371.デザイナー・ムナーリの神技(エイナウディ、ムナーリを語る)2023年01月04日 21:55

EINAUDI EDIZIONI
ムナーリは芸術家であり著作家でありデザイナーであり教育者でもありましたが、社会的に彼が最も活躍した分野は書籍や雑誌のデザイン、いまで言うところのアート・ディレクションだったようです。
イタリアの著名人たちがムナーリの思い出を語る中でしばしば語られているのが「ムナーリのレイアウト能力の的確さと速さ」です。これまでにも記号論学者ウンベルト・エーコの回想(100)やデザイナー、アレッサンドロ・メンディーニの回想(225)を本ブログで紹介したことがありましたが、ムナーリに多くの出版物のデザインを依頼したイタリアの出版社の創設者ジュリオ・エイナウディの回想をご紹介します。

ムナーリとのコラボレーションは1942年に始まった。当時「児童と青少年のための本」名付けられたシリーズがあり、彼はその年に二つの作品:『ABCの本(Abecedario)』『ムナーリの機械(Le macchi ne di Munari)』を出版した。それらの本はイラストレーションをベースにしていて、彼は書籍の最初のグラフィックデザイナーとして関わり、彼の初期の活動から私はムナーリがエイナウディの本の形式的な概念を覆すことになると理解した。すぐに彼は(エイナウディ社の)コンサルタントとなって、約四十年のあいだ定期的にトリノを訪れ、新しい出版シリーズのグラフィックデザインや表紙の選択、その時々に必要なロゴやブランドのデザインなどを担当してくれた。彼とは何百回もミーティングをしたことを覚えている。彼が到着すると、私たちはあらかじめ彼が装丁する本の束を用意していた:彼は電光石火の創意で、コンテンツに即座に強い手応えを与えることができた。彼は文字の書体も、色も、画像も、自分で選んだ。彼は非常に速い精神の回路を持っていて、それらが彼の手の中で具体化した。彼の手は作用し、まるで加速するフィルムのように創造した:彼は手を使って考えているかのようで、その思考が即座に現実化するのだ。ムナーリは時を経ても残るグラフィックのアイデンティティを考案し、私たちの本を確かなものにしてくれた。しかし、ムナーリはエディトリアルグラフィック・アーティストだけの存在ではなかった:(彼の手で)不思議なオブジェたちが美しい芸術作品になり、彼のマルチプル(※作品)のいくつかは私が所有している最も貴重なものの一つなのだ。

EINAUDI
Giulio Einaudi
La collaborazione con Munari è iniziata nel 1942. Allora avevamo una collana che si chiamava "Libri per l'infanzia e la gioventù" e lui pubblicò in quell'anno due titoli: Abecedario e il famoso Le macchi ne di Munari. Essendo libri basati sulle illustrazioni, partecipò in prima persona alla progettazione grafica dei volumi, e già da quelle prime esperienze capimmo che Munari avrebbe stravolto la conce zione formale dei libri Einaudi. Fu immediatamente cooptato come consulente e per circa quarantanni sarebbe venuto periodicamente a Torino a proget tare la grafica delle nuove collane, a scegliere le copertine, a disegnare un logo o un marchio che di volta in volta ci serviva. Lo ricordo in centinaia di riunioni. Lui arrivava e noi gli avevamo già preparato una pila di libri da copertinare: con un'inventiva fulminea riusciva a dare immediata rispondenza for male ai contenuti. Sceglieva i caratteri, i colori, le immagini. Aveva dei circuiti mentali rapidissimi che si coagulavano nelle mani. Le sue mani agivano, creavano come in un film accelerato: sembrava che pensasse con le mani e che il pensiero diventasse realizzazione in tempo reale. Munari ha inventato un'identità grafica che è rimasta nel tempo e che ha reso inconfondibili i nostri libri. Ma Munari non era un artista solo nella grafica editoriale: gli oggetti fantastici che sapeva inventare sono diventate bellissime opere d'arte e alcuni dei suoi multipli sono fra le cose più preziose che conservo.

Beppe Finessi, "SU MUNARI", Abitare Segesta Cataloghi, 1999

372. 林健造のムナーリ論2023年01月15日 23:06

「教育美術」1965年9月号に紹介された教育者・林健造さんのムナーリについての考察の一部を紹介します。

 ムナーリの造形については,いろいろな角度から、いろいろな見方もあろう。
 私は、特に次のような角度からその特徴をあげてみた。
 1.全体性の造形 2.動きの造形 3.ヒューマンな味わい 4.機能の詩人  ムナーリ自身、有用性のために自分の発想を造形する場合と、主として造形の原理的なものを追求する場合の二つの行き方があるというのみで、とくに自分の仕事を分類したがらなかったのであるが、このことでも解るように彼は、造形芸術のいろいろなジャンルにわたる仕事をしても、むりに分類する形でなく、統合された全体の姿の中にムナーリの造形の姿勢というものを打出そうと努力したのであろう。
 このことは、われわれのしている子どもの造形教育とか、デザイン教育とかのあり方に、大へん意味のある示唆を投げかけてくれている。
 2番目に、彼の造形には、さかんに動きや時間をとり入れているという特徴である。
 1930年、23才にしてムナーリは"音を出す動く彫刻" を発表している。  この彼のアイデアは、少なくとも「未来派」に大きく影響されているのではなかろうか。時間と動きへの強い欲求、機能・メカニズムに対する多元的な造形理解などミラノ生まれの彼をとりまく、イタリアの土壌に育った未来派を基盤として生成したものであろう。
 3番目には、彼の作品のヒューマンな味わいである。
 彼の造形は、見ていて、その美しさに感嘆し、できばえに驚嘆するといったものではない。 この展覧会を見ても正直のところ、われわれときわめて身近かなものを感じたし、”なーんだこんなこと" とも思ったのである。事実友人たちとも話したが、あの程度のアイデアならなどと力んでもみたのである。
 これは私、あるいは私たちの生意気からではなく、ことほどさように思わせるくらい身近かに、にこやかに話しかけてくるのである。 ちょうど、親しいオジサンが話しかけてくると、こっちもついその気になるようなものである。
 4つ目はいわば "語りかけてくるデザイン" であるという点である。 機能にいろいろ彩りをつけた従来のデザインの形ではなく, 機能そのものを詩語としてとらえているデザインの表現性である。
 彼が造形するとき、その有用性をいかす造形言語そのものがすでにムナーリ自身の詩語の組み合わせに基ずいているとでもいう方がよいかもしれない。
 このことも、造形教育の世界における、デザインの造形の言語性という問題をも一度考えなおすよいヒントになるようである。


林さんの感想は、ムナーリが当時日本に紹介されたばかりとは思えないほど、ムナーリの特徴をよく捉えています。
あらためて、当時の日本の美術家や教育者たちの中には広い視野をもって美術教育を考えていた人たちがいたことに感銘を受けます。
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こちらにもいろいろ紹介しています(重複有)https://fdl-italform.webnode.jp/

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