愛好者だったことも)。
武満は美術にも深い関心をもっていたそうですが、ムナーリとの大きな共通点として「生涯を通じて新しい表現の可能性を探究し続けた、立ち止まることを知らなかった芸術家」であったことが挙げられるのではないでしょうか。

426.「ムナーリ・バイ・ムナーリ」2024年11月10日 18:40

「ムナーリ・バイ・ムナーリ」
425ののトピックから続いて、作曲家武満徹による現代音楽「ムナーリ・バイ・ムナーリ」に関する小さな発見です。
これまで武満がムナーリから贈られた「読めない本」をもとに「ムナーリ・バイ・ムナーリ」を作曲したことはわかっていたのですが、「楽譜」であるムナーリの作品が把握できていませんでした。
1993年の武満の展覧会「眼と耳のために」の図録から、その「楽譜」のカラー図版を発見できました。
武満自身の回想によれば、瀧口を通じて紹介され仲良くなったムナーリが「読めない本」ただし資料には「見えない本:インヴィジブル・ブック」とされていますが、これを贈られた武満が当時研究していた演奏における偶然性を誘発する「線形楽譜」の試みに用いたいと伝え、快諾された武満がムナーリの作品に手を加えて「楽譜」に仕上げた、ということのようです。

つまり「ムナーリ・バイ・ムナーリ」の「楽譜」はムナーリと武満の共同作品であり、これによって演奏された楽曲は、作曲家と演奏者(初演は打楽器奏者ツトム・ヤマシタ)の合作、ということができるでしょう。

なお、武満にムナーリを紹介した瀧口も「リバティ・パスポート」シリーズなどの「手作り本」のかたちをとった作品を多数残しています。

427.ムナーリと瀧口修造2024年11月17日 19:47

ムナーリと瀧口修造の友情は1958年ミラノでの出会いから1979年瀧口が没するまで続いていたようです。
瀧口の仕事に関する資料の中には、来日したムナーリが注目していた竹を使った作品の本を一緒に作る計画があり、その草稿が残されているそうです。
その他にもイタリアの古書取り扱いサイトで見つけたムナーリの作品集に、瀧口が原稿を寄せているものもありました。

BRUNO MUNARI -1971-

1971年ミラノの画廊でのムナーリ展のカタログのようです。
ムナーリは筆まめな人で、親しい人はもちろん遠方の友人に心のこもった手作りのカードを折々に送ったりもしています。
海を隔てて遠くにいても、芸術家たちの友情は確かに生き続けていたのだと思います。

428.英語によるムナーリの研究書(2017)2024年11月21日 19:55

The Lightness of art
2017年に出版された英語テキストによる『Bruno Munari The Lightness of art』というムナーリの研究書が届きました。

Bruno Munari The Lightness of art

序文にいわく「本書は1986年のアルド・タンキスによる詳細なモノグラフが英訳版として出版されて以来、初めての英語による体系的なムナーリの評論書である」とのこと。
いまのところ(英語は苦手なので)ちらちらと眺めるに留まっていますが、すこしずつ解読できれば、と思います。
目次は以下のようになっていました;

Contents
List of Figures
Acknowledgments
PIERPAOLO ANTONELLO, MATILDE NARDELLI AND MARGHERITA ZANOLETTI
Introduction: Bruno Munari's Lightness

PARTI: Experiment and the Avant-Garde
ARA H. MERJIAN
1 'On the Verge of the Absurd': Munari, Dada, and Surrealism in Interwar Italy
ANTHONY WHITE
2 Bruno Munari and Lucio Fontana: Parallel Lives
GIOVANNI RUBINO
3 Bruno Munari versus Programmed Art:
A Contradictory Situation, 1961-1967

PART II: Designing and Subverting the Page
JEFFREY SCHNAPP
4 The Little Theatre of the Page
MARIA ANTONELLA PELIZZARI
5 The Charade of Bruno Munar's Photo-reportage (1944)
MARGHERITA ZANOLETTI
6 Word Imagery and Images of Words:
Bruno Munari the Writer

PART III: The Everyday Spectacle of Art
NICOLA LUCCHI
7 "The Great Painter Paints the Baker's Sign':
Bruno Munari and the Art of Advertising
MATILDE NARDELLI
8 The Small, the Large, and the Moving:
Bruno Munari and Cinema
PIERPAOLO ANTONELLO
9 Bruno Munari's Natural Forms

PART IV: Political Munari
ROMY GOLAN
10 Campo Urbano: Episodes from an Unwritten History of Participation
TERESA KITTLER
II Bruno Munari's Environmental Awareness
Notes on Contributors
Index

429.レオーニの雑誌とムナーリの本2024年11月27日 20:08

雑誌「PRINT」
2024年11月9日から板橋区立美術館ではじまった「レオ・レオーニと仲間たち」展(2025年1月13日まで)では、レオーニの提案から世に出ることになった「ムナーリのフォーク」が掲載された雑誌「PRINT」も展示されています。

「レオ・レオーニと仲間たち」展

421のトピックにご紹介したように、ニューヨークを訪れたムナーリにレオーニが新創刊する雑誌への寄稿を提案し、ムナーリがイタリア人のハンドサインをフォークで表現するイラストシリーズを提供したのですが、この雑誌の発行は1956年とのこと。
ジョルジョ・マッフェイによれば『イタリア語辞典別冊(Supplemeno al dizionario italiano)』の出版が1958年なので、レオーニの雑誌の方が古いことになります。
もっとも『イタリア語辞典別冊』は1832年にナポリで出版されたイタリア人のジェスチャーをまとめた本からヒントを得た、とムナーリが書いているので、レオーニから声をかけられた時点でムナーリは何かしらのアイデアをもっていた、と考えられます…。
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イタリアの芸術家+デザイナー+教育者、ブルーノ・ムナーリのことなどあれこれ。
こちらにもいろいろ紹介しています(重複有)https://fdl-italform.webnode.jp/

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