243.きりのなかのサーカス2009年09月16日 18:47

きりのなかのサーカス

なんと、またまたムナーリの本が出ました。 かつて邦訳で出版されたことがありますが今では希少本になっていた「きりのなかのサーカス」の新訳本です。出版はフレーベル館だそうです。 http://www.amazon.co.jp/%E3%81%8D%E3%82%8A%E3%81%AE%E3%81%AA%E3%81%8B%E3%81%AE%E3%82%B5%E3%83%BC%E3%82%AB%E3%82%B9-%E3%83%96%E3%83%AB%E3%83%BC%E3%83%8E%E3%83%BB%E3%83%A0%E3%83%8A%E3%83%BC%E3%83%AA/dp/4577036975 ページにトレーシングペーパーを使って霧の中の見えるような見えないような雰囲気を表現したり、デザイン的にも素敵な本です。 子どものプレゼントにするには、ほんのすこし勇気がいる値段かもしれませんが、手の込んだ本の作りを考えれば手頃な値段でムナーリの絵本が再び楽しめるようになったことを喜ばなくてはなりませんね。 訳はなんと谷川俊太郎。生前のムナーリともしかして面識があったのでは、と思ったのですが、内容を見る限りでは分かりません。

241.ムナーリのフォークもどき2009年05月17日 17:10

ムナーリのフォークもどき

四月のミラノに出張した折、こんなものをみつけました。ムナーリのフォーク風なオブジェ?です。サラダサーバーなのかな?と思いきや、金属製だろうと思ってトランクに詰めて帰国してみるとどうやらセラミックのようで指がちょっと欠けてしまいました。要するにダイニングのオブジェなのかもしれませんが、誰かがムナーリのフォークを思い浮かべて作ったのでしょうか?

235.ミラノのコッライーニ2008年06月12日 23:11

「プラス・マイナス」

4月に仕事でミラノを訪れた際に、ムナーリの書籍やアイテムを次々復刻しているコッライーニのお店がミラノに出来たらしいと聞いて言ってみました。最近日本でも知られるようになった国際家具見本市の期間に併せてのオープンだったようですが、お店で話を聞くと「ずっとやってるよ」とのこと。そろそろ日本にも入ってきているのではないかと思いますが、復刻なったばかりの名作「プラス・マイナス」が平積みになっていました。

234.ミラノのムナーリ展20082008年04月29日 23:12

「毎月の本(libro al mese)」展@ミラノ

ミラノでは先週国際家具見本市があって、取材に行っていたのですがその間にムナーリの小さな展示があったことをミラノ在住のアーティストの方に教えて貰いました。残念ながら見に行く時間がなかったのですが、「毎月の本(libro al mese)」というタイトルがついています。展覧会の様子はこちらでも見ることが出来るようです。http://www.aiap.it/gallerie/10186

229.エットーレ・ソットサス2008年01月02日 09:37

エットーレ・ソットサス

先日ムナーリについての思い出を紹介したイタリアの巨匠デザイナー、エットーレ・ソットサスが2007年12月31日に死去したそうです。享年90歳。大往生というべきでしょう。 http://www.corriere.it/cronache/07_dicembre_31/sottsass_morto_f68c18aa-b7c4-11dc-87d4-0003ba99c667.shtml

227.「なまけものの犬のしっぽを動かす機械」(ナンセンスの機械)2007年12月27日 22:34

「なまけものの犬のしっぽを動かす機械」

「なまけものの犬のしっぽを動かす機械」 1)吹き矢をカバンの留め金に向けて発射する 2)カバンの留め金が外れる 3)カバンの蓋が開く 4)中に閉じこめられていた伝書鳩が飛び出す 5)飛び立った伝書鳩の足に結びつけられた糸が引っぱられる 6)糸の反対側につながっている車輪が回る 7)車輪についたクランクが動いてスライド式の物差しが前後に動く 8)物差しに取り付けられたエッフェル塔のおみやげも一緒に動く 9)エッフェル塔のおみやげに結びつけられたリボンが引っぱられる 10)リボンが引っぱられると反対の端に結びつけられたはたきとそこにくくりつけられた犬のしっぽが動く

226.ソットサス、ムナーリを語る2007年12月25日 22:10

エットーレ・ソットサス

エットーレ・ソットサス(1917-)は80年代イタリアから世界に発信されたポストモダンデザインの理論的な支柱ともいえる大物です。著名なデザイナーですがアートの分野にも関わり、若い頃MAC(具象芸術運動)ではムナーリと共に運動に関わっていたという記述もありました。「ブルーノ・ムナーリとは友達だったし、よく知っている。何というか、砂糖をまぶしたダダイスト、というところかな。彼はイタリアという環境で非常に評価されていたと思う。しかし私自身はイタリア的でない文化の中で生きてきたし(ソットサスはオーストリア系イタリア人)、そもそも彼の仕事はオモチャ的だったと思う。実際彼は最終的に子どもの話にたどり着いた。私だって子どもが嫌いなわけではないし、短い時間なら子どもは好きだけどね。たとえ私がこどもの世話をさせられたら、それが他人の子であっても、きっとヒステリーを起こすだろうとしても」-Con Bruno Munari eravamo amici, lo conoscevo, era un po' un dadaista zuccherato, insomma... non so prorpio cosa dire. Io credo che in Italia Munari abbia avuto grande funzione, preo' siccome io vivevo di cultura straniera, piu' che altro mi sembreva che i suoi lavori fossero un po' dei giocattoli, infatti e' finito a parlare ai bambini; non che io non ami i bambini, mi piacciono molto, anche per qualche mezz' ora, anche se degli altri, ma se mi devo prendere cura di loro per un giorno divento isterico.

225.メンディーニ、ムナーリを語る2007年12月20日 22:47

アレッサンドロ・メンディーニ(1931~ )はアレッシやスウォッチのデザインディレクターとして80〜90年代のイタリアデザインブームを演出した大物ですが、もともとイタリアのデザイン誌「モード」や「ドムス」の編集長を務めるなど、出版・メディア分野に詳しい人でもあります。「ムナーリについて、ひとつ逸話を話そう。ある時120ページの本を編集しなくてはならないことがあって、ムナーリがレイアウトをすることになっていたんだ。私はレイアウトしなくてはならない写真をすべて抱えて彼の家に行った。そこには小さなテーブルがあってね。そこで彼はたった40分の間に全ての材料をのりで貼り付けて一冊分の本のレイアウトをやってのけてしまった。あれは怪物だ。人間コンピュータだよ」-Posso raccontare un aneddoto semplicissimo. Dovevo fare un libro di centoventi pagine e Bruno Munari doveva impaginarlo. Ho portato tutte le fotografie a casa sua. Aveva un tavolino molto piccolo; vi ha messo tutto il materiale e con la colla in quaranta minuti ha impaginato il libro. Era un mostro. Era un computer umano.

224.マンジェロッティ、ムナーリを語る2007年12月18日 21:49

アンジェロ・マンジェロッティ

アンジェロ・マンジェロッティ(1921〜)は若い頃、グロピウス(バウハウスの元校長)に呼ばれてアメリカの大学で教鞭を執ったという人で、今なお現役で建築からプロダクト・彫刻までデザインするエネルギッシュな巨匠です。「(ムナーリとは)ほとんど行き来はなかったな。ダネーゼでは同じ時期に仕事をしていたんだが、それでも顔を合わせることは殆どなかった。私たちは互いに違うことをし、違う世界に生きていた。彼のフォーク(ムナーリのフォーク)や彼のオモチャは素晴らしいと思っているけれどね。ある種のことについて天才的で、彼はいつでも100%ブルーノ・ムナーリ、思うに、一貫して自分自身であり続けた人だった」-Beh, l'ho frequentato pochissimo.Entrambi lavoravamo per l'azienda Danese ma non ci incontravamo mai. Abbiamo sempre fatto cose diverse, erano due mondi diversi, pur con tutto il rispetto per le sue forchettine e i suoi giochini... Era bravissimo in certe cose, mi pare sia stato estremamente coerente con se stesso: e' sempre stato Bruno Munari al 100 %.

223.マジストレッティ、ムナーリを語る2007年12月16日 23:05

ヴィコ・マジストレッティ

ヴィコ・マジストレッティ(1920‐2006)は戦後イタリアの家具デザインの分野でもっとも成功し、またイタリアデザインの発展に貢献したデザイナーの一人です。「私はブルーノ・ムナーリを尊敬していたよ。私たちは友達だったが、なにより彼はすばらしい冗談をやってのける人だったから、尊敬せずにはいられなかった。知っているかも知れないが、ひとつ彼の冗談を話してみよう。私にとって彼が言った台詞の中でも最高なやつを;『卵は完璧なフォルムをもったオブジェだ。たとえそれが(ニワトリの)ケツから出てきたモノだとしてもね』これは最高のジョークだと思うよ。彼は時々電話をしてきたんだが、それというのも請求書の書き方が分からなかったからなんだ。実に尊敬すべき人、そして素晴らしい才能の持ち主だった。彼は素敵な本を沢山作ったし、「役に立たない機械」を作った。私はまだ進路を決める前の若かった頃に、彼の素晴らしい作品を見て建築家になろうと思ったんだ」-Io ho adorato Bruno Munari, eravamo amici, l'ho adorato anche perche' faceva delle buttate straordinarie. Ve ne racconto una, non so se voi conoscete, per me e' la piu' bella che ha detto Bruno Munari. Sono tra i primi ad averla sentita e diceva; <<L'uovo e' un'oggetto di forma perfetta, anche se e' stato fatto con il culo! >> La trovo una buttata straordinaria. Lui era cosi'; mi telefonava perche' non sapeva come doveva fare per le percelle, era un uomo adorabile, assoltamente addorabile; e poi bravissimo. Ha fatto dei libri, libri bellissimi, poi "le macchine inutili", che sono delle ragioni per cui ho fatto l'architetto, perche' io le ho viste ancora prima di andare in facolta', ed erano straordinarie.

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イタリアの芸術家+デザイナー+教育者、ブルーノ・ムナーリのことなどあれこれ。
こちらにもいろいろ紹介しています(重複有)https://fdl-italform.webnode.jp/

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