030.ダネーゼ ― 2005年10月01日 20:02

イタリアの「伝説的な」企業・ダネーゼとムナーリの関係は有名です。ダネーゼの前オーナー、ブルーノ・ダネーゼ(こちらもブルーノさんですね)とムナーリの出会いについてはいろいろなところで語られているので詳しくは紹介しませんが、ダネーゼにとってムナーリとエンツォ・マリという二人のデザイナーは特別な存在でした。現在ダネーゼのブランドは十数年ぶりに復活、絶版になっていた過去のプロダクトも再生産されています。日本での取り扱いはクワノ・トレーディングなど。 http://www.kuwano-trading.com/
031.イタリア未来派-1 ― 2005年10月02日 22:42

ムナーリが若き日に関わった「未来派」とはなんでしょうか。ちょっと調べてみました。「未来派」というのは二十世紀初頭のアバンギャルド芸術運動の一つで、中心人物はマリネッティというイタリアの詩人・小説家です。1909年。マリネッティの発表した宣言から始まったと言われています。未来派は新しい芸術のキーワードとしてスピードや機械文明を支持しています。乱暴な言い方をすると「近代主義(モダニズム)」の一つの形だったのではないでしょうか。未来派の一部が「国家としてのイタリアの発展を掲げた」ファシズムに接近したところといい、イタリアの近代建築における合理主義運動と似ていますね。ムナーリは1940年代後半(マリネッティの晩年から死後?)未来派に関わったようです(この稿つづく?)。
032.ムナーリの椅子 ― 2005年10月03日 17:03

「思いっきり短時間の来客のための椅子」という長い名前の椅子です。座面がものすごい角度で前傾しているのでほとんど座れないところがミソで、要するに座る間もない位短時間の来客用(早く帰れ。ということ?)というユーモア(アイロニー)たっぷりのデザインです。ザノッタというイタリアの名門デザイン家具メーカーから1945年に発売されました。10年ほど前にこの会社の工場を見学したときショールームにあったのが強く印象に残っています。ちなみに現在もザノッタ社のウェブサイトに紹介されていますが、もしかして今でも生産しているのでしょうか?
033.ムナーリの絵本(6) ― 2005年10月04日 21:39

034.ムナーリのアートワーク ― 2005年10月05日 19:55

MIURAさんからムナーリのアートワークの画像を頂きました。「灰色の物質の中の 飛行」というタイトルだそうです。いつごろの作品でしょうか?分かったらあらためてご紹介します。MIURAさん有り難う。
035.ムナーリのグラフィック ― 2005年10月06日 18:44

こちらの仕事柄か、ムナーリというと立体(工業)デザインと絵本の印象が強いのですが、ムナーリはグラフィックデザイナーとして多くの仕事を残しています。おそらく工業デザイナーとしてより、グラフィックデザイナーとしての仕事の方が多かったのではないでしょうか? ご紹介した画像は1935年(ムナーリ26歳?)の雑誌「L'ALA D'ITALIA」(イタリアの翼)表紙のデザインです。
036.ムナーリと瀧口修造 ― 2005年10月07日 19:22

1965年に日本で初めて開かれたブルーノ・ムナーリ展の開催に尽力したのは瀧口修造でした。瀧口は1903年生まれ、詩人西脇順三郎の影響を受けながら、まず詩人として、そして美術評論家として戦前戦後の前衛芸術全般に関わった人です(1979年没)。ムナーリのほかにもアンドレ・ブルトン、マン・レイらと親しく交流して作品を共作したり、自身も自動筆記などの手法でアートワークを残していますから、ムナーリと興味・活動の仕方が似ていたのではないかと思います。日本で発行されたムナーリの本の巻頭にムナーリ自身「瀧口の思い出に」と献辞を記していますから、二人の芸術家の間に深い友情があったことと想像できます。
037.ムナーリのベッド ― 2005年10月08日 19:01

1971年にムナーリがデザインしたベッド、というかシステム家具です。鋼線を格子状にくんだパネルを組み合わせて家具にするという、今ではおなじみのユニット家具のはしりですね。パネルの組み替えでいろいろなバリエーションが可能だそうです。ムナーリは「子供たちのためのベッド&勉強スペース」として考えたようです。
038.教育としてのアート ― 2005年10月09日 15:32

ブルーノ・ムナーリは子供のための造形ワークショップを各地(イタリア国内だけでなく、アメリカ、日本などでも)で行ってきましたが、イタリア中北部の町ファエンツァではムナーリが始めたパーマネントな子供のためのワークショップがあります。ファエンツァという町は昔から陶器の産地として知られているところなので、ワークショップでは粘土を使った造形が中心だったようですが、ムナーリの死後にファエンツァで開かれた、このワークショップに関する講演会をまとめた本が今回ご紹介する「教育としてのアート(arte come didattica)」です。中にはジュネーブ大学で教鞭を執っているらしいムナーリの子息アルベルト・ムナーリ(専門は教育心理)のコメントなども出ています。(イタリア語版)
039.読めない本(絵本-6) ― 2005年10月10日 09:04

ムナーリのデザインした絵本のスタイルの中で何度か形を変えて現れるアイディアに「字のない絵本」がありますが、この「読めない本」は字だけでなく絵もありません。いろいろな色の紙がちょっとずつ違う切り欠きを加えられてとじられています。ムナーリの本作りのアイディアの中には「本という立体造形物そのものをデザインする」という発想があるのですね。見る人、見るときによって違った読み方が出来る「読めない本」にはいくつかのバリエーションがあります。
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