355.「急がば回れ」2021年05月09日 20:11

「急がば回れ」
ムナーリの息子でジュネーブ大学の名誉教授アルベルト・ムナーリ教授のブログ「ムナーリ・バイ・ムナーリ」と、日本で出版されたムナーリの本にも紹介されている文章です。

「フェスティーナ ・レンテ ゆっくり急いで (急がばまわれ)」
(ヴァンジ彫刻庭園美術館でのムナーリ展図録、2013に収録、訳は田丸公美子)
アルベルト・ムナーリ (ジュネーヴ大学名誉教授)
 わが父プルーノ・ムナーリは、いつも早足で歩いていた。父について行くのは〜とりわけ、幼い頃の私にとっては一大変な苦労だった。頭の回転同様に、動作も機敏な父だったが、決してせっかちな人間ではなかった。それどころか、大人でも子どもでもせかせかと食べ、せかせかと遊び、せかせかと稼ぎ、せかせかと生き、最後はころりと死んてしまう、そんな現代人の狂奔ぶりに批判の目を向けていた。父日く、そうしたスピードに取り憑かれている間は、忍者や空手家の電光石火の早業も、書道の大家のすばやい筆さばきも、人念な観察、緻密な計算、細部にわたる調整という、ゆっくりと長い時間をかけた作業のたまものであることに気づかないのだ。
 実際、足早に書斎にたどり着き、新しい素材やフォルムの探求に取りかかると、どうだろう、父のあの機敏な動きは慎重でゆっくりとした動きへと一変するのだった。そのゆったりとした一挙手一投足の細やかさ、そのしぐさのミリ単位の精密さを、私は何時間も魅入られたように眺めていたことを思い出す。父の書斎は、いってみれば地上のオアシスであり、そこては、あらゆるものが私たちに呼びかけていた。ふだんの歩みを緩めるようにと。落ち着いて立ち止まってあらゆる細部に目を向けるようにと。必要な時間をかけて、材料やしぐさや道具のもつ性格や特性のすべてをじっくりと研究するようにと。そして私は、卓越した芸術作品を生み出す熟練の技、自由闊達な手腕というものが、どこまでもゆっくりと時間をかけた行動によって培われるものてあり、その結果、どんな些細な細部をも把握てきるようになり、身振りに知性が備わるということを学びとったのだ。
 性急に下絵を描いたり、色を塗ったり、設計を行ったりする前に、父は必ず、自分が扱う材料のこと、つまり、表面、テキスチャー、厚み、耐久性、弾力性などを、しつかりと研究する時間をとっていた。そしてまた、使い心地、道具が残すさまざまな痕跡、柔軟性など、道具についても研究を怠らなかった。具体的な成果は、そのあとほぼ自然に出てくるものであり、前もってゆっくりと時間をかけ、人念に研究を重ねれば重ねるほど、成果もまた、早くかつ正確に現れてくるのだった。父に言わせれば、最終的な結果に飛びつく前に、まずはいったん立ち止まり、じっくり腰を据えて、それまてのあらゆる行程を注意深く見直すべきなのだ。今まて感じた逡巡や期待、迷い、代案や驚き、それらとじっくり対峙する術を身につけるのだ。そうすれば、おのずから結果にたどりつくし、結果の正当さや正確さも、また必然的な結末に思えるはずなのだ。
 子どもたちを相手に仕事をする人間は、ときとして、彼らが、いったん仕上げた絵や工作にほとんど関心を示さなくなることが実に多いのに驚くことがある。実際、子どもというものは、精密な作品をつくるためではなく、「ものごとを理解するために」絵を描いたり、モノをつくったりする。子どもは自分が置かれているこの不可思議な世界を理解し、実験するために遊ぶ。つまり、子どもが興味を惹かれるのは実験という行動であり、彼を魅了するのは、たまたまそれによってつくり出される物質的な作品よりも、探求の「歩み」そのものなのである。大人が「遊び」と呼ぶものは、子どもにとってはいたって真剣な行為てある。というのも、子どもにとって遊びとは基本的に、気晴らしのための遊戯てはなく、認識のための行動だからである。
 探求の歩み〜科学的、技術的、芸術的のいずれであれ〜には、ゆっくりとした時間がともなう。それは探求し、自分て試してみて、またはじめからやりなおし、立ち止まって考え、理論を構築し、その正しさを検証するために必要な時間なのである。その時間を短縮しようとすれば、必然的に探求の意味や関心を失わせることになる。また、なにがなんでも性急に最終結果を出そうとすれば、そこに到達するまでの歩みの教育的可能性を台無しにしてしまうことにもなりかねない。なぜなら、ものごとは結果よりもむしろ「そこにいたる歩みのなかから学ぶ」ものだからである。それは、あらゆる学習行為の根底にある原理だといっても過言ではない。大事なのは、慎重な実験や自由な思索を行うのに必要な時間を充分にとること、そして結論にいたるまでの時間をできるだけ引き延ばすことなのだ。なぜなら、「答えを出すことは、問いかけることで開かれた、可能性の宇宙の扉をふたたび閉ざし、消去することてもあるからだ」。
 私の父もまた、答えよりも問いかけの方に、はるかに高い関心を寄せる人間だった。とりわけ彼がこだわったのは、「どうすれば違うやり方ができるだろうか」という問いかけだった。父が幾度となく行ったこの問いかけは、他人よりもまず自分に向けて発したものであり、デサインにおいてもアートにおいても、父のあらゆる探求の原動力になっていた。それはほどなく私にとっても持続的な刺激となり、幼児から小中学生、さらには高校・大学生、大学教授になるまで、私の知的成長の過程のかたわらで常に導きの糸となってくれた。実際、他に違ったやり方はないかという問いかけは、単純きわまりないものにみえるのだが、実は、科学的探求の最も基本的な原理の1つを見事に要約しており、同時に誰にでも理解できる形て提示しているのてある。そして、その原理とは、1つの行動に関して、他にどんな代替案があるのか、考えうるあらゆる可能性を体系的に追求することなのだ。
 もちろん、私たち大人を精神の発達過程にある子どもに置き換えて考えることはできない。現に、精神の発達過程とは内面的かつ個人的な経験にほかならない。しかし、特定の「コンテクスト(状況)」や、しかるべく設計されたシナリオをつくり、用意することはできる。つまり、個々の人間の認知能力や愛情、また社会性などが育っていくなかでは、さまざまに異なる組織ごとに、いくつもの相互作用が働いているのだが、それらの過程の間に、必要な「一貫性や相乗効果」が現れるのを促すシナリオを考案し設定するのである。  子ども向けの作品を通じてブルーノ・ムナーリが実現しようとしたものが、まさにそれだったのだ。子どもたちにさまざまなシナリオやスペースを用意し、可能な限りバラエティに豊んだ視覚と触覚の体験を提供する。たとえば、自分の行動とそれに抵抗する素材との間に働くさまざまな相互作用を、意図的かつ意識的に(つまり、無意識にでも偶然でもなく)探求できるようなシナリオを準備する。そこで子どもたちは、自分自身の行動と、同じ経験を共有している他の主体の行動とを注意深く対比し、対話のなかから、他にどんな探求の戦略があるのかを相互作用のなかで学ぶことができる。そして、子どもたちがいろいろな段階の探求や対比を行っている間は、いかなる形であれ、〜美的、実用的、道徳的のいずれてあれ〜あらかじめ想定された判断は一時的に封印し、代わりに、驚きがもたらす喜びと発見の興奮に自由に興じさせてやるのだ。これらのシナリオを実現するにあたって、大人が自分の存在や命令を押しつけることはない。 だが、 注意深く観察し、 子どもたちの行動に宿る知性を見つけ出したときは、どんな小さな機会も見逃さず、そこを強調してやる。それによって子どもの意識の目覚めを刺激するが、 その際、 自分の体験を金科玉条のごとく押しつけてはならない。 なぜなら、子どもたちの自覚的な思想は、 ひとりひとり異なるきわめて個人的な体験のなかから構築されるものだからである。

 前例のないスケールて周到に構成された今回の展覧会がプルーノ・ムナーリの多彩な作品を通じて提示する「歩み」の豊穣さを味わう秘訣は、このようにして、答えよりも問いかけを追求しながら、「ゆっくりと急ぐ」ことにある。そうやって、ムナーリがしたように「ゆっくりと急いだ」ときにはじめて、彼の創作哲学がどれほど洗練されたものであるかを、私たちは充分に理解することができるのである。

*「フェスティーナ・レンテ」とは、古代ローマの作家スエトニウスによれば、良帝アウグストウスが奉じたとされる座右の銘で、意味は「ゆっくり急げ」。アウグストウス伝の中でスエトニウスは、良帝はギリシア語の標語「σπευδε βραδεως」を引いたと述べている。この語をラテン語に翻訳すると「フェスティーナ・レンテ」となる。その後、16世紀にコジモ・デ・メディチが、この標語をもとに、みずからの船団が掲げる絞章として、帆を甲羅の上に乗せた第の図柄を作り出した。歩みの遅さて知られる亀は、熟慮の象徴でもある。しかし、船を力強く前へと進める風を受けてふくらむ帆を乗せたとき、亀は企てを成功へと導く慎重さと深い思慮を備えた存在となる。「フェスティーナ・レンテ」の標語は、今日でも、フィレンツェのヴェッキオ宮最の天井や床の上に描かれた多くの図柄の中に見ることができる。

356.子どものための造形を考えた日本人2021年05月16日 21:10

ムナーリと直接関わらないトピックなのですが、日本にもムナーリと同時代に、こどものための造形教育について深く考えた教育者がいます。
その一人、藤田復生(1910-1999)の著書『幼児の造形 紙』(1970、フレーベル館)には、ムナーリのアプローチとの共通点が感じられます。

乳児期の造形活動
 幼児の生活の中で、紙に対する経験は, かなり早く, 満1歳の乳児の頃より, 無心に破る行為が始まり, 2歳を過ぎる頃から, はさみを与えると, 紙を切ることを始めます。 (もっとも, 家庭によって, はさみを与える時期の,早い遅いはありますが)
 また, 同じ頃に, 紙と描くものを手にすれば, 描画が始まり, 紙で物を包もうとする行為が見られ,たたむ・まるめる・くるむなどの行為が見られます。  この時代は,まだ,紙でものを作る意志や意欲は見られませんが,破ること,切ること,たたむことに興味を示します。破ることも,切ることも, 一種の破壊行動で,心身の発達からみても,単一動作です。
 すなわち,破るにしても,縦に力いっばい引きさくことだけで,指先の調整は見られません。はさみも同様で単一動作の切り方で,切ることだけにとどまります。

3歳児期の造形活動  満3歳を過ぎると,指の調整ができ,連続動作に移り,連続した直線切りに移ります。はさみの使用は,家庭の生活で,兄弟のいる,いないによっても,経験の量の多少によっても,発達の個人差によっても,能力の差はありますが,幼稚園の3歳の集団でみると,その差の幅は5カ月ぐらいです。  したがって,はさみの経験を, 3歳からはじめて持ったとしても,約半年の間には,完全な連続切りが可能になるといえます。(これは,個人差がありますが)
曲線切りは,かなりむずかしく,さらに,半年ほど遅れます。形を切り抜く意図がみられるのも,描画に形の形成がみられてからといえます。
 破ることは,比較的早く始まりますが,ちぎることより,切ることの方が先行します。これは,指先の器用性の発達にしたがって,可能になるからです。
 折ることについては, 3歳6カ月になると,三角折り四角折りは,大半の幼児が可能で,かなりの正確度をもって,折ることができます。いうまでもなく,三角折りの頂点を合わせることが,視覚と手の共応作用でできてくるからです。四角折りも,一辺合わせ一角合わせの原則によって視点を一カ所にしぼることが大切です。
 そして,三角・四角という言葉の概念の理解ができるということや,半分という概念が形成されたことになります。
 このような造形作業は, 指導者の子どもへの話しかけ (説明) やほんの少しばかりの注意によって, 理解の度合いが違ってくるので, 教師は注意しなければいけません。
 たとえば, 正方形の紙のときと, 長方形の場合は, 辺の長短という, 2 つの要素がありますので, <2つに折る> <半分に折る>という言葉が, 2通りになりますので, 教師が見せながら, 説明することは当然ですし, 短い, 長いの言葉を理解できる段階にあるか, ないかということが, 重大な結果を示すことになります。
また, 3歳児では, <2つに折る> という言葉よりも, <半分に折る>という言葉を用いることが大切です。2つということは,子どもにとって,別々なものを意味することが多いからです。
 3歳6カ月頃では,長い,短いの概念がはっきりしていませんので, 一般には.理解されにくいものと考えなければなりません。
<まるめる>ことも, 3歳では,円錐の場合,紙の張りがあるので,糊づけができません。しかし,円筒ならば,細く巻いて,糊づけをして止めることができます。
 したがって, 3歳では,紙の造形は,あまり技術的なものを避け,ごく基本的な折りたたみを考え,平面的な作業を基本と考えなければなりません。
 ただ,その中に.多少の立体的なものを加えていかなければ,意欲を失いますから, できる範囲で, 子どもに形を作らせ, 教師が接着を助けてや るようにします。
 たとえば, 図のようなかごを作らせるときは. 半円形の紙を円錐にしぼることはできますから, それを持たせたまま, 教師がセロテープで止めるとか,ホチキスで止めるとかして,細長く切った紙で手をつけることをさせるようにして,教師と子どもの合作にすることです。
 風車を作る場合も,対角線折りや,直線切りのはさみも入れられます。はさみを入れる前に,十分でなくとも,好みの色で,色づけができますから, あとの組立は, 教師がしなければなりません。 ですから, まだ, 3歳では,くふうするまでにはなりませんので,意欲を高めることが大切なのです。  3歳児が使うのによい紙質は,色紙程度の薄紙から,薄手中厚の紙が切りやすく,折りやすいのです。
 障子紙も, 4つたたみまでは,切れるはさみなら,重ねて直線切りができますので,水彩絵具で,のびのびとかいた障子紙で,のれんなどが作れます。
 このように,教師が,紙の質と, 3歳児にできる技法を考え出すことが大切です。

ムナーリと比較すると、上に紹介した藤田のアプローチは「子どもに表現技術を会得させる」部分が意識されている、という点でモンテッソーリに近いのかもしれませんが、藤田は造形技術の獲得の先に子どもの自由な応用表現の可能性について述べていて、いわばイタリアから遠く離れた日本で、モンテッソーリとムナーリを繋ぐようなアプローチを考え実践していた、とも思えます。
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