382.訃報2023年06月02日 05:47

イタリアのブルーノ・ムナーリ協会(ABM)のSNSで、ムナーリの初期ワークショップ協力者の一人だったコカ・フリジェリオさんが亡くなったと報じられていました。

この方はムナーリのブレラ美術館での最初のワークショップ(1977)以来ムナーリの教育活動に協力しただけでなく、その後はレッジョ・エミリアで教師たちに劇あそび(人形劇?)の指導などもされていたようです。
ムナーリが監修した表現教育に関する本の著者として、また独自の絵本やアートワーク活動などでも活躍していました。
ご冥福をお祈りします。

383.コカ・フリジェリオ、ムナーリを語る2023年06月03日 18:57

『ムナーリについて(Su Munari)』という、様々な分野でムナーリと関わった人たちの証言をまとめた本の中に、先日物故したフリジェリオによるムナーリの思い出も紹介されていました。

「レッスンは続く…」
コカ・フリジェリオ
ブルーノ・ムナーリとの出会いは1970年代の初頭だった。私たちは1949年にさかのぼる読めない本の話をしたが、それは遊びがとても鮮やかでそこにはない対話の一部になっており、その視覚的あるいは触覚的なストーリーテリングが重要なものだ。
1945年の最初のモンダドーリ社の遊べる絵本にもイメージの発見に以下の文が添えられている。「トック・トック、誰かが来たよ、扉を開けて」と語りかけるように、小さな扉の向こうに驚きが隠されている。ムナーリは5歳の息子を楽しませるために絵を描いて読み聞かせたのがこの物語(絵本)の始まりだといった。
1997年トリエステのミラマーレ・スクールで開催された大規模な展覧会の際には透明なページの習作を見た小学生たちがこう言った:「ああ、わかったよ、なんて素敵なんだろう、私たちにもできるかも」。
その連続的(シーケンシャル)なイメージとしての「読めない本」というコンセプトは、1978年ミラノのスフォルツェスコ城で行われた初期の実験ワークショップから既に存在していた。その頃ムナーリはほとんど毎日グラフィックの素材選びに立ち会い、だいたい月に1、2回「おもしろい偽物」のバリエーションについてアイデアをまとめた冊子を作って置いていった。
1970年代後半から1980年代前半にかけて彼は語られる絵-本というコンセプトを展開した:この時には「イメージから物語へ」と題したワークショップが数多く開催された。それらは風景や城、雲などを型抜きしたページで、裏表紙にはポケットになったページがあり、本のページの中で動かせるキャラクターをしまっておくことができる本だった。
写真やコピーから作られた「読めない本」シリーズは、初めは初期のカラー複製技術の宣伝のために行われた「複写機との旅行」というワークショップに遡る。
そこから「挨拶とキスを」のような写真を切り貼りして再構成した楽しい小さな本が生まれたことは間違いない。それは現実から飛び出す練習なのだ。そのルールとは:逆さから読んだ文字、鏡のように繰り返されるモンタージュ、水平や垂直のストライプの挿入、いつも、無限のバリエーションがある。実際ムナーリが後から書き加えた添え書きは実質的に余計なものであり、イメージの驚きに加えられた楽しみだった。透明なシートが重なり合って展開する象徴的な絵本『たくさんのひとびと(Tanta gente)』(ダネーゼ社刊)のように彼の絵本はそのどれもが常に思考の展開を示唆していた。
わずかな要素が十通り、あるいは百通りの読み方の出来る物語を語るのだ、ご存じだろうか?緑の草むらがあり、そして小さなアリがいて、それから階段と、木がある...あるいは小さな橋があり、傘がある…というように。すべてのイメージは物語のつながりを持つことができる。透明なページはそこにある限り付け足したり減らしたりして、足りなくなったら他のものを補い、自分で作ることが出来る。
このように、以来ブルーノの偉大なメッセージは続いている。
私もまた、近くから遠くを見ることを、しるし(筆致)から始まる視覚的シーケンスを構築することを、(絵の具の)染みに縁取りすることで何かが生まれることを、最初に人物を次に物語を、視覚情報を多元化するために絵画の次元に理論的に入り込み技法を分離し一つずつ説明することなどを学んだ。すべての芸術家の本についてそのように語ることは出来ないだろうが、しかしブルーノ・ムナーリの本は並外れてシンプルな言葉と、デザイナーでありコミュニケーションの専門家としての自覚、そして人間関係への純粋な関心によって語り継がれるだろう。ある日、旅の彫刻(ムナーリの作品)を見ながら、私にはとどのつまりこのシンメトリーな作品が3次元の仮面か本のページのように見える、と彼に言った。
他の人なら(その感想に)気分を害したかもしれないが彼は微笑みながら私に言った:「あなたの頭脳は、この構造のビジョンを3次元の本のページに変換するという形状の類推のプロセスを作動させたね。では、あとは自分でもやってみるだけだ。」このレッスンは続いている…

LA LEZIONE CONTINUA…
Coca Frigerio
Ho conosciuto Bruno Munari nei primi anni '70. Parlammo dei libri illeggibili risalenti al 1949, in cui il gioco è evidentissimo e fa parte del dialogo che non c'è, ma è il racconto visivo o tattile il valore dell'oggetto che conta. Anche nei primi libri-gioco Mondadori del 1945 una sola frase accompagna la scoperta di un'immagine. La sorpresa è nascosta dietro una porticina come in Toc Toc, chi c'è, apri la porta. Munari diceva che erano state queste le prime storie che lui aveva raccontato disegnandole a suo figlio, per divertirlo, quando aveva cinque anni. Nel 1997, in occasione di una sua grande mostra realizzata alle Scuderie del Miramare di Trieste, alcuni ragazzi, delle scuole elementari, dopo avere osservato da vicino i suoi studi per le pagine trasparenti, dicevano: "Ah, ho capito, che bello, posso farlo anch'io". Il concetto del libro illeggibile come immagine in sequenza era già in atto fin dal primo laboratorio sperimentale tenuto al Castello Sforzesco di Milano nel 1978. Allora Munari era presente quasi giornalmente alla selezione del materiale grafico e in genere una o due volte al mese si costruivano libretti delle idee sulle varianti 'finteressanti", da accantonare. Dalla fine degli anni '70 ai primi anni '80 sviluppai il concetto del libro-immagine da raccontare: molti laboratori tenuti in quegli anni si intitolavano "Dall'immagine al racconto". Erano libri con pagine fustellate, ritagliate, sagomate con paesaggi, castelli, nuvole, con una pagina a tasca in retrocopertina per nascondere i personaggi da animare nelle pagine del libro. La serie di Libri illeggibili tratti da fotografie o fotocopie si può far derivare dai laboratori che si chiamavano Viaggi con la macchina fotocopiatrice, fatti all'inizio per reclamizzare le prime riproduzioni a colori. Certo da lì sono nati in seguito quei deliziosi librini tratti da montaggi di foto ritagliate e ricomposte come Saluti e baci. Esercizi di evasione. Le regole erano: la lettura dell'immagine capovolta, il montaggio ripetuto specularmente, l'inserto a strisce orizzontali o verticali, le varianti infinite, come sempre. Infatti le piccole scritte aggiunte poi da Munari sono praticamente superflue, un divertimento in più sulla sorpresa dell'immagine. Ogni suo libro-immagine suggerisce sempre uno sviluppo di pensiero, come Tanta gente, un libro simbolico svolto in fogli trasparenti sovrapponibili, edito da Danese. Pochi elementi che narrano una storia leggibile in decine e forse in centinaia di modi diversi, vi ricordate? ecco un ciuffo d'erba verde, poi una formichina, poi una scaletta, poi un albero... oppure, ecco un ponticello, poi un ombrello... Ogni immagine può avere un nesso da raccontare. Le pagine trasparenti si mettono o si tolgono, fin che ce n'è, e se mancano se ne faranno altre, inventate. Così da allora il grande messaggio di Bruno continua. Anch'io ho imparato a guardare da vicino e da lontano, a costruire sequenze visive partendo dai segni, a inquadrare le macchie che diventano qualcosa, un personaggio prima e una storia poi, a entrare idealmente nelle dimensioni di un quadro per separare le tecniche e descriverle una alla volta al fine di moltiplicare le informazioni visive. Forse non tutti i libri d'artista si possono raccontare, ma i libri di Bruno Munari sì, per la sua straordinaria semplicità di linguaggio, per la sua consapevolezza di designer e di tecnico della comunicazione, oltre che per il vero interesse che metteva nei rapporti umani. Guardando le Sculture da viaggio mi sono permessa un giorno di dirgli che, tutto sommato, quelle simmetriche sembravano maschere o pagine di un libro in terza dimensione. Forse un'altra persona si sarebbe offesa, lui invece si è limitato a sorridere e mi ha detto: "Vedi, il tuo cervello ha operato un processo di analogia della forma trasformando la visione di questa struttura in una pagina di libro tridimensionale. Ora non ti resta che provare a farlo". La lezione continua...
(Beppe Finessi, "Su Munari," Abitare Segesta Cataloghi, 1999)

384.パオラ・アントネッリ、ムナーリとテクノロジーを語る2023年06月27日 10:12

東京都で最初に区立美術館として生まれた板橋区立美術館では、例年イタリア・ボローニャの国際絵本見本市(正確には児童書見本市、ということのようです)の入選作品原画展を開催しています。
今年もつい先日から会期が始まり、8月半ばまで世界各国の絵本作家の原画が楽しめるようです。
https://www.city.itabashi.tokyo.jp/artmuseum/4000016/4001737/4001741.html

ムナーリのご縁で内覧会を拝見するチャンスがあり、あわせて頂いた2023年の図録を眺めていたところ、巻末にMoMA(ニューヨーク近代美術館)のパオラ・アントネッリのインタビューがありました。アントネッリはミラノ工科大学を経てアメリカでアートとデザインのキュレーターとして活躍している人物です。
「バオラ・アントネッリ(Paola Antonelli)ミラノエ科大学て学んだ建築家てあり、デザイン界の”ラ・バッショナリア(受難者、または情熱の花) ”。タイム誌による「世界で最も先見の明がある25人」に選出され、スミソニアン協会のナショナル・デザイン・アワードではデザイン・マインド賞を受賞。USアートディレクターズクラブに殿堂入りしたほか、AIGA (アメリカ・グラフィック・アーツ協会) 賞、 ロンドンデザイン賞、 ドイツデザイン賞など受賞歴多数。 1994年からニューヨーク近代美術館 (以下、 MOMA) のメンバーに加わり、 建築・デザイン部門のシニアキュレーターを務める。」

アントネッリは(数年前のミラノでの講演で)「ブルーノ・ムナーリなら、この現代世界でどんなことをしていただろう?」という問いに触れ、今回のインタビューで「ムナーリは、紙の本とオンラインプラットフォームを融合させるための能力を身につけていたに違いありません。あらゆるデジタルの可能性を発揮できるように、と。それから、おそらくAlも活用しようとするでしよう。」と付け加えていました。
アントネッリのムナーリ像は、ムナーリの停滞することのない創造性を言い表している、と思います。
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イタリアの芸術家+デザイナー+教育者、ブルーノ・ムナーリのことなどあれこれ。
こちらにもいろいろ紹介しています(重複有)https://fdl-italform.webnode.jp/

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