387.ミラノの「スパツィオ・ムナーリ」2023年10月09日 22:43

ミラノの「スパツィオ・ムナーリ」
しばらく前、ミラノに新たなムナーリに関するスペースができる、というニュースがSNSから流れてきましたが、プレリリースの通りにミラノにあるコライーニ社のテンポラリー・ブックショップ(以前からミラノ・サローネなどイベントの期間にオープンしていたお店)の空間が、「スパツィオ・ムナーリ(ムナーリの空間)」と名付けられてリニューアルしたようです。
イタリアのアートニュースの記事によると、オープン記念の展覧会「小さな家族的なものたち」という、ムナーリのお孫さんたちのコレクションを中心とした展示がおこなわれているとのこと。
アートニュースの記事に添えられた「スパツィオ・ムナーリ」の写真を見ると、本棚には少なくとも三冊の日本で出版されているムナーリの作品集が並べられています…

386.ムナーリの子孫について2023年09月18日 18:38

ムナーリとお孫さん
生前のムナーリとの深い親交からムナーリの書籍を数多く出版・復刻しているイタリアの出版社コッライーニが、ミラノにある店舗を9月末にギャラリー「スパツィオ・ムナーリ」にします、と発信しています。

https://mailchi.mp/corraini/spazio-munari-inaugura-il-29-settembre?e=d297f8df44

ギャラリーそのものも興味深いですが、案内文によれば、この企画がムナーリのお孫さん達とのコラボらしいと分かりました。
ムナーリには一人息子であるアルベルト氏がいましたが先年逝去しており、そのお子さん達、ということでしょう。
アルベルト氏はジュネーブの大学教授でしたので、お孫さん達はスイス育ちかもしれません。

なお、お孫さんの一人は祖父と同じブルーノさん(もう一人はヴァレリアさん)だそうです…

385.ムナーリに関する公式サイト「Munaria」2023年09月05日 19:58

MUNARIA
ムナーリのワークショップの実践に長年協力し、ムナーリ没後に設立された「ブルーノ・ムナーリ協会」のメンバーでもあるミケーラ・デツァーニさんのウェブサイト「Munaria」がリニューアル公開されました。
https://www.munaria.it/
テキストはイタリア語のみのようですが、生前のムナーリと直接関わり、ムナーリの教育を継承している人物の情報発信として、とても貴重なものだと思います。

384.パオラ・アントネッリ、ムナーリとテクノロジーを語る2023年06月27日 10:12

東京都で最初に区立美術館として生まれた板橋区立美術館では、例年イタリア・ボローニャの国際絵本見本市(正確には児童書見本市、ということのようです)の入選作品原画展を開催しています。
今年もつい先日から会期が始まり、8月半ばまで世界各国の絵本作家の原画が楽しめるようです。
https://www.city.itabashi.tokyo.jp/artmuseum/4000016/4001737/4001741.html

ムナーリのご縁で内覧会を拝見するチャンスがあり、あわせて頂いた2023年の図録を眺めていたところ、巻末にMoMA(ニューヨーク近代美術館)のパオラ・アントネッリのインタビューがありました。アントネッリはミラノ工科大学を経てアメリカでアートとデザインのキュレーターとして活躍している人物です。
「バオラ・アントネッリ(Paola Antonelli)ミラノエ科大学て学んだ建築家てあり、デザイン界の”ラ・バッショナリア(受難者、または情熱の花) ”。タイム誌による「世界で最も先見の明がある25人」に選出され、スミソニアン協会のナショナル・デザイン・アワードではデザイン・マインド賞を受賞。USアートディレクターズクラブに殿堂入りしたほか、AIGA (アメリカ・グラフィック・アーツ協会) 賞、 ロンドンデザイン賞、 ドイツデザイン賞など受賞歴多数。 1994年からニューヨーク近代美術館 (以下、 MOMA) のメンバーに加わり、 建築・デザイン部門のシニアキュレーターを務める。」

アントネッリは(数年前のミラノでの講演で)「ブルーノ・ムナーリなら、この現代世界でどんなことをしていただろう?」という問いに触れ、今回のインタビューで「ムナーリは、紙の本とオンラインプラットフォームを融合させるための能力を身につけていたに違いありません。あらゆるデジタルの可能性を発揮できるように、と。それから、おそらくAlも活用しようとするでしよう。」と付け加えていました。
アントネッリのムナーリ像は、ムナーリの停滞することのない創造性を言い表している、と思います。

383.コカ・フリジェリオ、ムナーリを語る2023年06月03日 18:57

『ムナーリについて(Su Munari)』という、様々な分野でムナーリと関わった人たちの証言をまとめた本の中に、先日物故したフリジェリオによるムナーリの思い出も紹介されていました。

「レッスンは続く…」
コカ・フリジェリオ
ブルーノ・ムナーリとの出会いは1970年代の初頭だった。私たちは1949年にさかのぼる読めない本の話をしたが、それは遊びがとても鮮やかでそこにはない対話の一部になっており、その視覚的あるいは触覚的なストーリーテリングが重要なものだ。
1945年の最初のモンダドーリ社の遊べる絵本にもイメージの発見に以下の文が添えられている。「トック・トック、誰かが来たよ、扉を開けて」と語りかけるように、小さな扉の向こうに驚きが隠されている。ムナーリは5歳の息子を楽しませるために絵を描いて読み聞かせたのがこの物語(絵本)の始まりだといった。
1997年トリエステのミラマーレ・スクールで開催された大規模な展覧会の際には透明なページの習作を見た小学生たちがこう言った:「ああ、わかったよ、なんて素敵なんだろう、私たちにもできるかも」。
その連続的(シーケンシャル)なイメージとしての「読めない本」というコンセプトは、1978年ミラノのスフォルツェスコ城で行われた初期の実験ワークショップから既に存在していた。その頃ムナーリはほとんど毎日グラフィックの素材選びに立ち会い、だいたい月に1、2回「おもしろい偽物」のバリエーションについてアイデアをまとめた冊子を作って置いていった。
1970年代後半から1980年代前半にかけて彼は語られる絵-本というコンセプトを展開した:この時には「イメージから物語へ」と題したワークショップが数多く開催された。それらは風景や城、雲などを型抜きしたページで、裏表紙にはポケットになったページがあり、本のページの中で動かせるキャラクターをしまっておくことができる本だった。
写真やコピーから作られた「読めない本」シリーズは、初めは初期のカラー複製技術の宣伝のために行われた「複写機との旅行」というワークショップに遡る。
そこから「挨拶とキスを」のような写真を切り貼りして再構成した楽しい小さな本が生まれたことは間違いない。それは現実から飛び出す練習なのだ。そのルールとは:逆さから読んだ文字、鏡のように繰り返されるモンタージュ、水平や垂直のストライプの挿入、いつも、無限のバリエーションがある。実際ムナーリが後から書き加えた添え書きは実質的に余計なものであり、イメージの驚きに加えられた楽しみだった。透明なシートが重なり合って展開する象徴的な絵本『たくさんのひとびと(Tanta gente)』(ダネーゼ社刊)のように彼の絵本はそのどれもが常に思考の展開を示唆していた。
わずかな要素が十通り、あるいは百通りの読み方の出来る物語を語るのだ、ご存じだろうか?緑の草むらがあり、そして小さなアリがいて、それから階段と、木がある...あるいは小さな橋があり、傘がある…というように。すべてのイメージは物語のつながりを持つことができる。透明なページはそこにある限り付け足したり減らしたりして、足りなくなったら他のものを補い、自分で作ることが出来る。
このように、以来ブルーノの偉大なメッセージは続いている。
私もまた、近くから遠くを見ることを、しるし(筆致)から始まる視覚的シーケンスを構築することを、(絵の具の)染みに縁取りすることで何かが生まれることを、最初に人物を次に物語を、視覚情報を多元化するために絵画の次元に理論的に入り込み技法を分離し一つずつ説明することなどを学んだ。すべての芸術家の本についてそのように語ることは出来ないだろうが、しかしブルーノ・ムナーリの本は並外れてシンプルな言葉と、デザイナーでありコミュニケーションの専門家としての自覚、そして人間関係への純粋な関心によって語り継がれるだろう。ある日、旅の彫刻(ムナーリの作品)を見ながら、私にはとどのつまりこのシンメトリーな作品が3次元の仮面か本のページのように見える、と彼に言った。
他の人なら(その感想に)気分を害したかもしれないが彼は微笑みながら私に言った:「あなたの頭脳は、この構造のビジョンを3次元の本のページに変換するという形状の類推のプロセスを作動させたね。では、あとは自分でもやってみるだけだ。」このレッスンは続いている…

LA LEZIONE CONTINUA…
Coca Frigerio
Ho conosciuto Bruno Munari nei primi anni '70. Parlammo dei libri illeggibili risalenti al 1949, in cui il gioco è evidentissimo e fa parte del dialogo che non c'è, ma è il racconto visivo o tattile il valore dell'oggetto che conta. Anche nei primi libri-gioco Mondadori del 1945 una sola frase accompagna la scoperta di un'immagine. La sorpresa è nascosta dietro una porticina come in Toc Toc, chi c'è, apri la porta. Munari diceva che erano state queste le prime storie che lui aveva raccontato disegnandole a suo figlio, per divertirlo, quando aveva cinque anni. Nel 1997, in occasione di una sua grande mostra realizzata alle Scuderie del Miramare di Trieste, alcuni ragazzi, delle scuole elementari, dopo avere osservato da vicino i suoi studi per le pagine trasparenti, dicevano: "Ah, ho capito, che bello, posso farlo anch'io". Il concetto del libro illeggibile come immagine in sequenza era già in atto fin dal primo laboratorio sperimentale tenuto al Castello Sforzesco di Milano nel 1978. Allora Munari era presente quasi giornalmente alla selezione del materiale grafico e in genere una o due volte al mese si costruivano libretti delle idee sulle varianti 'finteressanti", da accantonare. Dalla fine degli anni '70 ai primi anni '80 sviluppai il concetto del libro-immagine da raccontare: molti laboratori tenuti in quegli anni si intitolavano "Dall'immagine al racconto". Erano libri con pagine fustellate, ritagliate, sagomate con paesaggi, castelli, nuvole, con una pagina a tasca in retrocopertina per nascondere i personaggi da animare nelle pagine del libro. La serie di Libri illeggibili tratti da fotografie o fotocopie si può far derivare dai laboratori che si chiamavano Viaggi con la macchina fotocopiatrice, fatti all'inizio per reclamizzare le prime riproduzioni a colori. Certo da lì sono nati in seguito quei deliziosi librini tratti da montaggi di foto ritagliate e ricomposte come Saluti e baci. Esercizi di evasione. Le regole erano: la lettura dell'immagine capovolta, il montaggio ripetuto specularmente, l'inserto a strisce orizzontali o verticali, le varianti infinite, come sempre. Infatti le piccole scritte aggiunte poi da Munari sono praticamente superflue, un divertimento in più sulla sorpresa dell'immagine. Ogni suo libro-immagine suggerisce sempre uno sviluppo di pensiero, come Tanta gente, un libro simbolico svolto in fogli trasparenti sovrapponibili, edito da Danese. Pochi elementi che narrano una storia leggibile in decine e forse in centinaia di modi diversi, vi ricordate? ecco un ciuffo d'erba verde, poi una formichina, poi una scaletta, poi un albero... oppure, ecco un ponticello, poi un ombrello... Ogni immagine può avere un nesso da raccontare. Le pagine trasparenti si mettono o si tolgono, fin che ce n'è, e se mancano se ne faranno altre, inventate. Così da allora il grande messaggio di Bruno continua. Anch'io ho imparato a guardare da vicino e da lontano, a costruire sequenze visive partendo dai segni, a inquadrare le macchie che diventano qualcosa, un personaggio prima e una storia poi, a entrare idealmente nelle dimensioni di un quadro per separare le tecniche e descriverle una alla volta al fine di moltiplicare le informazioni visive. Forse non tutti i libri d'artista si possono raccontare, ma i libri di Bruno Munari sì, per la sua straordinaria semplicità di linguaggio, per la sua consapevolezza di designer e di tecnico della comunicazione, oltre che per il vero interesse che metteva nei rapporti umani. Guardando le Sculture da viaggio mi sono permessa un giorno di dirgli che, tutto sommato, quelle simmetriche sembravano maschere o pagine di un libro in terza dimensione. Forse un'altra persona si sarebbe offesa, lui invece si è limitato a sorridere e mi ha detto: "Vedi, il tuo cervello ha operato un processo di analogia della forma trasformando la visione di questa struttura in una pagina di libro tridimensionale. Ora non ti resta che provare a farlo". La lezione continua...
(Beppe Finessi, "Su Munari," Abitare Segesta Cataloghi, 1999)

382.訃報2023年06月02日 05:47

イタリアのブルーノ・ムナーリ協会(ABM)のSNSで、ムナーリの初期ワークショップ協力者の一人だったコカ・フリジェリオさんが亡くなったと報じられていました。

この方はムナーリのブレラ美術館での最初のワークショップ(1977)以来ムナーリの教育活動に協力しただけでなく、その後はレッジョ・エミリアで教師たちに劇あそび(人形劇?)の指導などもされていたようです。
ムナーリが監修した表現教育に関する本の著者として、また独自の絵本やアートワーク活動などでも活躍していました。
ご冥福をお祈りします。

381.『イタリア語辞典別冊付録』60周年2023年05月14日 21:01

「イタリア人は両手を縛られるとしゃべれない」という笑い話?があって、要するにハンドサインや身ぶり手ぶりなしには、おしゃべりができない人たちなのだ、ということなのですが、確かにイタリア人の会話にはいろいろなハンドサインがつきものです。
この癖はかなり古くから認知されていたようですが、ムナーリは1963年に『イタリア語辞典別冊付録』と題してポピュラーなハンドサインを集めた本を作っています。
2023年は同書の出版60周年ということで、コッライーニ書店が記念のイベントをミラノで開催したという記事がイタリアの美術ジャーナルに紹介されていました。
ムナーリはこの本だけでは飽き足らず、1991年にハンドサインをフォークで表現した『ムナーリのフォーク』という本まで出しています…。

380.現代イタリアにみるムナーリとモンテッソーリの関係2023年04月30日 21:25

「役にたたない機械」
インターネットでムナーリの教育について情報集めをする中で、モンテッソーリ教育に関するトピックとして「ムナーリのモビール」がモンテッソーリ教具として使われている、という記事を発見しました。
このような記事は日本で出版されているモンテッソーリ教育に関する書籍・雑誌でも見ることができます。

しかし、マリア・モンテッソーリとムナーリは同じ二十世紀を生きたイタリア人とはいっても、ムナーリが活動を始めた頃にはモンテッソーリはイタリアを離れていたことがわかっています。
モンテッソーリがムナーリの作ったオブジェを自身の教具として採用したとは考えられないため、この件についてムナーリのお弟子さんに直接質問をしたところ、「そんな話はまったく聞いたことがない。それは、公式に認められたものではないだろう」という驚きの回答が返ってきました。

そもそも「ムナーリのモビール」という呼び方ですが、ムナーリの作品「役にたたない機械」は「モビールではない」ということをムナーリ自身が『芸術としてのデザイン』序章で明言しています。
いろいろ調べたところ、現時点の理解では、ムナーリの教育について学んだ(おそらくイタリアの)保育者のだれかが、ムナーリの著書の中に紹介されている「役に立たない機械」をレプリカとして作ってモンテッソーリ・スクールで乳幼児のおもちゃに利用したものが、いつの間にか「モンテッソーリ教具としてのムナーリのモビール」という誤解を広めたのではないか…ということでした。

この「謎解き」のようなエピソードは、2023年春に美術教育関係の学会誌に論文として発表することができました。

379.ムナーリの「本を着る服」2023年04月14日 06:07

「本を着る服」
ここ数年はコロナ・パンデミックの影響で開催時期が不規則だったミラノ・サローネ(国際家具見本市)が、以前と同じ4月に開催されるようです(2023年は4月18日から23日)。
かつてはデザインの仕事で毎年詣でていたのですが、振り返るともう10年以上のご無沙汰になってしまいました。
残念ながら今年も渡伊はかないませんが、ムナーリの著書を数多く出版しているコッライーニ社が、家具メーカーでないにも関わらず見本市にブックショップのブースを出展するそうです。
厳密にはサローネと同時期に隔年開催されるユーロルーチェ(国際照明器具見本市)のエリアでの出展、とのことですが、面白い試みだと思います。
何よりも展示の目玉が、ムナーリのデザインした「本を着る服(ベスト)」というのが興味深いところで、おそらくムナーリのスケッチを実際に着られる物として作ってみた、ということなのでしょう。

Quando nel 1992, in occasione della Fiera di Belgioioso, Maurizio Corraini ha chiesto a Bruno Munari di progettare un espositore che potesse far vedere i libri, Munari ha fatto un gilet. Quest'anno Corraini compie cinquant'anni e ci piaceva tra le varie cose cogliere l'occasione di rimettere in produzione questo progetto a cui teniamo molto e che adesso ricostruiamo grazie all'aiuto di Lenzing e in collaborazione con Blue of a Kind.
1992年のベルジョイオーゾの見本市の際マウリツィオ・コッライーニ(※コッライーニ社の創業者、ムナーリの友人)はブルーノ・ムナーリに本を見せるディスプレイのデザインを依頼し、ムナーリはこのベストを作りました。今年、コッライーニは設立50周年を迎えますが、私たちはこの機会に私たちが特に大切にしているこのプロジェクトを、レンツィング(Lenzing)の協力とブルー・オブ・ア・カインド(Blue of a Kind)とのコラボレーションにより、リプロダクションしたいと考えています。

https://www.cieloterradesign.com/editorial/milan-design-week/2023/pietro-corraini-al-b-b1c9e0
アクセス:2023.04.13.
もしかしたら、商品として販売されるのかもしれません。。。

378. ピッタルド、ムナーリを語る2023年04月10日 19:01

一つ前のトピックで紹介したロベルト・ピッタルド氏の本が手元に届きました。
内容を吟味するにはもうすこし時間がかかりますが、さしあたってピッタルド氏が『ムナーリについて(Su Munari)』の中で語っているムナーリの思い出を紹介したいと思います。

「子どもたちのムナーリ」
ロベルト・ピッタルド
すべての子どもたちは絵が描けるのに、すべての大人は絵が描けるわけではない。おそらく何か大人になることで失われるものがあるのだろう。他者への行為の前に、鉛筆を手にする才能がないと自認する大人たちの哀しさが浮かび上がる。残念なことだ。しかし、(かつてできたことを)やり続けるのは簡単だったはずだ。大人たちは子どもたちのやることを甘く(寛容に)見ている。3歳の子どもの絵には意志の強さと臨機応変さが表れている。子どもは表現し、表現し続けるために私たちそれを見せたがるのだ。ムナーリはまさにこの瞬間に登場する。彼は子どもと一緒になって自然や顔や素材のまったく新しい見方を示してくれる。風船の木や雲の木は、描く人の観察力より柔軟性を示すものだ。すべての植物は成長する:それは(表現の)定理だ。植物は枝分かれしながら成長する: それは(表現の)テクニックだ。ワークショップでは、定理やテクニックが遊びや発見になる。子どもたちにそれを見せることは、繰り返させること(学習)に代わる効果的な方法なのだ。視覚的なステレオタイプ(固定観念)は創造性の「その瞬間の」例であり、それは制作を個人の成長に結びつけるための新しい展開を待っている。11歳になって5歳の頃と同じように絵を描くのは正しいことではないはずだ。モチベーションは変わった。配慮と責任感のある大人は提案をする。子どもたちはすぐに自分が見たことをやってみたいと思う。彼らは作品ではなく、大人の態度や行動、手本となるものを真似るのだ。子どもたちの「やってみる」ことを通じて、大人との適切な接し方を見つけ、自分のモチベーションのレベルについても学び、新しい参加の意識を身につける。ムナーリのレッスンは学校的ではなく、言うならば: 彼は何かのやり方を教えてくれる。「創造的な子どもは幸せな子どもだ」なぜなら子どもを見守る人たちは大人として、子どものためにというより、子どもとともに何かをする責任を感じているから。すべての子どもたちは好奇心に満ちている: これは大人が最初に確信すべき確かなことだ。未知のことを知ろうとするテンション(緊張)としての好奇心は、従順さと反復に駆り立てられている子どもたちを失望させることがある。ステレオタイプとは繰り返し(の学び)の象徴と図式なのだ。モデル(型)を排除せずに克服することは発見をすることであり、今までにない独個人的でオリジナルなメッセージを発しながら自分の存在を主張することだ。例えば顔がそういうものだ: 後にも先にも同じものは二つとない。絵を描くこととは言葉を発せず表れる人の顔の表情を発見するようなものだ。顔の絵を描ける人は、出会った人の顔を読み他者との新たなつながりを発見できる。なぜならその他者とは私たち自身だからだ。学校(の学び)に乏しい驚きや不思議が、知識の飛躍のために確保される必要がある。探究はそのプロセスや実験によって、驚きをもたらしてくれる。その一つの例を、よくあるスライドプロジェクターを使って見ることができる、多くの非常に薄い素材:布、プラスチック、メッシュなどの効果だ。ニンニクの皮のびっくりするようなイメージはエキゾチックな銘木のようだ。プロジェクターで拡大された小さな素材がいつでも驚きを与えてくれる。素材たちは創造的な遊びの中で新しい機能を発見する。何が思い浮かんだか-それが最も役立つ質問だ。そうしてニンニクは木になり、船になり、タンスになる。素早い関係性のゲームはファンタジアとイマジネーションを結びつける。そして素材の投影(ダイレクト・プロジェクション)によって新しい風景や奇妙な図形、ありえない色が生まれる。30個の枠のある小さな箱(アルバム)が、新しく発明された個人の美術館の作品集になる。家の中に白い壁を作って(スクリーンになるように)絵などを掛けないでおけば良いだけだ。新しい作品を眺めては分解し、変化させ、再投影するのだ。光のショーが終わったら作品は小さな箱の中に戻される。本物のゲームとは常に新しいゲームを約束してくれるのだから…。

MUNARI DEI BAMBINI
Roberto Pittarello
Tutti i bambini sanno disegnare, ma non tutti gli adulti. Forse c'è qualcosa che si perde crescendo. Emerge davanti al fare degli altri il rimpianto dei grandi che si autocertificano non dotati a tenere una matita in mano. Peccato. Eppure poteva essere così semplice continuare a fare. Gli adulti guardano fare i bambini con occhio indulgente. I disegni dei tre anni mostrano la volontà e l'intraprendenza. Il bambino fa, ma vorrebbe vederci fare per continuare. Munari arriva in questo preciso momento. Si affianca al bambino per mostrare un modo tutto nuovo di vedere la natura, le facce, le materie. Un albero a palloncino o a nuvoletta mostra la disponibilità più che l'osservazione di chi disegna. Tutte le piante crescono: è una costante. Crescono ramificando: è una tecnica. Nel laboratorio costante e tecnica diventano gioco e scoperta. Far vedere ai bambini rappresenta l'alternativa efficace alla ripetizione. Gli stereotipi visivi sono un esempio di creatività "al momento", in attesa che nuovi sviluppi possano legare il fare alla crescita personale. Non sarebbe giusto disegnare a undici anni come a cinque. Sono cambiate le motivazioni. Un adulto attento e responsabile fa la sua proposta. I bambini vogliono subito fare quello che hanno visto fare. Imitano l'atteggiamento, l'azione, l'esempio dato col fare, non il prodotto. Attraverso il fare il popolo dei bambini trova il giusto contatto con i grandi, studia anche il grado della loro motivazione e apprende un nuovo senso del partecipare. La lezione di Munari non è scolastica, vale a dire: ti insegno a fare qualcosa. "Un bambino creativo è un bambino felice" perché le persone che lo curano sentono come grande il senso di responsabilità a fare qualcosa con lui più che per lui. Tutti i bambini sono curiosi: questa è la certezza di cui gli adulti per primi devono essere convinti. La curiosità come tensione a conoscere quello che ancora non si sa può essere delusa in molti bambini spinti a ubbidire e a ripetere. Lo stereotipo è simbolo e figura della ripetizione. Superare e non levare il modello vuol dire fare delle scoperte, affermare la propria presenza lanciando un messaggio personale, originale, che prima non c'era. Così è per una faccia: prima non c'era e non ne esistono due uguali. Disegnare serve a scoprire le espressioni del volto umano che comunica senza parlare. Chi sa disegnare le facce sa leggere la faccia di chi incontra e trova nuovi legami con gli altri. Perché gli altri siamo noi. La sorpresa, la meraviglia, che sta così poco a scuola, deve essere assicurata per un salto di conoscenza. La ricerca porta stupore con i suoi percorsi ed esperimenti. Un esempio è dato dagli effetti, visti e studiati con il proiettore delle comuni diapositive, di tanti materiali sottilissimi: tessuti, plastica, reti... L'immagine straordinaria della buccia dell'aglio è un esotico legno pregiato. Il piccolo pezzo di materiale ingrandito dal proiettore produce ancora sorprese. I materiali scoprono nuove funzioni nel gioco creativo. Che cosa mi viene in mente — è questa la domanda più utile. L'aglio diventa legno, barca e armadio. Un gioco di relazioni velocissime lega la fantasia con l'immaginazione. E così che nelle proiezioni dirette dei materiali nascono nuovi paesaggi, strane figure, colori impossibili. Una piccola scatola con trenta telaietti da proiettare diventa una collezione di opere per un nuovo museo inventato e personale. Basterà tenere in casa una parete bianca, senza quadri appesi. Le nuove opere si guardano, poi si disfano, si cambiano, si riproiettano. Quando finisce questo spettacolo di luce si rimettono le opere nella scatolina. Perché un vero gioco promette un gioco sempre nuovo...
(from"SU MUNARI" Beppe Finessi, Abitare Segesta Cataloghi, 1999)
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イタリアの芸術家+デザイナー+教育者、ブルーノ・ムナーリのことなどあれこれ。
こちらにもいろいろ紹介しています(重複有)https://fdl-italform.webnode.jp/

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