373. N.Y.のムナーリ展2023年02月02日 06:03

CIMA
2022年末からちらちらと情報は入っていたのですが、個人的に縁の薄いアメリカのことでスルーしていたニューヨークのイタリア現代芸術センター(CIMA)での「ブルーノ・ムナーリ、内なる子ども」のサイトを覗いてみました。すでに会期は終了しているようですが、ムナーリがデザインした子どものための本などが中心に展示されたようです。
https://www.italianmodernart.org/exhibition/bruno-munari-the-child-within/
(英語)
2023年1月にはムナーリの生地ミラノに近いヴィメルカーテ(Vimercate)という街でもムナーリの展覧会が行われているようです。。。
https://www.museomust.it/munari/
(イタリア語/英語)

374.アンコーナの美術館の映画2023年02月21日 17:23

これまでムナーリの本を日本に紹介してこられた編集者の方から「手でふれてみる世界」という映画について教えていただき、東京・田端のミニシアターで鑑賞してきました。
直接的にはムナーリは関係していない内容の映画ですが、映画で紹介されているアンコーナのオメロ国立触覚美術館とは、2020年にムナーリとモンテッソーリの合同企画展が開催されたミュージアムです。
ムナーリは「触覚のワークショップ」以外にも「目の見えない少女のための手紙」という触って「読む」オブジェを作っていますし、映画の中にもムナーリの展覧会の様子がちらっと紹介されています。
目の見えないご夫婦が作り上げたというこのミュージアムでは、すべての展示作品(主にイタリアの古今の彫刻作品のリプロダクションのようです)を触って鑑賞することができるそうです。
美術館は視覚に障害のある人たちに対して門戸を閉ざしている、という指摘は、確かにそうかもしれません。イタリアではオメロ美術館とローマのパラティーノ美術館だけが作品のほとんどに触れることができるそうですが、それ以外の美術館でも触って作品を鑑賞する試みは広がっているようです。
映画の最後にはペーザロの広場にあるベンチと一体化した彫刻作品に触れながら、オメロ美術館館長のグラッシーニさんと彫刻家のヴァンジさんが「アートは人々の(生活する空間の)中にあるのが良いのです。特に子どもたちは、生活の中で美に触れるべきです」という会話を交わしていました。
美を感じること、生の喜びを感じることは、障害のある人にとってもそうでない人にとっても大切なことだと感じる素敵な映画でした。
https://le-mani.com/ (2022年製作/60分/日本)

この映画を監督した岡野さんは静岡にあるヴァンジ彫刻庭園美術館の副館長さんだそうです。ヴァンジ美術館は過去にムナーリの展覧会が開催されたところでもありますが、現在は閉館中で今後の存続が検討されているとのこと。美術館の再開を期待します。

375.芸術とデザインから教育へ2023年02月25日 22:42

「Grafica & Disegno」20号(1996)
ムナーリの特集記事が組まれたイタリアのデザイン雑誌「Grafica & Disegno」20号(1996)の資料を発見しました。
ムナーリの没年は1998年ですから、最晩年の記事と言って良いでしょう。
ムナーリの芸術家・デザイナー・教育者としてのムナーリの姿を編集長自身が分かりやすく解説していて、ムナーリが時代と社会の変化の中で、なぜ子どもの教育へ力を注ぐようになったのかを示唆する内容になっていましたので、その一部分をご紹介します。

Nel 1947 Milano é ancora ingombra di macerie. Anche delle arti del regime. Ma mentre la critica si attarda sul “chiarismo lombardo” o comincia a destreggiasi sulle tematiche del “realismo sociale” due artisti “concretisti” svizzeri, Max Huber e Max Bill, danno vita a una grande mostra d’arte con opere di Klee, Kandinsky’, Arp mettendole accanto a italiani come Veronesi, Rho, Sottsass jr e lo Stesso Munari. In pratica aprono la strada al concretismo italiano. L'anno dopo Saldati, Munari, Dorfres e Monet fondano il Movimento Atte Concreta. E’ il MAC, che tenta di portare avanti il concetto di “sintesi delle arti” e di riconciliare Industrial design, architettura e arti visive. In questo movimento Munari ha un ruolo di primo piano e ne sarà presidente nel 1953. L'esperienza si concluderà nel 1958 dopo alterne Vicende. Ma fin dall'inizio nel Movimento aleggia una domanda: come pretendete che il pubblico si interessi di movimenti pittorici o plastici quando è abituato a vedere tutto concretamente risolto al cinema, nella pubblicità, nei grandi Spazi reclamistici delle fiere internazionali… l' arte dunque morta o ha cambiato aspetto senza che molti Se ne accorgono?
La risposta del MAC non era la fine dell'arte, bensi’ un cambio di indirizzo. “… è qui che va cercata. Al vecchio non risponde più”.
1947年(第二次大戦後)のミラノは、まだ瓦礫で散らかっていました。(ファシズム)政権の芸術もまた同じでした。しかし批評家たちは「ロンバルディア・キアリスモ」(※1930年代ミラノで生まれた絵画芸術運動)にこだわり、また「社会的リアリズム」のテーマに向かう中で、マックス・フーバーとマックス・ビルという2人のスイス人の「具体主義」芸術家が、クレー、カンディンスキー、アルプの作品を集めた大きな美術展を企画し、そこにベロネージ、ロー、ソットサスJr、そして同じくムナーリといったイタリアの芸術家たちの作品を並べました。実際、彼らはイタリアの具体主義の道を開いたのです。翌年、サルダーティ、ムナーリ、ドルフレス、モネの4人は、「具体芸術運動」(※MAC)を設立しました。これは「芸術の総合」という概念を継承して工業デザイン、建築、視覚芸術を調和させようとするもので、MACと呼ばれました。ムナーリはこの運動で主導的な役割を担い、1953年にはその会長に就任しています。この活動は紆余曲折の後、1958年に終了しました。しかしこの運動には、始めからある疑問が漂っていました:映画や広告や国際見本市の巨大な広告の世界ですべてが具体的に解決されるのを見慣れている大衆が、どうして絵画や造形運動に関心を持つと期待できるのか…したがって、芸術は死んだか、人々が気づかないうちに姿を変えてしまったのか…? MACの出した答えは、アートの終焉ではなく方向性の転換でした。「…こっちが(新たに)探されるべき場所なのだ。古いものはもう応えてくれない」。
Il suo invito ai colleghi è chiaro in un articolo dal titolo "L'Arte è un mestiere". "Uscite dallo studio - scrive nel 1950 - e guardate le strade, quanti colori stonati, quante vetrine potrebbero essere più belle, quante insegne di cattivo gusto, quante forme plastiche sbagliate… Perchè non intervenire? Perchè non contribuire a migliorare l'aspetto estetico del mondo nel quale viviamo assieme al pubblico che non ci capisce e non sa che farsene della nostra arte? "Pensate quanto ci sarebbe da fare, quanti oggetti, quante cose aspettano intervento dell'artista…”
彼が仲間に呼びかけたことは、「芸術としてのデザイン」と題された文章の中に明確に表されています。「工房から出て - 1950年に書かれたものです - 、街を見よう、どれだけ調和のない色があるか、どれだけもっと美しくできるショーウィンドウがあるか、どれだけ趣味の悪い看板が存在するか、どれだけ間違ったプラスチックの形があるか…なぜそこに介入しないのか? 私たちを理解せず、私たちのアートをどう扱っていいかわからない一般の人たちと一緒に、私たちの住む世界の美観を向上させることに貢献しようではないか?」 「どれだけやるべきことがあるか、どれだけアーティストによる介入を待っているものがあるか、考えようではないか…」。

この記事では深く触れられていませんが、ムナーリが1950〜60年代にアートとデザインを通じて世の中の消費主義の暴走に歯止めをかけようとする試みはあまり成功しなかったようです。
その幻滅が、ムナーリを子どもへの希望とその創造性を育む教育へと向かわせた、とアルド・タンキスはムナーリの作品集の中で分析しています。
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イタリアの芸術家+デザイナー+教育者、ブルーノ・ムナーリのことなどあれこれ。
こちらにもいろいろ紹介しています(重複有)https://fdl-italform.webnode.jp/

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